新しい家族

 目を覚ましたレイは、教えられた洗面所で顔を洗った後、案内された居間で、大歓迎を受けた。

 居間には竜人のニコスとドワーフのギードがいて、目覚めた事をとても喜び、また、とても心配してくれた。

 言われるままに椅子に座ったところで、レイのお腹がくぅ……と、音を立てた。

 慌ててお腹を抑えて俯いたが、時既に遅し。三人の耳にもしっかり届いてしまったようで、顔を見合わせた三人は、揃ってにっこり笑った。

「さて、腹が減ったわい。話は食ってからじゃ」

「そうですね。まずは腹ごしらえが先です」

「そうそう、何をするにも腹が減っては出来ませぬよ」

 三人とも素知らぬ顔でそそくさと立ち上がり、ニコスが戸棚から皿を出し始めた。

 慌ててレイも立ち上がり手伝おうとすると、横に座りなおしたタキスに止められた。

「今日のところは、大人しく座って見ていてください。慣れればあなたにも手伝ってもらいますからね」



 ギードが、かまどから蓋をした平たく大きな鍋を持って来て机の上に置き、ポンとその蓋を叩いた。すると、一匹の赤いトカゲが突然現れ、鍋の蓋の上にちょこんと座ってこちらを見た。

 驚きのあまり言葉も無く、レイはトカゲとしばらく見つめ合う。

 不思議そうに赤いトカゲは首を傾げる。その様子が可愛くて、思わず笑みがこぼれた。

「君はどこから来たの? そこに乗ると怒られるんじゃないの」

 誰かのペットのトカゲなのだと思い、触ろうとすると、横からタキスが手を抑えた。

「これは火蜥蜴サラマンダーです。あなたなら大丈夫だとは思いますが、気をつけてください。慣れぬうちは迂闊に触ると火傷しますよ」

 驚いて、目の前の小さなトカゲをもう一度見る。

 面白がっているかのようにサラマンダーが口を開く。そして、ごく小さな火の玉を吐いた。

「うわっ!」

 思わず立ち上がり、タキスの後ろに隠れた。

「これこれ、驚かせてどうする、このいたずらっ子め」

 ギードが笑いながらサラマンダーを指で突く。サラマンダーは、まるで、ごめんなさいと言わんばかりに、ギードの指に頭を擦り付けた。

「その子は、鍋を冷まさぬように温めてくれております。良い子でございましょう?」

 ニコスもサラマンダーを突いてから、パンの入った籠を机に置く。

 それから戸棚を開けて、綺麗に洗ったレタスの入った皿を取り出した。

 驚いた事に、みずみずしいレタスの上には、小さな水色の透き通った女の人が、座ってこっちを見て手を振っている。

 レイは恐る恐る椅子に座りなおして、じっと見詰める。

「えっと……おはようございます」

 勇気を出して小さな女の人に話しかけてみた。すると彼女は嬉しそうに笑って体をくねらせ、また手を振ってくれた。

 隣で吹き出す音がした。

 見ると、タキスが口元に手をやり、苦しそうに小さく笑っている。

「し、失礼しました……あなたではなく、姫があまりに……あまりに……」

 突然、水滴が幾つも飛んできてタキスの顔に当たって弾けた。

「やめて下さい姫。もう顔は洗いましたよ」

 タキスが慌てて立ち上がり、また笑った。

 驚いてもう一度レタスの皿を見ると、怒ったらしい小さな女の人が、レタスの上でぴょんぴょん飛び跳ねていた。

「……水の精霊……の姫?」

「そうです。彼女にお願いしておけば、レタスも新鮮なままで置いておけますからね」

 まだ笑みを残した顔を拭きながら、タキスが言う。

