置いてけぼりの寂しん坊

 タキスとギードを見送ったニコスは、薬草園で、香りの強い薬草の新芽を摘みながらシルフに声をかけた。

「すみませんが、レイが目を覚ましたら知らせてもらえますか」

 薬草の葉に座っていたシルフが、頷いていなくなったのを確認すると、籠を持ち直し、また新芽を摘み始めた。

 籠いっぱいに摘み終わると、台所へ戻って摘んできた新芽を洗う。平たい籠に洗った葉を広げて水を切ると、そのまま食料庫へ持って行った。

 机に積み上がった包みの山を見て苦笑いすると、辺りを見回し、背もたれの無い丸椅子の上に籠を置いた。

「さて、少しでも片付けるか」

 そう言って、棚と壁の隙間に立て掛けてあった折り畳みの机を、二台取り出して組み立てて並べた。

 その上に、机の上に積み上がった包みや袋を一旦全部移動させる。それから、手前の包みを一つ手に取ると、机の上に中身を出していく。

「これは胡椒か。おお、中々良い香りだ」

 嬉しそうに言うと、胡椒の入った袋の中身を確認し、種類ごとに分けて並べていく。

 トレーに種類ごとに取り、壁際に持っていく。

 そこにあるのは、背丈ほどもある木製のスパイス入れで、小さな引き出しが縦横一面にぎっしりと並んでいる。

 引き出しに貼ったラベルの文字を見ながら、それぞれの場所に入れていった。

 机に戻るとまた別の包みを開く。

「これは岩塩だな、これも良い品だ」

 薄いピンク色の岩塩は、薄紙で包んでから、別の棚下から持ってきた空の木箱の中へ入れていく。

 木箱は足元に置いたまま、次の包みを開く。その時、目の前にシルフが現れた。

『起きた起きた』

『慌ててるの』

『起きた起きた』

『大慌て』

 楽しそうに笑いながら、次々と現れて言ってくる。

「そうですか。それでは、寝坊助さんに食事を出してあげましょう」

 笑って言うと、机の上はそのままにして立ち上がった。




 ぐっすり眠っていたレイは、気持ちよく目覚めた時、妙に明るい部屋に違和感を覚えた。

「あれ? 何で、こんなに明るいの?」

 ベッドから起き上がって部屋を見回し、思わず声をあげた。

「え? 待って、どうしてこんなにお日様が高いの」

 いつもなら、窓から差し込む光が反対側の壁に届く筈なのに、斜め下に差し込む光は、今は床の絨毯を照らしている。

「……もしかして、僕、ものすごく……寝坊した?」

 一人で静かに慌ていると、シルフ達が現れて、頭や肩に座った。


『今日はお休み』

『今日はお休み』

『ゆっくりゆっくり』

『お休みお休み』


 嬉しそうに次々と、今日は休みなんだと言う。

「ええ、そんな筈ないだろ。今日はスパイスを片付けるって言ってたよ。どうしよう大変だ、お手伝いしないと」

 ベッドから降りると、急いで服を着替えて洗面所へ走った。



 大急ぎで顔を洗って居間へ行ったが、机の上には、いつもの平たい鍋が置いてあるだけで、がらんとした居間には誰もいなかった。

「誰も……誰も……居なく……なっちゃった」

 机の横に立ったまま、呆然と呟く。

 目の前が霞んで、一気に涙がポロポロと頬を転がった。

「おはようございます。と言っても、もうお昼ですよ」

 背後から、笑みを含んだ声が聞こえた。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま振り返って、居間へ入ってきたニコスに駆け寄って、抱きついて、必死でしがみついた。

「よかった……皆……何処かに行っ……ちゃった……のかと……思った」

 それきり、無言で抱きついたまま離れない少年に、ニコスは驚いたが、苦笑いすると力一杯抱きしめ返した。

「タキスとシルフ達が起こしても、起きなかった寝坊助さんは誰ですか」

 抱きしめたまま、ふざけた口調で笑って軽く言ってやる。

「ごめんなさい……」

 消えそうな小さな声で謝る少年の姿に、ここがまだ、彼にとって完全に自分の家だとは思えず、未だに安心しきれない不安定な心を見た気がした。

「疲れたら、誰だって寝坊する事くらいありますよ。そんなに謝る程の事ではありません」

 優しく背中を叩いて、もう一度抱きしめた。

「お腹空いたでしょう。貴方の分は置いてありますから、まずはご飯にしましょうか」

 そう言うと、ゆっくりと抱きしめていた手を離す。赤い目のまま、顔を上げると、レイは部屋を見回してまた不安そうな顔になった。

「ねえ、タキスとギードは? 厩舎のお掃除? それとも昨日の荷物の整理中なの?」

 今にも走って行きそうな勢いで聞いてくるのを、額にキスして止めてやる。

「タキスとギードは出掛けました。ギードの仕事場である鉱山は、冬の間は閉めてしまうので、その為に行ったんですよ。二人とも昼過ぎには帰りますから、心配しないでくださいね」

