運命との出会い
差し込む朝日に照らされた母の顔は穏やかで、まるで眠っているみたいだった。
「かあ……さん……」
絡まった髪を指で梳きながら、彼は目の前で起こった事実を受け入れる事が出来なかった。
「ねえ、起きてよ母さん」
何度も何度も、呼びかけて揺さぶる。
「そうだ……もう一度お水を汲んでこよう。きっと……それなら目を覚ましてくれる筈だ……」
そっと母を草地に下ろして、ゆっくりと立ち上がって振り返った時、泉の異変に気がついた。
泉の中から上がってくる泡が幾つも弾け、水面にさざ波が立っている。
そして、真っ青な泉の底から何かが上がってくる。
水面が爆発した。
その瞬間、視界の全てが青に染まった。
「……我を呼んだのは、お前か?」
頭の遥か上から声が降ってきた。
驚きのあまり声も無く振り仰ぐと、自分を見下ろす濃い蒼の瞳と目があった。
その瞬間、まるで雷に撃たれたような衝撃が全身を駆け巡った。
ぐっすり眠っていた彼を起こしたのは、火のついたように耳元で騒ぐ、己と共棲する精霊達の声だった。
『大変だ大変だ』
『大変な事が起こってるわ』
『何が起こったの?』
『何が起こってるの?』
『呼ばれたわ』
『呼ばれたのは誰?』
『誰かが
『何?』
『跳んだ跳んだ』
一向に要領を得ない、騒ぐばかりの精霊達から聞き出すのを諦め、彼は水面を見上げた。仕方がない、確かに何かが起こっているようだ。
己に害があるとは思えなかったが、これ程精霊達が騒ぐのであれば、放っておくわけにもいくまい。
身体をくねらせて水を大きく蹴り、湧き出す泡と共に水面を目指す。
その時、声が聞こえた。
『お願い、この子を守って……』
小さな、掠れるような声だったが、多くの精霊達の祝福を得た、強い力を持った者の声だった。
『お前は誰だ? なぜ私を呼ぶ?』
問いかけても答えはない。少し興味を惹かれた彼は、勢いのままに水面から飛び出して砂地に立ち上がった。
砂地の側の草地に二人の人間がいた。
一人はとても小さな子供で、もう一人は草地に倒れている。
「……我を呼んだのは、お前か?」
問いかけると、子供がゆっくりと顔を上げた。
翠の目が自分を見上げたその瞬間、まるで雷に撃たれたような衝撃が全身を駆け巡った。
見つけた!
何の理由もなく、唐突にそう思った。それは久しく忘れていた、
泉から飛び出してきたのは、途轍もなく大きな、美しい青い竜だった。
整然と並ぶ大きな鱗は、薄い水色から濃い青まで、あらゆる青い宝石をごちゃ混ぜにしたかのように見事に煌めいている。鋭い牙が大きな口から垣間見えた。
首元には見事な
尻尾の先には、大きな棘が三本、鱗の向きとは逆向きに生えていた。
立ち上がった二本の後脚はがっしりと太く、大きな爪が大地を踏みしめている。前脚はやや小さく短い。
そして、背中には一対の巨大な皮膜を持った翼が畳まれている。
あの翼を拡げたら、どれ程の大きさになるんだろう……
声も出せない程の驚きの中で、そんな事を思った。
勢いよく飛び出してきた竜だったが、こちらに襲いかかってくる事も無く、問いかけの言葉の後は静かにこちらを見ているだけだった。
一つ息を吐いて、もう一度目の前の竜を見上げる。
「なんて綺麗なんだろう……」
思わず呟く。
驚いたように、竜がわずかに身じろいだ。
「驚いた。我が怖くはないのか?」
いつまでも聞いていたくなるような、低く穏やかで優しい声が、また問いかける。
質問の意味を考えて、まずは最初の問いに答える。
「えっとね、僕は呼んでません。それから、あなたはとっても綺麗で美しいです。怖くは……ないです……えっと、僕を食べたりしないですよね?」
目を瞬いて、子供の言葉を聞いた。
どうやら己を呼んだのは、倒れている娘の方だったらしい。動かない娘を見やり、おそらく、もう生きてはいないであろうと見当をつけた。
「人の子を食べるようなことはせぬから安心しろ」
思わず自分の顔を、子供の目の前まで持っていき身体の下から上へと頬ずりするように擦り付けた。
なんとも言えない、たまらない気持ちになった。
込み上げる感情のまま何度も頬擦りすると、押された子供が後ろに尻餅をついた。
「何するんだよもう、転んじゃったじゃないか」
立ち上がりながら、子供は少し笑った。
「……名は何という?」
一瞬のためらいの後、人の子に問いかける。
「僕の名前?レイだよ、精霊の王様から貰った名前はレイルズ・グレアム」
「レイルズ・グレアム……そうか、ではレイと呼ばせてもらおう」
一度口に出した聖なる名は、驚くほど甘く体に溶けていった。
「あなたはなんて名前なの?」
少しぼんやりとしたまま、今度はレイが聞いた。
竜は、ゆっくりと目を閉じた。
かの人は、あの時自分の事を何と呼んでくれていただろうか?
遠い記憶を呼び起こす。
「ブルー、と、そう呼んでくれた人がいたな」
「いい名前だね、ブルー、僕もそう呼んでもいい?」
そっと己の額に手を触れながら、レイが尋ねる。
「もちろんだ」
もう一度、レイの体に頬擦りしながら、ブルーは名を呼ばれる幸せを噛み締めた。
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