かまどや窯、暖炉の中にはサラマンダーが、戸棚に入れた野菜や果物には水の精霊ウィンディーネの姫が居てくれますのでな。あ、水瓶の中にもおりますぞ」

 温めたミルクのコップをレイの前に置いて、ニコスもそう言って笑っている。



「今日も、命の糧を与えてくださった全てのものに心からの感謝を。精霊王の恵みに祝福あれ」

 タキスが顔の前で指を組み丁寧な祈りの言葉を呟く。他の二人も同じ様にするのを見て、レイも慌ててそれに倣った。

 さあ食べようと言われたが、見たこともない豪華な食事に、レイは手を出すのを躊躇った。



 目の前に置かれた平たい大きなお皿には、火蜥蜴が番をしていた大きな鍋から取り分けられた、焼き目のついた分厚いハムと目玉焼きの黄身がツヤツヤと輝いている。その横には、先ほどのレタスも綺麗に盛りあわせてある。

 他にも、机の上にはカゴに入った香ばしい良い匂いのするまん丸のパン、真っ赤なキリルの実も山盛りに置いてあった。

 コップの中では、温められたミルクがこれも甘い良い匂いを漂わせている。

「さあ、たんとお食べくだされ」

 ギードが別の皿にパンを取り、目の前に置いてくれる。これを一人で全部食べて良いのだろうか?

 思わず隣で座っているタキスを見た。

「どうしました? 何か食べられないものがありましたか?」

 パンを取りながら心配そうに聞かれて、音がなる程大きく首を振る。

「えっと、これ……全部食べてもいいの?」

 目の前のお皿を指差す。

「もちろんです、足りなければお代わりもありますからね」

 笑って言われてしまい、恐る恐るフォークを手に取る……その横のナイフはどう使うのかわからない。

 固まっていると、横からタキスがレイの皿を取って自分の前に置いた。

「ああ、気付かず申し訳ありません。ナイフはこうやって使うのですよ。順に覚えて行きましょうね」

 そう言って、分厚いハムと目玉焼きを小さく切ってくれた。

「あの……」

「遠慮なく、どうぞお好きに食べて下さい」

 にっこり笑って皿を置かれた。

 ハムを一切れ食べてみて、驚いた。あまりの美味しさに声も出ない。

 目玉焼きも、ふわふわのパンも、どれも今まで食べていたものとは同じ食べ物とは思えないくらい美味しかった。

 夢中で食べた。

 食べながら、何故だか涙があふれて止まらなくなった。

 泣きながら食べ、しゃくりあげてはミルクを飲んだ。

 タキスが優しく背中を撫でてくれ、ギードがもっと食べろとばかりに、自分の皿から切り分けたハムと目玉焼きを、レイの皿に乗せてくれた。

「誰も笑いませんよ。好きなだけ泣けばいい。そして、お腹いっぱい食べなさい」

 ニコスが焼きたてのパンを籠から取り出して、お皿にそっと置いてくれた。

 もう食べられないとフォークを置くまで、三人ともずっと側にいてくれた。



 キリルの実の入った籠を残して、それ以外は綺麗に片付けられ、食後のお茶が入れられた。

 レイのコップのお茶には、キラキラした蜜も入れられた。

「さて、ようやく一息といったところですかな」

 片付け終わって戻ってきたギードが、レイの頭を撫でながら言った。

「あの……聞いてもいい?」

「なんでしょうか?」

 三人に密かな緊張が走ったのに彼は気づかない。

「えっと、美味しいご飯と素敵な寝床をありがとうございました……それで、一度家に帰りたいんだけど、いけませんか?みんな心配してるだろうし……僕、道が分からないので教えて欲しいんです」

