新しい仲間

 いきなり目の前に現れた大きな蒼い竜は、自分の事をブルーと名乗り、襲いかかってくる事も無く穏やかな声で話をしてきた。

 それどころか、まるで頬擦りするかのように顔を擦り付けてきて、レイは転んでしまったほどだった。

 どうやら、ブルーは危険な竜ではないらしい。



「ねえ、聞いてもいい?」

 かなりの勇気を出して、レイはふと思いついたそれを聞いてみる事にした。

「我が答えられる事ならば」

 ……これは、聞いても良いという事なのだろう。


「ブルーは……魔法が使えたりするの?」

 思わず右手を握りしめる。

「竜は様々な精霊と共棲しているからな。その精霊の属性の魔法ならば、使えて当然だ」

 当たり前のようにそう答えられ、レイは弾かれたように顔を上げた。

「なら! 母さんの怪我を治せる? もし治せるならお願い!助けて!」

 目の前にある大きな顔に縋り付いた。

「我が治す事が出来るのは、人の子ならばごく軽い外傷程度だ」

「だったら!お願い、母さんは怪我を……」

「死した者を蘇らせる事は、この世の誰にも出来はしない」

 はっきりと告げる竜の声を聞いた時、レイは目の前が真っ暗になった。



 今、この竜は何と言った?

 誰が、なんだって?



「……い……ど…した……」

 誰かが自分を呼んでるみたいだけど、頭の中で、ガリガリと変な音がしていてよく分からない。

 不意に目を開けて、初めて自分が目を閉じていた事に気が付いた。開いた目の前は斜めになった一面の砂地で、顔と体の左半分はびしょ濡れだった。

 ……どうして、こんな所に地面があるんだろう?

 しばらく呆然と考えて、ようやく自分が砂地に倒れているんだと理解した時、目の前に巨大な竜の鼻面が降りてきた。

「どうした、急に倒れるから驚いたぞ」

 何事も無かったかのように平然と話す竜に、何故だか強烈な怒りを覚えた。

 体を起こすと、座り込んだまま手元の砂を掴み竜に向かって投げつける。

「どうして、そんな、いじわるな、こ、と、言うん、だよ」

 また、涙があふれてきて目の前が見えなくなったが、闇雲に砂を掴んでは投げつける。

「どうして、どうして、ど、う、し……て……」

 とうとう我慢出来なくなり、濡れた砂地にうずくまって大声をあげた。

 もう頭の中がぐちゃぐちゃで何がなんだかわからない。


「だって、明日は、バフィ達と森の東側へ行くはずだったんだ! 出来たてのキリルのジャムで、パンケーキを、焼いて、くれるって、母さんは、言ったんだ……砂糖漬けも、食べさせて……くれるって……だって……だって……」

