第83話_新しい課題を抱え込むタワーの食堂

 昨夜少し夜更かしをしてしまったフラヴィは、昼時に食堂へ向かいながら、いつもより幾らか重たく感じる目蓋を煩わしそうにしていた。

 遠征から無事に帰っても、次がいつ来るかは分からない。ずっとフラヴィは不安でそわそわしていた。それを解消する為に、何か事前に出来ることは無いかと考え、昨日になってようやく辿り着いた手段が『過去の戦場での記録を読む』ことだった。どんな事態が起こり得るのか、それらに対してどんな対応方法があるのか。少しでも多くを知ることで、足りない経験値を補おうというものだ。

 とは言えこれは、彼女が自力で思い付いたわけではない。モカが時々そうして資料を読んでいるのだと教えてくれて、かつ、それはカミラの真似なのだと言う。フラヴィはそれを聞いて、二人が取っている手段なら、間違いないかもしれないと期待し、昨夜から手を付け始めた。結果、少々、夜更かしをした。

「焦ってるのは分かってるけど、焦るよね普通。本当にみんな、簡単に言ってくれるよ……」

 一人でぶつくさと文句を垂れながら、食堂の扉をくぐる。先日の遠征直後、『一緒に考える意識を持つ』と約束してくれたはずのレベッカやウーシンは何かしてくれているんだろうか。いやきっと何もしていないだろう。そう考えるほどフラヴィは苛々していたが、これはこれで、彼女なりのストレスの逃がし方なのかもしれない。勝手な怒りであることは、賢い彼女は分かっているのだろうから。

 そうして進んだ食堂の奥で、フラヴィは珍しい姿を見付けた。イルムガルドが一人、テーブルに大きな皿をいくつも並べて食事していたのだ。驚きのあまりに二度見して立ち止まったフラヴィだったが、一度その場から離れて自分の分の昼食を注文。トレーを持ち、改めて彼女の元へと向かった。

「おはよう、珍しいなイルムガルド。何で此処で食事してるんだよ?」

 イルムガルドはアシュリーの作った食事しか真っ当に吸収しない体質だ。タワーから徒歩十五分の家に帰ればその彼女が食事を用意してくれるのだろうに、わざわざ此処で食事するメリットなどあるようには思えない。そんなことを考えながらフラヴィは問い掛けたのだが、イルムガルドは顔を上げたものの、食事の手を止める気配は無く、全く応答しようとしなかった。

「いや何か言えよ。飯に夢中かよ」

 呆れた様子で溜息を吐いて、イルムガルドの隣に腰掛ける。もう半分以上、答えは諦めていた。気にせず食事しようとフラヴィがスープに口を付けたところで、イルムガルドがのんびりと返答した。

「この間のマフィン、ちょっと効果があったらしいから、また実験。アシュリーが作ってくれたデザートあったら、普通のご飯も吸収できるか」

 そう言うとイルムガルドは横に避けてある包みに視線を落とす。おそらくそれが、アシュリーの作ったデザートなのだろう。彼女のデザートで吸収率を上げてやれば、直前に食べた他のものも吸収できるのではないかという考えらしい。フラヴィが「はー、なるほど」と感心している間にも、イルムガルドは頬が膨らむほどにご飯を放り込んでいた。

 彼女の身体の大きさを考えれば、今テーブルに並んでいる量はフラヴィからは異常に見える。以前、ウーシンとイルムガルドが二人で食事をしているのを見付けてしまった時もそのことに驚いたものだ。ただ、それより前の記憶を辿ってみると、彼女はそこまで量を食べていなかった。今フラヴィが持っているのと変わらない量だったように思う。おそらく当時のイルムガルドは『食べられる』量と『食べたい』量が大きく違ったのだろう。

「いつもこれくらい食べてるのか?」

 フラヴィも食事をしながら軽く問い掛けてみると、また少しの間が空いてから、イルムガルドが頷く。

「うん、アシュリーがいっぱい作るから、全部食べる。今日も、沢山食べてきてって言われたから、沢山頼んだ」

「従順だな。僕らの指示にもそれくらい従順だといいんだけどな」

 しかしその指摘には全く応えなかった。聞こえなかったような顔をして、新しい皿に手を伸ばしている。

「シカトかよ……」

 当然その苦言にも反応は無かった。本当に反抗的だ。

 実際のところを言えば、イルムガルドは仕事中ほとんどの指示には従順だ。問題なのは、聞かない時には徹底して聞かなくて、その理由を問い掛けても一切説明しようとしないこと。ただでさえ真面目なフラヴィはそういう部分に対して繰り返し注意するなど苦労をしていたのに、今はチームの指揮を任される立場になっている。イルムガルドという問題児は頭の痛い課題の一つだった。

「あれー、珍しい組み合わせ! イル、どうしたの~?」

 そこへレベッカがモカと一緒に二人のテーブルに歩み寄ってくる。彼女らは揃って歩くとそれだけで人目を集める。見慣れているはずのタワーの人間ですら、ちらちらと此方を振り返っていた。またフラヴィとは違い、見付けてすぐに方向転換してきたようだ。まだトレーも何も持っていなかった。

「おはようイルムガルド。こんなところでランチなんて、奥様と喧嘩でもしたのかしら?」

 レベッカに続いてモカもそうして問い掛ける。しかし問い掛け方には明らかに問題がある。イルムガルドはモカの言葉に目を細めると、煩わしそうな溜息だけを零して食事を進めていた。無視をするらしい。

「あらら」

 そんな反応に残念そうにレベッカが眉を下げるものだから、フラヴィが代わりに説明をした。けれど丁寧に説明を終えた後で、やはり自分がそんなことをする必要など無かったように思えて眉を寄せる。

