僕に出来る事

 翌朝、いつものようにシルフ達に起こされたレイは、妙に静まり返った家に違和感を覚えた。

 顔を洗って居間へ行ってみたが、誰もいない。かまどの火は落とされたままだ。

 一瞬パニックになりかけたが、深呼吸して落ち着くと、そっと空中に向かって呼びかけてみる。

「えっと、シルフ……いますか?」


『何?』

『いるよ』

『いるよ』


 何人ものシルフが現れて、肩や頭の上に現れた。少しほっとして聞いてみる。

「皆は? 何処かへ出かけたの?」

 本当に何処かへ行ってしまったらどうしよう。考えただけで足が震える。

 ところが、シルフ達は顔を見合わせて笑いながら次々に答えてくれた。


『皆寝てる』

『寝坊助寝坊助』

『起きないの起きないの』

『寝てるよ寝てるよ』

『お疲れお疲れ』


 呆気にとられていたが、昨日、自分がどれだけ皆に気苦労をかけたのか、思い知らされた気がした。そして納得した。

「じゃあ皆が起きてくるまで待ってようっと……そうだ! 僕でもなにか作れるかな?」

 思いついて台所へ行ってみる。それを見たシルフ達が、レイの後ろから楽しそうについてきた。



「えっと……そうだ! 発酵無しのショートブレッドなら僕でも作れるよ。使うのは、バターとお砂糖と小麦粉、後はお塩だね。うん、全部あるはずだ」

 母さんが、お砂糖やバターのある時だけ作ってくれた特別なレシピだ。これはお手伝いしたから作り方は覚えている。

「えっと、バターはこの前たくさん作ったから、確かまだあったはず」

 地下の食料庫へ走って行って、バターの上に座っていた水の精霊に断って、ひと塊り持ってくる。小麦粉とお砂糖は、台所に在庫があった。

 腕まくりをして、戸棚を開ける。

「バターを柔らかく……えっと、火蜥蜴さん、いますか?」

 レイの呼びかけに、肩の上に火の守役の火蜥蜴が現れた。

 大きな陶器のお椀の中に入れたバターを指して、お願いしてみる。

「えっと、このバターは冷えて硬いので、少しだけ温めて柔らかくして欲しいんだよ。火をつけるような高い温度じゃなくて、僕の体温より少し高いぐらい……これで分かる?」

 火蜥蜴はウンウンと頷くと、スルスルと腕を伝って降りて来て、陶器のお椀の縁に身を乗り出すようにして冷たいバターに息を吹きかけた。

 バターを触ってみると、すっかり柔らかくなっている。

「すごいや、ありがとう。完璧だよ」

 笑って撫でてやると、いつもニコスが使っている引き出しを開けて、中にあった大きなフォークを取り出した。

 バターの上に、お砂糖をコップに一杯分入れてフォークで混ぜる。柔らかくなったバターは、しばらく混ぜているとお砂糖と綺麗に混ざり真っ白なクリーム状になった。

「ここに小麦粉をカップに三杯入れる」

 加減が分からないので、以前作った倍の量だ。

「えっと、お塩はどこだろう?」

 戸棚にあった瓶をいくつか開けて見てみると、中に砕いた岩塩が入っている瓶を見つけた。

「これでいいや」

 ちょっと舐めてみて、塩であることを確認してから、一つまみ分をお椀の中に入れてまた混ぜる。

「えっと、窯の中を温めてもらえるかな。温度は……いつもニコスがパンを焼く時と同じ位で良いんだけど、分かるかな?」

 肩で見ていた火の守役の火蜥蜴は、首を傾げている。

 どうやら、これでは通じてないみたいだ。

 最悪、窯の前で焼け具合を見ていれば良いかと諦めかけた時、窯の中に別の火蜥蜴が現れた。その子達は、窯の中をくるくると走り回りこっちに合図をしている。

 肩の上にいた火の守役が、それを見て不意に消えると次の瞬間、窯の中に現れた。そして、一緒に窯の中を走り始める。

「もしかして、いつもパンを焼いてくれてる子達かな。温度が分かるのかな、よろしくね」

 笑ってそう言うと、綺麗に混ざったお椀の中の生地をそっと手で丸く丸める。少し平たくして形を整えると、いつも使っているフォークで生地全体に穴を開けていく。少しだけ周りに小麦粉をまぶして、パドルを使って窯の真ん中に入れた。

「お願いしますね」

 待ち構えていた火蜥蜴達にそう言うと、蓋を閉めて中を覗き込む。分厚いガラス越しに、火蜥蜴達が生地の周りをくるくると走り回っているのが見えた。

 嬉しくなって、走る火蜥蜴達を目を輝かせて見つめていた。



 その時、シルフが現れて笑いながらレイの髪を引っ張った。


『起きた起きた』

『慌ててる慌ててる』

『大慌て大慌て』

『大変大変』


 それを聞いて吹き出した。

「あはは、この前の皆の気持ちが分かるや。面白い」

 笑ってやかんに水瓶から水を汲むと、竃にも火蜥蜴に頼んで火を入れてもらった。

「なんてこった。こんな時間じゃないか」

 寝癖がついたままのニコスが、かなり慌てて台所に走りこんできた。

「おはようございます。もうすぐショートブレッドが焼けるよ。えっと、サラダはどうやって作れば良いの?」

 台所で笑っているレイを見て、驚いたように立ち止まる。

「何を……焼いたって?」

 呆然と聞き返すニコスに、ちょっと不安になって窯を指差して答える。

「僕に作れるのは、発酵無しのショートブレッドだけなの。母さんが作ってたレシピなんだよ。えっと、地下に置いてあったバターと、お砂糖と小麦粉を使ったよ。あ、お塩もここにあったのを……使いました」