「ええ、僕も一緒に行きたかった」

 それを聞いて、先程とは違う意味でしょんぼりする顔を見て、ニコスはまた笑って、赤くなった鼻の先を摘んで歌ってやる。

「置いてけぼりの寂しん坊、ついて行きたきゃ早くしな。置いてけぼりの寂しん坊、泣いても戻って来ちゃくれぬ」

 それは、泣く幼い子をあやす時に歌われる、古くからある童謡の一節だった。

「僕はそこまで子供じゃ無いよ」

 目をこすって笑いながら、ニコスの顔を見て舌を出した。

「それなら、まずはちゃんとご飯を食べてくださいね。それから一緒に厩舎を掃除しますよ」

 頭を撫でてそう言うと、机の上に置いてあった鍋の蓋を開けた。

 中では、火蜥蜴が一匹、焼いたベーコンと目玉焼きの上で丸くなって寝ていた。

 寝ぼけた顔を上げると、こっちを見て欠伸をしてからいなくなった。

「貴方の分の、いつものお皿とスープカップを出してください。ああ、スプーンとフォークもね。それから、二人分のお茶の用意もお願いします。茶葉は、黒い瓶のとその横のを、ポットにひと匙ずつ入れてくださいね」

 敢えていつもと同じ口調で言ってやると、嬉しそうに頷いて、棚から言われたものを出して準備を始めた。

 竃の横に置いてあった、スープの入った小鍋を火にかけて温める。隣の火には、湯を沸かすためのやかんをかけておく。

 あっという間に温まったスープを、スープカップに入れて渡し、窯の中に入れて温まったパンも取り出して、籠に入れて渡してやる。

 それから、沸き立つやかんを机に持っていき、用意してくれた茶葉を入れたポットに湯を入れる。

「さあ、しっかり食べてくださいね。私はこれを頂きます」

 そう言ってハムと目玉焼きをお皿に入れて渡すと、戸棚から蓋のついた瓶と小皿を二枚取り出した。

「あ、それってもしかして、この前お休みの日にお弁当と一緒に入れてくれたビスケット?」

 瓶と小皿を机に置いて、カップにお茶を入れていると、まだ赤い目をしたレイが嬉しそうに言った。

「ええ、そうですよ。ちょっと小腹が空いた時なんかにとても良いんですよ」

「そのビスケット、すごく美味しかったよ」

 瓶を見ながら嬉しそうに言う。

「ここに入れてありますから、遠慮せずにお腹が空いたらいつでも食べて良いですよ。無くなったらまた焼きますからね」

 そう言うと、数枚のビスケットを取り出して二枚のお皿に置いていく。

「こっちは、食べたこと無かったでしょう?」

 先程の戸棚から、また別の瓶を二つ持ってきた。

「これは胡桃、こっちは干したキリルが入ってます。ビスケットも少しずつ味が違うんですよ。後で味見してくださいね」

 そう言ってそれぞれの瓶から、またビスケットを数枚ずつ取り出してお皿に並べた。

 食前の祈りを一緒にしてから食べた。

 しっかり、食後のビスケットまで平らげて、すっかり機嫌の直った少年は、後片付けを手伝いながら、悔しそうに言った。

「シルフが一度起こしてくれたのは覚えてるんだけど、タキスが起こしに来てくれたのは覚えてないの」

 洗い物をしながら、ニコスはそれを聞いて笑った。

「よっぽどお疲れだったんですね。まあ、普段と違う事すると疲れますよね。俺も実を言うと、かなり眠いんですよ」

「僕はもうすっきりだよ。それなら厩舎のお掃除は僕がするから、ニコスはお昼寝しててよ」

「おやおや、ものすごく魅力的な提案ですが、皆が帰ったら昼寝にしようかと言ってたんですよ」

 洗った食器を布巾で拭きながら、ニコスは笑った。

「だから、帰って来るまでに、いつもの仕事は片付けておかないとね」

「うん、僕がしっかり働くから、じゃあニコスは監督しててね」

 食器を半分受け取って、一緒に棚に片付けながら嬉しそうに言った。

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