「お前も自分で説明しろよ、っていうかモカ姉が変な揶揄からかい方するからイルムガルドが拗ねるんだろ」

 二人を同時に注意すれば、イルムガルドは相変わらずの無反応だったし、モカの方も反省の色など無く「そうね、ごめんなさい」と歌うように言って笑みを深めた。どちらも本当に、頭が痛い人達だとフラヴィは思う。

 結局レベッカ達も食事を注文すると当たり前のように同じテーブルに集まり、四人揃って食事をする。イルムガルドは結婚前も一人で早めに食事を済ませることが多く、共にテーブルを囲むのは初めてのことだ。レベッカは何処か嬉しそうな顔をしていた。

「イルいっぱい食べるねぇ」

「この小さな身体の、何処に入るのかしらね」

 一つ皿を空にした後、また新しく大きな皿を引き寄せて食べ始める。体積に見合わない量が彼女の身体に取り込まれていく様子を、レベッカとモカは楽しそうに見つめている。通り掛かりの職員や他の奇跡の子らも同様に面白そうにしていて、不気味に思って引いているのはフラヴィだけであることが、フラヴィは少々納得いかない。

 三人より先に来ていたとは言え、誰より多くを誰より早く食べ終わったイルムガルドは、一息吐くとアシュリーお手製のデザートの包みに手を伸ばす。中身はフルーツタルトだった。

「おー美味しそう」

「奥様はお料理も上手ね」

「……僕もなんかデザート食べようかな」

 見ているとつい甘いものが欲しくなってしまったフラヴィは、食堂のデザートメニューに視線を向ける。ゼリー、アイス、ケーキなどの表記を遠目に軽く確認してから、食後に改めて考えようと思い直し、視線を目の前の皿に戻した。

 その時、ふとフラヴィは視線を感じて顔を上げる。イルムガルドの正面に座っているモカの遠く後方から此方に向けられている視線。見られているのはフラヴィではなく、イルムガルドの方だ。隣に座るイルムガルドの様子をちらりと確認するが、どうやら気付いていない。少し迷った後で、フラヴィはそれについて言及することを止めた。きっと教えればイルムガルドは顔を上げるだろうし、そうすれば視線の主――テレシアは、慌てて目を逸らすか、最悪この食堂から逃げ出してしまうと思ったからだ。

 少しテレシアの様子を見てから、再びイルムガルドの横顔を確認する。タルトに夢中になっているイルムガルドの表情は、タワーで普段過ごしている時とも、ついさっきまで食堂の料理を食べていた時とも違う。フラヴィのよく知るイルムガルドはいつも少し目蓋が落ちて、目を細めているような顔をしている。しかし今、アシュリーのデザートを丁寧に口に運んでいる彼女の目はぱちりと開き、瞳も何処かきらきらしているように見えた。単にいつもよりしっかり目が開けられているせいかもしれないけれど、とにかく、笑っているわけでもないのに嬉しそうなのだ。そういえば、先日マフィンを頬張っている時も同じ顔をしていたかもしれない。

「どうしたのー、フラヴィ」

 考える間、ずっとイルムガルドを眺めていたせいで、気付いたレベッカが首を傾けた。同じく顔を上げてフラヴィを見たモカも、目尻を下げる。

「珍しいわね、そんな熱視線」

「モカ姉って人を揶揄わないと死ぬの?」

 彼女は常に周りに気を配る優しいお姉さんなのだけど、このような発言は魂に刻まれているのかと思うほど頻繁に挟んでくる。それさえ無ければ本当に非の打ちどころ無く魅力的な女性なのに、と呆れた顔を見せるフラヴィが可笑しかったのか、モカは珍しく肩を震わせて笑った。そんな様子にも改めて呆れつつ、フラヴィはようやくレベッカの問いに答える。

「いや、美味うまそうに食べるなって思って」

「あはは、ホントだ。いつもと顔が全然違うねぇ」

「話題にされていても、奥様のタルトから目を逸らさないものね」

 モカの言う通り、この会話の最中もイルムガルドはタルトしか見ていない。別にそんなにしっかり見張っていなくても、誰も奪いはしないのに。

 会話をしながら、フラヴィは再びそっとテレシアを窺う。まだイルムガルドを見つめている。その視線は、フラヴィにとっては何か既視感のあるものだ。食事を進めながら記憶を辿り、モカを見上げたフラヴィは数秒間停止した。

「あ、あー、そういう……いや、はぁ……?」

「なあに?」

 直前に自分へ視線を向けられたことを気付いているのだろう、モカは首を傾けて問い掛けるが、フラヴィは視線をそのままテーブルへと落とした。

「いや、……何でもない」

 テレシアがイルムガルドに対して取る態度は明らかに怯えており、近付きたくない、怖くて仕方がないといった様子だ。それにもかかわらず、これだけ距離を保って遠くから見つめる視線は、フラヴィが何度か身近に見付けてきた切ない恋慕のそれだった。正直、フラヴィには全く訳が分からない。だが見付けてしまったそれは何度確かめても、間違いではない気がした。

 昼食とデザートを終えて部屋に戻った後、フラヴィは一人、「僕の周りってどうしてこう面倒なんだろう」と頭を抱える。彼女を圧し潰さんとするほどに重い『現場指揮』という新しい役割は、こんな色恋沙汰に神経を割いている場合では全くないし、彼女にそんな余裕があるはずもない。

 それなのに。どう転んでもフラヴィという少女は人の想いに敏感で、……優しさ故に、何も見なかった知らなかったと無視することが、出来ないのだ。

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