第63話_再会の廊下

 奇跡の子も立ち入り可能な資料室はタワー内にいくつかある。出入りの記録や、閲覧の記録は取られるものの、特に許可は必要ない。カミラはタワーに居る間、此処をよく利用していた。利用する子は他にも居るが、自身の過去の出撃記録を確認する者がほとんどである為、カミラほどに利用する者は居なかった。

「はあ、目が疲れたな。久しぶりに文字ばかり見てる」

 彼女が一年ほどを過ごした戦場では、文字など数日に一度、タワーと報告のやり取りをする際に目にした程度。勿論、それも実際は共に滞在しているWILLウィルの職員の役割である為、カミラは軽く確認するだけだった。しかし今は不在としていた間の、自チーム以外の詳細な記録を確認しようと、彼女は連日此処に籠っている。

「治療室に目薬でも貰いに行こうかねぇ、……ん?」

 軽くぼやきながら廊下を進むと、カミラは大きな背中を見付ける。ウーシンが歩いていた。後ろからであろうとも遠目であろうとも誰と分かるその姿に、カミラが楽しそうに口元を緩める。

「はっは! おいバカデカイ弟! お前、相変わらずデカイな!」

 その背中を無遠慮に手の平で叩き、そう言って大きな声で笑った。突然の声と背中への衝撃に目を瞬いた後、振り返ったウーシンは彼女の姿に、更に何度も目を瞬く。

「カミラか! いつ帰った!」

「つい数日前だよ!」

 カミラは一体何が可笑しいのか、笑いながら何度もウーシンの身体を手の平で叩いている。二人の間ではいつものことなのだろうか。ウーシンはそれに対して怒る様子も、困っている様子も無い。

「俺様以外、スタートナンバーはほとんどがタワーに居ない。こうして顔を見るのは嬉しいものだな!」

 本当に嬉しそうな笑みを浮かべているウーシンに対し、カミラは彼の言葉に含まれた単語に苦笑いをした。いつの間にか彼の身体を叩く手が止まっている。

「スタートナンバーねぇ、何度聞いても仰々しい呼び名だと思うが」

「そうか? 俺様は気に入っている!」

「ああ、だろうね」

 特別な呼び名を喜ぶだけ、まだまだウーシンは『少年』だ。彼らしいと思ったのか、カミラはくつくつと肩を揺らして笑う。『スタートナンバー』とは正式に扱われている名称ではないが、WILLウィルの中では知らない者の無い呼称だ。これはNo.10までの番号を持つ奇跡の子、十名のことを指していた。

 特務機関WILLウィルは発足当初、まず試験的に十名の奇跡の子のみを登録させ、運営されていた。奇跡の力というものが世間に広く確認され始めたのが十五年ほど前であるにもかかわらず、機関の発足は五年前だ。その十年の空白に発見されていた子らは当然、たった十名には収まらない。その為、当時の登録者十名から漏れた子は一先ず『候補』として記録されただけで、機関の始動時には居なかった。その候補者ら全てが正式に登録されたのは、始動から半年後のこと。レベッカやモカも、そのような経緯で『候補』から正式配属となった子に含まれる。

 先の十名と、後の子らの決定的な違いは、訓練の有無だった。スタートナンバーは訓練――特に訓練などは、誰一人として受けなかった。何の知識も無く、準備も無く、装備すらもお粗末なまま、彼らは戦場へと放り出されたのだ。結果、試験運営中だった半年で十名の内、四名が殉職。その結果を受け、『対応』として、続くNo.11以降は全員に軍事訓練が義務付けられた。子供の頃のカミラには分からなかったが、今思えば、あれは政府もしくはWILLウィルの『予定調和』であったのだろうと考える。今更、何処にそれを指摘したところで、何にもなりはしないけれど。

 いずれにせよそんな過酷で理不尽極まりない状況下でも生き延びることが出来た『スタートナンバー』の対応力は、他の子供達とは比べ物にならなかった。彼らの『戦場で生き残る力』は全く質が違い、だからこそ彼らは他と区別するように『スタートナンバー』と呼ばれ、今も、特別視されている。

 去年、レイモンドが亡くなってしまったことで、残っているのはたった五名。余計に彼らはお互いに対して、特殊な環境を共に乗り越えたという特別な想いがあるのかもしれない。

「ああそうだ、聞いたぞバカ」

「何をだ。息をするようにバカと言うな」

 談笑をしていた二人だったが、不意に真顔になるとカミラは再びウーシンの腕を平手で叩く。強靭なウーシンの肉体はそんなことでびくともしないが、『バカ』と唐突に罵られ、叩かれたという事実には流石のウーシンも眉を寄せた。

「お前、レベッカとフラヴィ守って死のうとしたんだってなぁ」

「死のうとしたつもりはない!」

「嘘を吐けバカ!」

 言うや否や、カミラの平手が拳に変わり、ウーシンの腕から出る衝撃の音が鈍く変化した。彼に痛みを感じている様子は無いが、責められていることは彼なりに理解しているのか、難しい顔で口を引き締めている。

「女子供を守るのは褒めてやるべきだろうが、それでお前が死んだらあたしが悲しむだろ。あの子ら担いで走り回って全ての狙撃を避けるくらいに強くなるんだよ!」

「無茶苦茶を言う!」

「生きてなきゃ、守りたいもんは守れないんだ。無茶でも何でも、本当に守るつもりなら生き残れ。あと、あたしを悲しませるんじゃない」

 最後の言葉がやけに強く、しかも二回言われていることを考えれば、結局のところ彼女が言いたいのはその部分なのだろう。返す言葉を失くしたのか、ウーシンはカミラを見つめたままで静かに唸り、眉間の皺を更に深くした。

