タキスの魔法

 翌朝、風の精霊シルフ達に起こされた時、外はまだ真っ暗で夜明け前のかなり早い時間だった。


『お出掛け準備』

『お出掛け準備』

『早く早く』

『起きて起きて』


 揃って、いつもよりかなり力一杯髪を引っ張ってくる。

「おはよう、起こしてくれてありがとう。でもさすがに……まだ眠いです」

 体を起こして目をこすりながらなんとか挨拶したが、気を抜くと、そのまままた眠ってしまいそうだ。

「レイ、準備があるのでそろそろ起きてください」

 その時、扉を叩く音とタキスの声がした。返事をしようとしたが、代わりに大きな欠伸が出た。

「おやおや、吸い込まれそうな大きな欠伸ですね。おはようございます」

 それを見たタキスが笑う。

「おはようございます。まだお外は真っ暗だね」

 なんとかベッドから降りながら答えると、タキスが着替えを渡してくれた。

「急いで、これに着替えて顔を洗ってきてください。先にやる事がありますからね

 慌てて寝間着を脱いで、手渡された服を着ようとして驚いた。


 ズボンは、厚手のしっかりとした生地で作られており、ゆったりとしている。シャツは、これもやや厚手の生地だが、とても柔らかく肌触りが良い。その上に着るセーターは、先日、地下の貯蔵庫に行く時に着たものだった。軽くてとても暖かい。

