小春日和
鉱山から出てきたギードは、地上に出ると、深呼吸をしてから大きく背伸びした。
「さて、それでは閉じてしまうと致そうかの」
そう呟くと、持っていた包みの中から、瓶に入った聖水と塩の入った袋を取り出した。
塩を階段の辺りに振りまいてから、聖水をその上に落とす。残りの聖水を自分の掌に流して、濡れた手で壁を叩いた。
「この地を守りし方々にお願い申し上げる。我が再びこの地を訪れるまで、どうぞこの地を閉じて、お守りください」
大きな声でそう言うと、そっと手を離して草地へと出た。
すると、地響きと共に大きく裂けた岩が左右からせり出してきて、あっという間にその裂け目を閉じてしまった。
草地の切れ目に、一人のノームが出てきた。
ギードを見上げて無言で手を差し出す。ギードは笑ってしゃがみ込むと、そのノームに右の掌を見せた。
『これは働き者のドワーフの手良い手良い手知ってる手働くこの手が開く鍵』
嬉しそうにそう言うと、ノームはギードの手を叩いて消えてしまった。
「春までよろしくお願いします。さて、タキスは戻ってきたのかのう」
そう呟くと、元来た森の中の石畳の道を戻って行った。彼の頭の上と歩く先には、光の精霊達の灯す明かりがずっとついて来ていた。
タキスと別れた草地へ出る。
立ち止まって辺りを見渡したが、タキスもラプトル達も姿は見えない。
「まだか、ならば少し待つとするか」
そう言うと、日の当たる草地に腰を下ろした。
実は、タキスがこの地に何を葬ったのかを、ギードはノーム達から聞かされて知っている。
実際に、その場所に行ったこともある。
だが、直接タキスにそれを言った事はないので、タキスは、彼の息子の墓がここにあると、ギードが知っている事を知らない。なので、タキスが戻って来るまで、素知らぬ顔でここでのんびりと待つ事にしたのだ。
「ようやく、墓参りが出来るようになったのか。随分と長い事かかったもんだのう。まあ、それだけ心の傷は、深いのであろうがな」
一つため息を吐いて、空を見上げた。
ノーム達から聞いた話では、タキスが初めてこの森に来たのは、もう五十年は前になるらしい。
ここに住む事になった彼の事は、森の精霊達も興味津々だったのだが、来た当初は、精霊達の姿を見ても全くの無反応で、精霊魔法を使おうともしなかったのだと言う。
湧き水の他は、森で採れるわずかな木の実や果物を食べる程度で、どんどん弱るばかりだったのだと聞いた。
だから、ここへ来て黙々と自力で墓を掘り始めた時も、姿を隠したまま、皆心配しつつ見ていたのだと。
無言のまま息子の髪をそこに葬ると、その後、彼は何日もその場からうずくまったきり動かなかったそうだ。
このままでは力尽きてしまうと、見兼ねたシルフの一人が彼の肩を叩き、その時初めて森の精霊達と彼は言葉を交わした。
それから少しずつ、精霊達と仲良くなっていったのだが、その時以来、彼は一度もここへは来ていないのだと言う。
具体的に、彼と彼の息子に何があったのかはギードは知らない。
しかし、あの人間に対する嫌悪感や恐怖心は尋常ではない。
明らかに何か、人間との間に大きな問題を抱え、彼は、それを未だに乗り越えられずにいるのだ。
「レイの存在が、彼の救いになってくれるのなら……きっと、ご子息も喜ばれる事だろうにな」
そのまま、後ろに寝転がり草地に仰向けになる。見上げた晩秋のよく晴れた空には、細かな雲が輝いている。
「良い日和だ」
そう呟くと、大きな欠伸を一つした。
優しい風に誘われてうとうとし始めた時、草を踏む足音が聞こえた。
「おや、お待たせしてしまいましたか」
頭上から、聞こえる声にギードは目を開いた。
