ブレンウッドの街
トケラの引く荷馬車は、足場の悪い草地も平気で力強く進んで行った。ようやく東の空が白み始めた頃には、林を抜けて小さな小川沿いにある細い道に出た。
「さて、ちょっと休憩して朝ご飯にしましょうか」
ポリーに乗ったニコスがそう言うのを聞き、ギードは小川沿いにある小さな空き地に荷馬車を止めた。
ギードが降りて荷馬車の横の金具を外すと、荷台の下が二重底になっていて、小さなテーブルが引き出せるようになっていた。
「すごい、机が出てきた」
思わず拍手すると、ギードが笑った。
「ドワーフの手慰みですよ。机があると、色々と楽ですからな」
荷物から小さな簡易コンロとやかんを取り出すと、手早くお茶を沸かす。あっという間に食事の準備が整った。
「すごいや、僕の手伝うところが全然無かった」
パンの包みを開けながら言うと、二人が笑った。
「道中は、余りゆっくりもしていられませんからな。手早く食べて、片付ける。旅の常識ですよ」
燻製肉やベーコンをたっぷり挟んだパンは、どれもとても美味しかった。
「ブレンウッドの街までどれくらいかかるの?」
食べながら聞くと、街に到着するのは昼過ぎだと言われて驚いた。
「え? そんなに早いの?」
以前、一度だけ街へ連れて行ってもらった時は、深夜に出発して、ずっと休みなしで街道を歩き続けて、到着したのは昼をとうに過ぎた時間だった記憶がある。
あの時は、大人の足に付いて行けると言った手前、文句を言うこともできず、バフィーとマックスと一緒に、三人揃って必死で歩いた覚えがある。
街にいる時間は僅かだったし、帰りは本街道の途中で野宿したけれど、それも大切な思い出だった。
「トケラの脚はこう見えて早いですからね、街道へ出たら分かりますよ」
ニコスが食べながら指差す方角には、林が見えている。
「あれを超えたら本街道に出ますからね。一気に人が増えますよ」
「伝令や通信文を運ぶ飛脚竜が真ん中、その横の車道を馬車や荷馬車が、人は両端を通るのが、本街道を行く時の約束ですから覚えておいてくだされ」
ギードがお茶を飲みながら、教えてくれた。
「じゃあ、僕らはその車道を行くんだね」
「そうです。それと、一つ注意しておきます」
ニコスが改まって言うので、食べるのをやめて思わず座り直した。
「こちらは竜人とドワーフですから、下手すると人間からジロジロ見られます。気にしないように」
ちょっと考えて、自分の姿が今は竜人の子供になっている事を思い出した。
「竜人の子供って珍しいの?」
「まあ、いない訳では無いんですが、あまり人間のいるところには出てきませんからね」
苦笑いしながらニコスが言うと、レイの後ろに回って、マントの背中と襟元を触り始めた。
「何? どこか変だった?」
振り返ろうとしたら、フードを被せられた。
「このマントは、襟の部分にフードが畳んで入ってるんですよ。その耳は人目につきやすいですからね、街道に出たら、帰るまでフードを被っておきなさい。日除けにもなりますしね」
「それと、絶対に我らから離れてはなりませんぞ」
横からギードも怖い顔で言うので、何度も頷いた。
「勝手な行動はとりません。良い子で大人しくしてます」
顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「まあ、分かっておるようで安心したわい。さて、とっとと食って出発じゃ」
その時、目の前に
「あれ、どうしたの?」
レイの周りをくるくる回るので、パンを飲み込んで聞いてみたら、襟元を突かれた。
「何?……あ、ペンダントの事かな?」
マントの中からペンダントを出すと、三人のシルフが、ペンダントに吸い込まれるようにいなくなった。
「ああ、恐らく蒼竜様の寄越して下さったシルフでしょう。その子達と一緒にいれば、迷子になりませんよ」
ニコスが教えてくれた。
「よろしくね」
ペンダントを手にとって話しかけると、一瞬ペンダントがふわりと浮き上がって静かになった。
「ほお、中にいても呼びかけに反応できるとは、さすがじゃな」
感心するようにギードが覗き込んで笑った。
林を抜けると、一気に視界が開けた。
広い街道を、幾人もの人や馬車、荷車が行き来している。
横道から本街道へ合流すると、トケラがスピードを上げて真ん中の車道へ入った。
「本当だ、今までと速さが違うね」
小声で言うと、ギードが地面を指差して教えてくれた。
「今までは、草地や柔らかい土の地面だったが、街道は平らな石が敷いてあるじゃろ、これのおかげで早く進めるんじゃ。特にこの荷馬車は重い荷物を載せとるからな。石畳に入ると、一気に楽になるんじゃ」
「しかし今日は空いてるな、これだと昼頃には街へ着けるんじゃないか」
ポリーに乗ったニコスが、荷馬車の横を並走しながら笑っている。
「確かに空いとるな、もう少し早くても大丈夫か?」
ニコスが頷くのを見ると、ギードはトケラに軽く力綱を打った。
一気にスピードが上がる。
「落ちないようにな。しっかり掴まっていなされ」
横目で見ながらそう言われて、頷いて横にある手摺をしっかり握った。
「ほら、あれがブレンウッドの街じゃ。街を守る城壁が見えるぞ」
街道の先には、
ブレンウッドの街は、街全体を城壁が取り囲んだ構造になっていて、辺境の城郭都市と呼ばれている。
大昔は、この街のあった場所が国境で、西の国との戦争状態だった時代の名残りだ。国境がもっと西にある現在では、城壁の周りにも新しい街が作られ、旧市街、新市街とそれぞれ呼ばれている。