 急いで着替えたレイの姿を見て、嬉しそうに笑った。

「よく似合ってますよ。さあ、顔を洗ってきてください」

 急かすように背中に手をやると、一緒に部屋を出て洗面所へ向かった。




 顔を洗った後、連れていかれた部屋は、家具が何も置いていないとても広い部屋だった。

 そこにはニコスとギードもいて、顔を見ると手を上げて挨拶してくれた。

「おはようございます、ここで何をするの?」

 不思議そうに言う少年の目の前に、タキスがしゃがんで真面目な顔で言った。

「街へ行くための準備です。今からあなたに魔法をかけます」

「ま、魔法?何をするの?」

 さすがに驚いて尋ねると、ニコスが悲しそうに言った。

「災難除けだと思ってくれればいい。人間の子供を、ドワーフと竜人が連れてるのは……さすがに不自然なんだよ」

「そんな……僕、ここにいちゃいけないの?」

 急に怯えるように言う少年を、タキスが抱きしめた。

「違います。あなたは私達の大切な家族ですよ。でも、街には人間が大勢いるでしょう。悪い事を考える奴もいます。だから、あなたを守る為にするんです」

 レイの頬に手を添えて、タキスが笑って答えた。

「今からあなたの姿を魔法を使って竜人の子供に変えます。そうすれば、一緒にいても大丈夫でしょ」

「すごい! そんなこと出来るの!」

 びっくりして大きな声が出たが、皆笑顔で頷いた。

「さあ、こっちへ」

 促されて来た部屋の真ん中には、床に、円形の不思議な模様が描かれていた。

「ここに立ってください。動かないでね」

 もう一度抱きしめてから、レイの手を取り模様の真ん中へ立たせる。

 その時、レイのペンダントが光って、目の前に光の精霊が三人現れた。

 タキスの前まで行くと、両手を振り回して何か言っている。タキスも真剣な顔で聞いている。

「手伝ってくださるのですか、それはありがたい、是非お願いします」

 そう言うと、タキスの頭の上にも少し色の違う光の玉が二つ現れ、小さな頭巾を被った小人の姿になった。

 五人の光の精霊達は、輪になってくるくると回りながらレイの頭上まで来た。

 動かないでと言われたのでじっとしていたが、何をするのか興味津々で、レイは光の精霊達とタキスの事を見ていた。

 ニコスとギードは部屋の端まで下がって目を輝かせて見詰めていた。

 床に書かれた模様の端に立ったタキスは、大きく一つ息をすると、ゆっくりと目を閉じた。

「謹んで精霊王に申し上げ候、王より賜りしその子の姿を一時ひとときの間、偽る事をお許しあれ」

 そう呟くと、タキスがやや高い声でゆっくりと唄を歌い始めた。

 それは、聞いた事のない言葉で、少し物哀しい旋律を伴い部屋中に響いた。ニコスとギードもそれに続いて歌い始める。

 ニコスが中音を、ギードが低音を歌い、三人の声は調和して美しい合唱ハーモニーとなり、部屋に響き渡る。

 初めて聴くその美しくも優しい歌声に、レイは声も無く聞き惚れていた。



 その時、頭上にいた光の精霊達の声がレイの耳にも聞こえた。


『供物の歌声は確かに届いた』

『美しい歌声愛しい歌声』

『優しい歌声優しい歌声』

『愛しい歌声美しい歌声』

『変えろ変えろ愛し子の姿』

『変えろ変えろ愛し子の姿』


 そして、部屋中に光の粒があふれた。



 何度も点滅を繰り返すその光の粒は、レイの体の周りに集まり彼の体を包み込んだ。

 もう一度光があふれる。

 一瞬の閃光の後、部屋の真ん中に立っていたのは、やや赤みがかった黒髪と黒い目、尖った耳と、人間よりも大きく高い鼻の竜人の少年だった。




「おお、これは見事なもんじゃ」

「なんと、これは確かに見事なもんだ」

 二人が感心したように呟く。

 レイは、恐る恐る顔を触ってみて声をあげた。

「え、なにこれ。鼻が大きくなってる。うわ! 耳がとんがった」

 髪も変わっていて、今までのふわふわな癖毛の短い髪ではなく、肩のあたりまで長くなっていた。

「見たい見たい! どんな風になったの」

 タキスを見ると頷いてくれたので、大急ぎで洗面所へ走った。

 鏡の向こうでは、竜人の少年がこっちを見ている。手を挙げると鏡の中の少年も手を挙げる。間違いなく自分の姿のようだ。

「すごい、こんなに変わるなんて……」

 でも、よく見ると不思議だけれどやっぱり自分の顔だと言う事に気付いた。

 顔の表情だったり、首を傾げる時の感じなどは、ほとんど違和感がない。

「タキスってすごい人だったんだな」

 鏡を見ながら呟くと、後ろにタキスの姿が映った。

「これで準備は完了ですね。気をつけて行ってらっしゃい」

 髪を梳かしながら、優しい声でタキスが言う。その言い方に不自然さを感じ、振り返った。

「え? タキスは行かないの?」

「すみません。私は街は苦手なんです。人間の大勢いるところは……どうしても駄目なんですよ。ニコスとギードが連れて行ってくれますから、ちゃんと離れずについて行くんですよ」



 その時、タキスがぎゅっと抱きしめてくれた。

「ごめんなさい。少しの間だけ……少しの間だけこうしててください」

 目を閉じて、とても悲しそうに言う彼の姿に、レイは不安になって力一杯抱き返した。

「僕はここにいるよ。ちゃんといい子にしてるし、帰ってくるから大丈夫だよ」

 そう言って、タキスの背中を撫でてやる。どうしてか分からないが、そうしてやるべきだと思ったのだ。

 廊下では、ニコスとギードが黙ってそんな二人を見ていた。



 しばらくすると、抱きしめていた手を解いて、タキスが立ち上がった。

「ありがとうございます。私はお留守番してますから、楽しんで来てくださいね」

 振り返ると、もう廊下には二人の姿はない。

「さあ、出遅れてしまいましたね。荷物を運ぶのを手伝いましょう」

 笑顔のタキスに、安心してレイは元気な声で返事をした。




 外に出ると、家の前ではニコスが、荷馬車をトケラに引かせるための引き具ハーネスを取り付けていた。

 ギードが家から大きな木箱を運んでいるのを見て、手伝おうとしたがタキスに止められた。

「あれは桁違いに重いですから、あなたには手伝うのは無理ですよ。昨日のお薬の袋を運ぶのを手伝ってください」

 タキスと一緒に、昨日沢山作って玄関の横の部屋に置いてあった、薬の袋を運ぶのを手伝った。

 ギードが運んだ大きな木箱を、まずは荷馬車の真ん中に積んでいく。それが終わると、薬の袋を隙間に並べて、他にもいくつかの包みを全部積み込んだら、大きな布で荷物を覆って両端の金具にそれぞれ括り付ける。

 タキスとギードが大きな布を掛けている間に、ニコスは厩舎から鞍と手綱を装着したポリーを連れて来た。

「レイ、マントは?そのままでは風邪をひきますよ」

 タキスに言われて、慌てて部屋へ戻り、マントをタンスから出して着る。

 引き出しからナイフを出して、鞘ごと腰のベルトに装着した。

 もう一度確認すると、急いで外に出る。

 ニコスはもうポリーに乗って待っていた。

「ほれ、レイは此処じゃ」

 荷馬車に乗って、力綱を持ったギードが自分の横の席を叩いた。

 椅子にはクッションが括り付けてある。

 てっきり自分は荷物と一緒に後ろの荷台に乗るんだと思っていたから、大喜びで御者席の横によじ登った。

「では気をつけていってらっしゃい」

 タキスが一歩下がって笑って手を振る。

 ギードが頷いて力綱を打つと、トケラはゆっくりと歩き始めた。

「えっと、いってきます」

 なんと言っていいか分からなくて、それしか言えなかったが、タキスはわかってるんだと言わんばかりに頷いてくれた。

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