「ゴドの村か」

 ギードが、向かい側の席に座りながら怖い顔で言った。

 村の名前を知っているということは、もしかして誰か他にも逃げてきた人がいたのかと思い聞こうとすると、タキスが立ち上がり肩に手を置いて顔を近づけてきた。

「その事なんですが、我々もあなたに聞きたいことがあります。辛い事を思い出させますがよろしいですか?」

 いつも笑っているタキスも怖い顔をしている。ニコスは黙ってこっちを見ている。

 不思議に思いつつ、頷いた。



「あなたのお母様は、いつからあそこの村に?お父様はどうされたかわかりますか?」

 タキスの問いに、考えながら答える。

「えっと、僕が生まれた時のことをエドガーさんが話してくれたことがあったので、僕が生まれる前からゴドの村にいたのだと思います。えっと、エドガーさんは村の鍛冶屋のおじさんです。それから、お父さんは僕が生まれる前に亡くなったって聞きました。名前はレイルズ、僕の聖なる名前は父さんから貰ったんだって母さんが言ってました」

「お父様やお母様のお里は?」

「お里?」

「生まれ故郷の事です」

「……聞いたことあったけど、もう無いって言ってました」

「無いとな?」

「うん、全部無くしちゃったって……」

 ニコスとギードは顔を見合わせため息をつく。

「故郷は分からぬか、ならば他を考えよう」

「あの……お家に帰るのは……」

 タキスが背中を撫でながら横に座る。

「あなたには、これ以上辛い思いをさせたくはありませんが……」

 タキスがギードを見ると、彼は黙って首を振った。

「すまぬが、村に帰る事は出来ぬ」

「どうして? 帰れないくらいに遠いんですか?」

「昨日、ワシはゴドの村を見てきた……村は全滅しておった」

「ぜん……めつ?」

「生き残ったものは誰もおらなんだ、と言うことだ」


 音が聞こえなくなる。

 咄嗟にタキスが支えてくれなかったら、椅子から転がり落ちていただろう。

「もう少し言いようもありましょうに、なんて事を」

 ショックのあまり硬直して動かないレイを抱きしめて、振り返ったタキスが叫ぶ。

「今、誤魔化したところで、後が辛いだけだ」

 机の上のキリルの実を見ながらギードが怒ったように言う。

 タキスが何度も背中を撫でてくれて、ようやく息が出来るようになった。

 その時、ニコスが見覚えのあるナイフを机の上にそっと置いた。

「これはあなたのナイフですね?」

 震える手にとって握りしめた。

「これは、エドガーさんに作ってもらった僕の宝物のナイフなんです。ありがとうございます、無くしたと思ってた……」

 即席の皮の鞘をそっと外す。

 刃こぼれひとつ無く、綺麗に磨かれたブレード面はレイの顔を映していた。

「エドガーはちゃんと見送ってきた」

 ギードの声に、思わず顔を上げるとギードと目が合った。

「あいつとは長い付き合いでな。冒険者時代から数えると30年以上になるかのう。お互い何かあった時にはよろしく、などと、酒の上での話だと思っておったのに……まさか、まさか本当に見送る事になろうとはな」

 レイは、ぎゅっと目を閉じて泣きそうになるのを必死で堪えた。


『先ずは自分が生き延びる事を考えなさい!』


 襲われて逃げる時に、母が叫んだ言葉を思い出した。母に連れられて村から離れなければ、自分も同じ様に殺されてしまっていたのだろうか?

 もう一度ぎゅっと目を閉じてから息を吐き、顔を上げた。

 三人は黙ってこっちを見ている。

「助けてくれてありがとうございます……でも僕、これからどうしたらいいんだろう……」

「言ったはずです、あなたはもうこの森に受け入れられております。あなたさえ良ければ、ここで我々と一緒に暮らしましょう」

 タキスが横からそっと抱きしめてくれた。

「……いいの?」

「我々も、色んなものを無くして辛い思いを沢山して、ここに辿り着いた者達です。今更一人増えたところでどうと言うことはございませんよ」

「そうですよ、遠慮は無用です。とは言え、明日からはしっかり働いてもらいますからね」

 ニコスも横へ来て抱きしめてくれた。

「よろしくな新入り」

 机の向かい側で、ギードがコップを上げて笑ってくれた。

「……よろしくお願いします」

 涙が一粒こぼれたが、うまく笑えたと思う。

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