「さて、レイの分の住民票を作らねばならんから、まずは面倒な手続きじゃな」
ギードがうんざりしたように言うと、ニコスも頷いて同意した。
「でもまあ、この姿ですからね。我々が人間の少年を連れて入るよりは簡単でしょう」
苦笑いしながら、二人揃って頷いた。
その時、ひとりのシルフが現れてレイの襟元に潜り込んだ。しばらくもぞもぞしていたが、フードのたるみ部分に入ってレイの頬にキスをすると、そこに座ってしまった。
「おやおや、あなたも一緒に入るんですか?」
それを見てニコスが言うと、シルフは嬉しそうに頷いた。
「レイ、どうやらこの子が付き添ってくれるみたいですよ」
「これは、案外簡単に済みそうじゃな」
二人が、顔を見合わせて笑った。
「街へ入るためには、身分証明書が必要なんじゃ。ワシらは持っておるが、レイは持っておらんじゃろ。なので、仮の証明書を作ってもらうんじゃ」
「どうやって作るの?」
「まあ、任せておけ」
そう言うと、街へ入るための行列に荷馬車ごと並んだ。太陽はもうすぐ頂点に上がる時間だ。
城壁に造られた大きな門の横では、街へ入る人達で幾つもの列が出来ていて、それぞれに兵士が対応している。
しばらく並んでようやく順番が来た。
二人は胸元からそれぞれカードを取り出して兵士に見せた。それから、レイの背中に手をやってニコスが言った。
「知人に頼まれまして、しばらく竜人の子供の面倒を見ることになりました。住民票の仮発行をお願いします」
兵士は、ちらりとレイを見る。ギードがフードを落として顔を見せると、納得したように一枚の木の札を渡した。
「そちらの受付で、手続きを」
事務的に言うと、もう次の対応に当たっている。
「さて、次へ行くか」
ギードが受け取った札を手に、トケラに合図して荷馬車を動かして進み、言われた受付のある建物へ向かう。
一旦、入り口横に荷馬車を停めて、ニコスがポリーから降りて、木札を受け取ってからレイと一緒に受付へ入っていった。ギードはポリーと一緒にそのまま荷馬車で待っている。
中を見て、空いている窓口へ向かった。
「おや、竜人の親子とは珍しい」
窓口で対応してくれたのは、人間の女性だった。
「俺の子供じゃありません。知人から預かった子なんですが、竜人の郷から直接来たので、証明書が無いんですよ。ここでは俺が保護者になりますので、住民票の仮発行をお願いします」
木札と、自分の身分証明書を渡しながらニコスが言い、代わりに渡されたペンと紙にサラサラと書き込んでいく。
ここでも、フードを落として顔をみせた。顔の横でシルフが座っている。
すると、女性はシルフに話しかけた。
「その子は貴女のご主人なの?」
『そう大好き大好き』
シルフが何度も頷く。女性はそれを聞くともう何も聞かずに書類にハンコを押して、黄色い紙にいくつか書き込み、割り印をしてから渡してくれた。
「これが仮の住民票です。正式に登録するなら、次回に手数料の銀貨三枚と一緒にこの証明書を持ってきてください。仮でも住民票の再発行には手数料がかかりますので注意してくださいね。今回は仮発行ですので銀貨一枚です」
銀貨と言われてびっくりしていると、ニコスが懐から袋を取り出し、そこから銀貨を取り出して渡した。
「良い一日を」
礼を言って外へ出る。レイは驚いて言葉も出なかった。
「銀貨一枚……銀貨三枚」
どうやって返せばいいんだろう。泣きそうになりながらニコスを見上げると、ニコスは笑って頭を撫でてくれた。
「俺はあなたの保護者ですからね、当然あなたを養う義務があるんですから、何も心配はいりませんよ」
「終わったか。よし、じゃあまずはギルドへ行こう。荷を下ろして身軽になってから飯じゃな」
二人が出てきたのを見ると、ギードが伸びをしながら言った。
「そうですね、まずは軍資金を調達しましょう」
ギードの声にニコスも答えて、レイを御者台に座らせるとポリーに乗った。
大きな城門を抜けて街の中へ入る。
新市街の表通りは、同じような形の大きな石造りの建物が幾つも並び、とても綺麗だ。
「旧市街地はもっと綺麗ですよ。後でゆっくり見ましょうね」
嬉しそうにあちこち見回すレイの姿に、ニコスが笑いながら言ってくれた。
「ごほうびも忘れてませんぞ、昼からの買い物で、欲しいものがあったら遠慮なく言いなされよ」
ギードに言われて、レイは大きく頷いた。
「でも、そんなにゆっくり出来ないでしょ? 早く帰らないと日が暮れちゃうよ」
心配する少年に、二人は顔を見合わせて笑った。
「おや、言ってませんでしたか? 今晩はここに泊まりますよ」
「ワシの昔馴染みの夫婦が、ここで宿屋をやっててな。そこは飯も美味いんじゃ」
「なので、いつもその宿で一泊するんですよ」
「宿屋に泊まるなんて初めてだ」
ギードを見ると、頭を撫でてくれた。
「この街にいる間は、我らがレイの
「そうですよ、子供が遠慮なんかするもんじゃありません」
二人が笑って言ってくれたので、嬉しくてちょっと涙が出た。
「ありがとう」
心からの言葉が自然と出た。
もう一度顔を上げて街並みを見る。
真上からの優しい秋の日差しに照らされて、並んだ建物が輝いて見えた。
「お買い物、楽しみにしてるね」
笑って言うと、目の前でシルフがクルクルと回って手を叩いた。
「シルフもお買い物したいのかな?」
思わず呟くと、それを聞いたニコスとギードは同時に吹き出した。
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