それぞれの想い

 音を立てて沸く鍋の中に、刻んだ野菜を入れて混ぜながら、ニコスはため息をつ吐いた。

 蒼竜様から託された少年は、葬儀の後、タキスに抱きついたまま意識を失ってしまった。

 取り急ぎ、家へ連れ帰り休ませたが、丸一日経った今もまだ目を覚ます気配はない。

 医術の心得のあるタキスは、彼の側にずっと付き添っている。



「心配な事だ。だが、今の俺に出来る事はこれくらいしか無いからなぁ」

 そう呟きながらかき混ぜる鍋の中では、煮込まれた野菜がとろとろに溶けている。

 岩塩を削り入れて味を確認すると、蓋をして火からおろし机の上に置いた。

「冷まさぬようにしておいておくれ」

 鍋を叩くと、小さな火蜥蜴が一匹蓋の上に座った。

「さて、パンがそろそろ焼ける頃だが……」

 壁に作られた窯の中を覗き込む。中では二匹の小さな火蜥蜴がパンの間を走り回っていた。

「どんな具合だ?」

 声をかけると、二匹は飛び跳ねてくるりと一回転した。

「ハハハ完璧か。それは良いそれは良い」

 うんうん頷いて、窯から取り出したパンを網棚に並べて置く。

 戸棚からシチューを入れる深めの皿を三枚出しかけて、もう一枚取り出して重ねた。パンを入れるための大きな籠が一つと、取り分けるための小さな皿四枚、全部まとめて鍋の横に置いた。

 別の戸棚を開くと、そこには彩りよく刻まれた果物と、野菜のサラダが置いてあった。それぞれのお皿の上には、小さな水の精霊達が座っている。

「姫、もうしばらくお願いします」

 ニコスの言葉に水の精霊達が笑って頷いた。それを見て笑うと、戸棚をそっと閉めて小さく呟いた。

「早く起きてください。皆で作った美味い食事が待っておりますよ」

 その時、扉を叩く音が聞こえた。どうやら隣人であり同居人でもあるドワーフのギードが来たらしい。夕食には少し早いが、彼も少年の事が心配なのだろう。

「どうぞ、夕食の用意は出来てますよ」

 そう言いながら扉を開けて目を見張った。

 ギードは、大きな斧を持ち兜を被っていたのだ。




 机の上に灯した小さな炎で薬湯の入った小鍋を沸かしながら、タキスはため息を吐いた。

  葬儀の後、倒れた少年を家へ連れ帰ったが、彼は高熱を出し一晩中酷くうなされていた。

 母を呼びながら縋りついてくる少年に、遠い昔に失った、幼かった我が子を重ねたのは仕方のない事だろう。

 縋りつく手を握り返し、何度も抱きしめてやり一晩中付き添った。

 先程飲ませた薬が効いたようで、今は落ち着いて眠っている。

 絞った布で額の汗を拭ってやりながら、こんこんと眠る少年に語りかけた。

「早く起きてください。皆、心配しておりますよ」

 その時、廊下からギードとニコスの話す声が聞こえた。どうやら、もうそろそろ夕食の時間らしい。




 左手の指先で研いだばかりのナイフの刃を撫でながら、ギードはため息をついた。

 このナイフは、蒼の泉の砂地に血まみれのまま置かれていたものだった。いかにあの少年が野盗達相手に孤軍奮闘したかを物語る酷い有様だった。

 気付いて持って帰り、汚れを落として研ぎ直した。

 鋭い輝きを取り戻したナイフは、刃こぼれの一つもなく静かに美しい光を放っている。

 間違いない。これは、長年のギードの友人である人間の鍛冶屋のエドガーの作だ。

 彼は、蒼の森の近くの自由開拓民ゴドの村に住む男で、以前会った時に、村にいる少年二人の誕生日にナイフを作る為、良い鉄鉱石を探していると言っていた。

 山から採ってきた良質の鉄鉱石と作ったばかりの玉鋼を渡すと、とても喜んでくれた事を思い出した。

 これを持っていたという事は、蒼竜様の主となったあの少年は、ゴドの村の少年なのだろう。


 野盗の群れに襲われたと、あの少年は言った。


 行った事はないが、確か、全部合わせても二十人ほどの小さな村だと聞いた覚えがある。

 果たして、エドガーや他の村人は無事なのだろうか?

 最悪の状況を想像して即座に頭を振った。母を失ったばかりの少年に確認させるわけにはいかない……これは、村に縁のある自分の役目だろう。


 研いだばかりのナイフをテーブルに置くと、壁から大きな方の斧を取った。念の為、鎖帷子くさりかたびらを着てから籠手と手袋を装着する。上着を羽織ってから、かまどから火蜥蜴を数匹と、水瓶の中にいた水の精霊にも手首に巻いた籠手の石に入ってもらった。これで人間の盗賊ごときが何人いようと遅れをとる事はない。

「声をかけてから行く事にするか」

 独り言を呟きながら、久し振りに兜を被った。

「早く目を覚まして欲しいが、もう少し眠っていた方が良いのかもしれぬな……」




 大切な主を森の住人達に預けた竜は、寝床である深い泉の中にいた。しかし、考えるのは竜人の腕の中で意識を失った少年の事ばかりだった。

 今の自分に出来る事はないと分かっていても、側にいられない事が悲しかった。

 せめて主に届けと、はるか昔に覚えた癒しの歌をくちずさむ。

 竜の周りでは、彼と共棲している精霊達がクルクルと輪になって歌に合わせて踊っていた。

 不意に顔を上げた。

 ドワーフが一人で泉の方へ向かって来ている。主に何かあったのだろうか?

 歌を中断して、話を聞く為に水面に向かって水を蹴った。

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