「分かっている! 今日もこれから訓練に行く。次はあの弾を俺の筋肉で防いでみせる!」

 啖呵を切るようにそう言って、ウーシンは訓練室のある方向へとずんずん肩をいからせて歩いて行く。その姿を見送りながら、カミラはふっと笑みを浮かべた。

「いやいや、無茶はあんただろうが」

 少しは彼へ発破を掛ける効果になったのだろうか。ただそれがカミラの望んだ形であるかといえば、無茶な結論に辿り着いている気もする。しかしウーシンはウーシンなりに、カミラが自分を心配しているということくらいはきちんと理解したようだったので、とりあえずカミラはそれで良しとすることにした。

 そうして彼と別れたカミラは、また廊下を進む。居住域や食堂付近を歩いていなければ奇跡の子らと遭遇することは少ないけれど、見知った職員とは色んなところで遭遇する。このタワーを「家とは思わない」と言うカミラだが、やはり厳しい五年間を共に生きた人間がこの建物の中のあちこちに居るのだ。そしてどうしてもその想いは、奇跡の子らに対して強かった。どれだけこの『建物』には、愛着など持たなくとも。

「……弟や妹みたいなもんだからなぁ。どうしたって、愛しくてならないよ」

 目尻を下げて一人そう呟き、ふと窓の外を見る。この街は、彼女の生まれた街ではない。当然、奇跡の子となるまで生きていた街でもない。建物にも、街にも愛着は無く、この街や、此処に生きる人々を守ろうなんて思いはカミラには全く無い。ただ、彼女が立つこの建物に、生きる人々は。

「やあ、カミラ」

 通り掛かった職員が、彼女を見付けて笑みを浮かべた。デイヴィッドや、奇跡の子らや、他の職員がするのと同じように。

「おかえり、久しぶりじゃないか」

 繰り返されるその言葉にカミラが笑う理由を、職員は何も知らずに、不思議そうに首を傾ける。

「――ああ、

 観念した様子でカミラはそう答えて、少し弱々しく笑った。


 そこから更に十五階ほど下の、治療室のある階をイルムガルドが歩いていた。いつも通り、健診に訪れている。子供らの居住域やカミラが使う資料室は最上階近くにあり、タワー外に住むイルムガルドが普通に訪れ、真っ直ぐに帰れば奇跡の子らには遭遇しないものだ。治療室に用のある子であれば擦れ違うことはあるし、レベッカらのようにイルムガルドを待ち構えていれば、勿論、その類ではないけれど。

 とは言え、レベッカらが待ち構えるのはいつも治療室から最も近い休憩所であり、その場所は既に通り過ぎている。今日は特に捕まることは無さそうだと、彼女は油断をした状態で最後の角を曲がった。

「ひゃっ」

 驚いた声と、前方で立ち止まった人影。ぶつかるという距離ではなく、四、五歩離れた位置で、イルムガルドを見つめている怯えた瞳があった。イルムガルドがその人影、――テレシアから目を逸らすのには、二つの瞬きを挟んだ。イルムガルドなりに、遭遇したことに驚いていたのだろう。

 しばらくイルムガルドの様子を見て固まっていたテレシアは、イルムガルドが動かないと知ると、またその横を少し距離を空けて通り過ぎる。急ぎ足で、彼女から逃げるように。しかし数歩離れるまではじっと動かずにいたイルムガルドは、歩き出そうとした足を止めて、彼女を振り返った。

「あー、テレシア」

 穏やかな声だった。だがそれでもテレシアは先程よりも大きく身体を跳ねさせ、振り返るまでに少しの時間を要した。けれどフィリップに呼び止められた時のように立ち去ろうとはせず、緊張した様子でゆっくりとではあったが、彼女はイルムガルドを振り返る。ただ勇気を振り絞った甲斐は特に無く、呼び止めた本人はテレシアの方を見ずに窓の向こうをぼんやりと見つめていた。

「……普段わたしは、このタワーに居ない」

 顔を逸らしたまま、イルムガルドは言葉を続ける。まるで独り言のように、淡々と。何を伝えるつもりなのか分からないからだろうか、テレシアはただ黙って彼女の横顔を見つめていた。

「朝か昼に、毎日治療室に通う、夜は来ない。それ以外はほとんど居ないから」

 そこまで告げたイルムガルドは、彼女からの返事も反応も待つ様子無く、踵を返して歩き去って行く。おそらく、自分の行動範囲や時間帯を知らせることで、テレシアが安心して行動できる範囲を教えているのだろう。立ち尽くしていたテレシアは、幾らか迷った様子を見せた後、イルムガルドが去った方向へと数歩進み、彼女が曲がった角を追う。その背は既に、少しだけ遠い。

「あ、の……イルムガルド……」

 テレシアの声は小さかった。それでも、周りに人の居ない廊下では響き、イルムガルドにきちんと届いていた。しかしイルムガルドが立ち止まることは無く、軽く手を上げて応えただけ。テレシアは着けているヘッドホンに手を当て、更に追うように彼女の方へと歩いたが、離れることに躊躇いが無いその背を見て、ゆっくりと足を止める。一人きりになった廊下でテレシアが俯いた理由を汲み取る者は、誰も居なかった。

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