 ニコスは無言で顔を上げて窯を見つめる。



 窯の中では、少し膨れた平たいショートブレッドの周りを、火蜥蜴達がせっせと走り回っている。

「ごめんなさい。勝手にお台所を使って……怒らないで」

 なにも言わないニコスに、不安になって謝った。勝手に材料を使ったのはやはりまずかったのだろうか。



「なんて事だ。誰かに食事の用意をしてもらえるなんて、いつ以来だろう」



 そう叫ぶと、いきなりニコスが抱きついてきた。

「素晴らしいよ。寝坊して起きたら、ショートブレッドが焼けてるなんて!ありがとうレイ、 最高の日だよ!」

 笑ってくれたニコスに安心したが、焼け具合はかなり心配だ。窯を見ながら聞いてみた。

「よかった。でもまだ安心は出来ないんだよ。うまく焼けるかどうかは火加減次第でしょ、実は、温度がよく分からないんだ」

 正直、こんな大きな窯で焼いたのは初めてなので全然自信が無い。生焼けや、焼け焦げて真っ黒になったらどうしようと不安だったが、ニコスは中を覗き込んで笑ってくれた。

「いや、火加減は上手く出来てますよ。焼きあがるまでに、もう少しかかるみたいだな」

 そう言うと、腕まくりをしてこっちを見た。

「じゃあ、せっかくなので、サラダの作り方を覚えてみるか?」

「うん! お願いします!」

 使ったお椀を洗いながら、何度も頷いた。



「すっかり寝過ごしてしもうたわい。すまんニコス、火起こしは上手く出来たか?」

「一度は起きたんですけどね、うっかり寝過しました」

 しばらくすると二人も起きてきて、口々に照れ臭そうに笑った。

「おはようございます! 今朝は僕がショートブレッドを焼いたんだよ!」

 ニコスと一緒に台所に立っている少年を見て、二人とも驚きのあまり声もない。

「実は俺も寝過ごしてね。さっき起きてきたら、レイがショートブレッドを焼いてくれていたんだよ。感動したね。寝坊して起きてきたらショートブレッドが焼けてるなんて。一体何のご褒美だよ」

 サラダの入ったお皿を出しながら、ニコスが嬉しそうに言う。レイが窯からパドルを使って綺麗に焼けたショートブレッドを取り出した。

「ほら、僕が作ったんだよ。母さんが作ってくれたレシピ。これはお手伝いしたから覚えてたの」

 自慢げに言うと、ニコスの出してくれた板の上にショートブレッドを乗せた。

「さて、どんな感じかなっと」

 ニコスがそう言うと、大きなパン切りナイフで、半分に切ってみた。切り口から湯気が出てとても美味しそうだ。

「おお、素晴らしい出来栄えだな。外はカリカリ、中はふわふわだ」

 感心したように言うと、全体を半分ずつに切って合計八個に切り分ける。

 それを見たシルフ達が寄ってきて、風を送って少し冷ましてくれる。ショートブレッドは、焼き立ては柔らかすぎて手で持って食べられないからだ。

 それを見たニコスは笑顔で振り返った。

「さあ、レイの力作を頂きましょう。スープとサラダも手伝ってくれたんですよ」

 野菜の入ったスープと、芋とハムのサラダはそれぞれいつものお皿に取り分けられた。



 ちょっと遅めの朝食は、賑やかで楽しい時間になった。

 少し甘めの塩の効いたショートブレッドは、野菜のスープとよく合ったし、ハムと芋のサラダとも相性抜群だ。

「これは美味い。よかったなニコス、弟子が出来たぞ」

 ギードがショートブレッドを食べながら、感心したように言う。

「本当に美味しいですね。レイは何でも出来るんですね。素晴らしい」

 タキスも、食べながら感心しきりだった。

「このレシピは、バターとお砂糖がある特別な時にしか作ってもらえなかったから、作ってもらうのがすごく楽しみだったの。あ、そう言えば、降誕祭の時にも焼いてもらった事があるよ」

 皆が嬉しそうに食べるのを見て、レイも嬉しかった。



 自分にも出来る事があった。

 皆を一つでも喜ばせる事が出来た。



 嬉しくて嬉しくて、食べながらちょっとだけ涙が出たけれど、少し冷めたスープと一緒に全部まとめて飲み込んだ。

「良かった、僕にも出来る事があったね」

 多分、ここに来てから始めて、心の底から笑った。

 嬉しくて、そして皆が愛おしくて笑った。

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