「おお、あまりに良い天気なのでうとうとしておったわ」
そう言って起き上がると、辺りを見回す。
「ベラ達はどうした?」
ポリーから降りながら、タキスは笑って林の方を見た。
「三匹なら、林の向こうの草原に、思いっきり走りに行きましたよ。ああ、すみませんがベラ達を呼んで来てください」
そう言うと、現れたシルフに話しかけた。
「光の精霊達に感謝と礼を。お陰で、久しぶりに縦穴全体をを見渡す事が出来たわい」
嬉しそうに言うギードにタキスも笑うと、彼の前で手を振っている光の精霊達に話しかけた。
「ご苦労様でした。戻ってくださいね」
それを聞くと、光の精霊達は姿を消してしまった。
その時、ポリーが顔を上げて高く鳴いた。
「お、戻って来おったな」
ギードが立ち上がって、服に付いた草を払う。
林の中から、三匹のラプトルが並んで走って来た。
「お帰り、楽しかったようだな」
ギードが、ベラの首筋を叩いてやり、乗ろうとして立ち止まった。
「おやおや、お土産付きとはな」
ベラは口元に、丸々と太った草ネズミをくわえていた。
ポリーに口移しで渡すと、ポリーは嬉しそうに一息に飲み込んでしまった。
「よかったですねポリー。それなら私達もお昼にしますか?まあ、もう戻るだけですが」
「ワシは腹より喉が渇いたわい。せっかくの天気だ、早く帰って、上の草原へ行って皆で食わぬか。それなら丁度、トケラや家畜達も連れて行けば、新鮮な草を食わしてやれるだろう」
「ああ、それは良い案ですね。なら、そうしましょう」
そう言って頷くと、タキスはポリーに跨った。
ギードも、軽くなった荷物をオットーの背の袋に入れると、軽く首筋を叩いてからベラの背に跨った。
「それでは戻りますか」
二人は頷くと、騎竜に合図して一気に林の中へ走って行った。
厩舎の掃除を終えて、汚れた干し草を堆肥置き場へ運んでいる時、ニコスは不意に顔を上げた。
「レイ、二人がもう間も無く帰って来ますよ。皆で上の草原へ行って休憩するそうですから、これが終わったら、戻ってお茶の準備をしましょう」
大きな台車を押していたレイは、嬉しそうに振り返った。
「そうなの? うん、じゃあ早く持って行こう!」
そう言って、台車を押したまま走り出した。
「こらこら、慌てると転びますよ」
そう言って笑いながら、ニコスも早歩きで後に続いた。
台車を倉庫に片付けてから、しっかり手を洗って急いで台所へ戻る。
棚から出した手提げのついた大きめの籠に、お湯を沸かす道具、水の入った瓶とやかん、茶葉を入れたポット、それからマグカップを入れようとして手を止めた。
「レイ、さっきのビスケットの瓶をこっちの籠に入れてください」
そう言って、一回り小さな手提げの籠を渡すと、立ち上がって、戸棚から、先日街で買って来た、新しい四個お揃いのマグカップを持ってきた。
「それ、この前、街で買ったマグカップだね」
ビスケットの瓶を抱えて戻ってきたレイが、それを見て嬉しそうに言った。
「ええ、せっかくなのでこれを使いましょう。飲みやすそうな、良いマグカップですよ」
布巾に包んで籠に入れると、他にも、いくつか袋をビスケットの横に詰め込み、別の戸棚から、畳んだ布を何枚か束で持ってきて大きな籠の上に乗せた。
「さあ、行きましょう」
二人は籠を持って外に出た。
「おかえりなさい」
帰って来た一行に、レイが飛び跳ねて手を振った。
「籠をお願いします。家畜達を連れて上がりますから、先に行っててください」
ギードに籠を渡すと、ニコスは厩舎の方へ早足で向かった。
「お願いします」
笑ってタキスに籠を渡すと、慌ててニコスの後を追った。
騎上で二人は顔を見合わせると、そのまま坂道を登り上の草原へ向かった。