 途中から泣きながらしゃくりあげて、何を言ってるのか自分でも分からなくなった。涙はいくらでもあふれきて、もう息をするのも苦しい。

 なにもかもどうでもよくなって、うずくまったまま大声をあげて泣いた。



 どれくらい時間が経ったのだろう、ようやく涙が止まった。放心したまま身体を横倒しにして、ぎゅっと目をつぶって猫のように丸くなった。



 きっと、みんな悪い夢だ。

 ぐっすり眠って目が覚めたら、母さんがいつものように笑って起こしてくれるに違いない。

 しかし、いつまで待っても安らかな眠りは訪れず、冷たい水が服を濡らしただけだった。


 やっぱり夢なんかじゃない……。

 胸の痛くなるような絶望とともに理解した。


 そのまま仰向けになって目を開けると、上から心配そうに覗き込む竜の蒼い瞳と目が合った。

「何か気に障ったのなら謝ろう、すまなかった」

 ゆっくり身体を起こし、今度は自分から手を伸ばして竜の鼻面を撫でた。滑らかな手触りでほんのり暖かい。

「違うよ、ブルーは悪くない。八つ当たりしてごめんね」

 そのまま、目を閉じ顔を寄せ、竜の鼻面にもたれるようにしてくっついた。

 竜も目を閉じ、ゆっくりとレイの顔に頬擦りするようにした。

 穏やかな竜の様子に、パニックだった頭の中が、ようやく落ち着いて考えられるようになってきた。




 その時、草を踏む音とともに複数の人影が茂みの中から姿を現した。

「おや、人の子ではないか。こんなところで何をしているんだ?」

 場違いな程の呑気な声で話しかけてきたのは、明らかに人とは違った容姿を持っていた者達だった。



 茂みから現れたのは、レイよりは高いが村の男達よりは少し低いであろう背丈の、とんがった耳と大きな鷲鼻が特徴の『竜人族』と呼ばれる種族の二人だった。

「夜明け前から何やら森が騒がしかったですな」

「それで起こされてしまい、とても落ち着いて眠れませんでした」

「それで、蒼竜様の所へ報告に行ってから山へ行く方が良いのでは、と思いました。どうやら同じ事をこいつらも考えておったらしく、ならばと三人で参りました」

 最後に話したのは、先の二人の竜人族とはまた違った容姿をしていた。


「ドワーフだ」

 呆然と見ていたレイが、思わず声に出した。

「ん?そこの子供はドワーフを見るのは初めてか?」

 背丈はレイよりは大きいが、それほど高い訳ではない。しかし、その身体の横幅と厚みは、彼とは桁違いだった。腕の太さは、おそらくレイの太腿よりも太いだろう

 もじゃもじゃのヒゲが、顔の半分近くを覆っている



 初めて見る、自分とは違う種族の者達を、思わずまじまじと見てしまい、我に返って慌てて目を逸らして謝った。

「ご、ごめんなさい」



 この世界には、自分達人間だけでなく様々な種族の者達が暮らしている。これから先、何処かで会う事があっても、自分と種族が違うからといって、自分がされて嫌なことは言ってもやってもいけない。同じ世界で共に暮らす上での最低限の礼儀だ。

 それは、母や村長から何度も何度も聞かされた言葉だった。

 うん、自分だって好奇心丸出しでまじまじと見られたら嫌だと思う。



 その様子を見たドワーフは、大きな声で笑ってからレイの頭を大きな手で撫でた。

「よいよい、指差して騒がぬだけマシというものだわい」

「そうだよな。街で会った子供など、大口開けて指差してこっちを見ていたからな」

 黒い髪の竜人も、笑いながらレイの背中を撫でてくれた。


 もう一人の黄色い髪の竜人が、レイの後ろにいる母の様子に気付いたらしく、ゆっくりと母のそばに歩み寄り、片膝をついて顔を覗き込んだ。そっと手を取り脈を見た後、目を閉じて首を振った。

「まだ若かろうに、何と痛ましい。今朝方の騒ぎの原因はこれか。この方はお前さんの姉上ですか?」

 横になった母の姿が目に入ると、また涙があふれてきた。

「違うよ、僕のお母さんです。えっと……夜明け前に、僕たちの住んでた村に野盗の群れが襲ってきたの……母さんの傷はその時のもの……それで……それで森へ逃げたんだけど、森狼の群れに追いかけられて……」

「もうよい、それ以上言わなくても」

 ブルーが、横から頬擦りして無理な言葉を遮る。

「ブルー。心配してくれてありがとうね」

 滑らかな鼻面を撫でながら顔を上げる。そのまま、そっとまたブルーの顔にもたれかかった。



 その様子を驚いた表情で見ていた三人は、それぞれに何やら得心した様子でうんうんと何度も頷いた。


 ドワーフが、隣にいた黒髪の竜人と顔を見合わせた後、咳払いをしてからブルーに話しかける。

「蒼竜様、これは……その、そう言う事でよろしいのでしょうか?」

「そうだ」

 何故かブルーが即答する。



「それは善き事でございますな。なれど、まずはこのご婦人を弔って差し上げねばなりませぬ」

 ドワーフの言葉に頷いた黄色い髪の竜人が、母の側から立ち上がってレイの前に来て、そっと手を差し伸べる。

「見たところ酷い怪我は無いようですが、立てますか?」

 手を握り返し、引かれるままゆっくりと立ち上がった。あちこち痛むが、動けない程の怪我はない。

「大丈夫です、あの……僕の名前はレイです。えっと……あの……」

「ああ、申し遅れました。私の名はタキス、そこの黒髪のはニコスと申します」

「わしはギードだ、よろしくな」

 ドワーフも続いて名乗ってくれた。



 順に差し出された手を握り返しながら、急に不安になった。自分はこれからどうすればよいのだろう。

 母を弔う? 何処に? どうやって?

 仮にこの人達に頼むにしても、レイにはお礼に払えるお金も、代わりに渡せる品物の一つも持ってはいなかった。

 また泣き出しそうになるのを必死に我慢して、タキスと名乗った竜人を見上げる。

 ところが、彼は優しげな笑みを浮かべて目の前にしゃがんだ。

「ご安心を、全て我らにお任せください。貴方はもう、この森に受け入れられておるのですから。我らの大切な仲間です」

「そうですぞ、心配は無用です。万事我らにお任せを」

 竜人二人が揃って頷く。

「何しろ、竜のあるじとなられたお方ですからな」

 ドワーフの言葉にレイは首を傾げた。

「竜の主って?」

 不思議になって尋ねると、三人は揃って全く同じ行動をとった。

 首を傾げ、口を開きかけてそのまま飲み込み、レイの事をじっと見た後、上を向いた。

 ブルーは横を向いて彼らを見ない。



 竜人二人が無言で顔を見合わせ、ドワーフは額に手を当てて大きなため息を吐く。

 そのままブルーの前へ行き大声で話しかけた。

「とりあえず、我らはお母上の弔いの準備をしてまいります。すぐに戻りますので、その間に、貴方様は、彼にきちんと説明を!さもなくば、我らは、どうなっても知りませぬからな」

 横を向いているブルーにそう言い切ると、レイの前に戻って来てにっこりと笑った

「お聞きの通り我らは少し席を外しますゆえ、どうか戻るまでここで蒼竜様とお話ししていてくだされ」

 それだけ言い残すと、三人は足早に茂みの中に姿を消してしまった。

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