厩舎から、トケラと牛や山羊達を連れ出し、シルフに先導してもらいながら坂道を登った。
草原へ出て家畜とトケラを放してやると、皆それぞれ好きに散らばって、のんびり草を食べ始めた。
「ご苦労さん、丁度湯が沸いたところだよ」
ギードが、やかんを持って振り返って笑った。
「良い天気だな、昼寝するには最良の日だわい」
それを聞いて、タキスも籠からマグカップを出しながら笑って頷いた。
足元には分厚い大きな布が敷かれていて、四人寝転がっても十分な広さがある。
「おや、これは素敵なマグカップですね。初めて見ますが、街で買ったんですか?」
春の季節のマグカップを手に取って、タキスが感心したように言った。
「レイのお見立てですよ。本当かどうかは知りませんが、王都で評判の絵師の作なんだとか」
ニコスが、ビスケットの瓶を手に笑った。
「誰が、どの季節を使いますか?」
並べたマグカップにお茶を注ぎながら、ニコスが皆に尋ねる。
「レイはどれが良いですか?」
タキスがレイに言うと、四種類のマグカップを並べてみせた。
「え? 僕が一番に選んでいいの?」
皆が頷いているのを見ると、改めてマグカップを見てみる。
「……これがいいな」
手に取ったのは秋のマグカップだった。蔓に赤いキリルの実が付いている。
「辛いこともいっぱいあったけど、皆に出会えた大事な季節だから……」
三人は息を飲むと、そっとタキスが隣に寄り添った。
「そうですね。私にも大切な季節になりましたよ」
そう言って額にキスすると、抱きしめてやる。
「待って、お茶がこぼれるよ」
目を潤ませて、ふざけた口調で笑う姿に、皆笑顔になった。
「それなら、私は春を使いますね。実は私は、春の生まれなんです」
タキスがそう言って、春のマグカップを手に取る。
「春生まれなの?それなら僕と同じだね」
それを聞いて、レイが嬉しそうにタキスにキスをした。
「なら、これだな。ワシは冬生まれだぞ」
「俺も冬生まれだが、確かここへ来たのは、夏の盛りだったよな」
そう言って、それぞれのマグカップを手に取った。
皆でマグカップを手にしたまま、精霊王へお祈りをしてから、ビスケットの蓋を開けた。
タキスとギードは、先にニコスに作ってもらった昼食の包みを開いた。
「いつ食べても、このビスケットは、美味いわい」
ギードが、食後のビスケットを食べながらそう言うと、タキスも胡桃のビスケットを一口食べて、大きく頷いた。
「本当に、同じ材料を使って、どうしてここまで味が違うのか……料理とは本当に不思議です。これこそ魔法だと思いますね」
そんな二人の会話を聞いて、うんざりした顔で、ニコスが言った。
「俺にしてみれば、あんなに良い材料と台所があって、あんな料理しか作れない貴方達の方が、余程不思議だよ」
「……そんなに酷かったの?」
ビスケットを齧りながら、ニコスを見上げると、ニコスは、苦笑いしながら舌を出した。
「もう一度、あの料理を食べろと言われたら……俺は泣きますね。あれは食材に対する冒涜だ」
「ひどい言われようだが、反論できんな。確かに、食材には文句を言われていただろうな」
ギードがしみじみ言うのを聞いて、皆揃って吹き出した。
お昼ご飯とお茶の後は、道具を片付けて、皆で仲良く並んで寝転がる。レイのお腹には、薄い毛布も掛けられた。
優しい晩秋の日差しはとても暖かくて、皆気持ちよくお昼寝した。
レイの前髪の隙間と襟元、それに毛布の間には、朝のようにシルフ達が潜り込んで一緒に寝るふりをしていた。
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