第9話_西の荒野の戦果と代償
通信の余韻が耳に残る中、ウーシンの咳払いが響く。
「……俺の聞き間違いか、司令。数がおかしい」
『三十四機だ。……聞こえたか?』
「待って、冗談だよね。アタシら四人だけで?」
震えるレベッカの声も、まるで聞こえていない様子でデイヴィッドは説明を続ける。どれだけ注意深く彼の説明を聞いても、その声は『三十四機』だと告げていた。無抵抗な機体を落とすだけなら彼らであれば造作も無いかもしれない。しかし、対象は戦闘機だ。機関銃やミサイルといった上空からの攻撃を凌ぎながら地上で対抗をするには、あまりにも多勢に無勢としか言いようのない状況。三人は一様に言葉を失くしていた。
『フラヴィとレベッカはそれぞれ四機、ウーシンは六機、イルムガルドは二十機を落としてくれ』
そして続けられた配分にも息を呑む。もう、聞き間違いかを問おうともせず、レベッカは目を見開いた。
「ふざけんなよ! イルを何だと思って――!」
酷く感情的に怒鳴ったレベッカの声にすら、彼は一切の動揺を見せない。彼女の怒りの言葉半ばに、遮るように言葉を続けていく。
『健闘を祈る。そろそろ見える頃だろう。好きなタイミングで行くといい』
言い終えると一方的に通信は切られ、ノイズ音すらも聞こえない。無視をされた形になったレベッカが強く歯を食いしばった音が、傍に立つウーシンとフラヴィの耳に届く。
「聞けよクソッ!!」
「……落ち着けレベッカ。もう届かない、やるしかないぞ」
「今までこんな難易度なかったじゃん! 一体何なの!?」
普段は誰に対しても優しく好意的に接するレベッカだが、実際のところ、気性が穏やかであるわけではない。気の強い顔立ちは、見かけだけのものではないのだ。怒る時には正しく怒り、司令に殴り掛かろうとしてウーシンに止められたことは一度や二度ではなかった。今回も例に漏れず止めることになるだろうと考えながらも、今は戦いに集中させるべく、ウーシンは彼女の注意を逸らそうとしていた。……止めるも止めないも、此処で生き延びなければ始まらないのだから。
そして司令の予想通り、彼らの目にも、戦闘機らしい機体の光が、遠い空に確認できた。十や二十では無いことが、一目で分かる。黙り込んでいたフラヴィがぬいぐるみを抱く腕の力を強めながら、喉を震わせた。
「本当に数、間違いないみたいだね……」
「クソッ、俺は岩を投げれば落とせるはずだ、お前らはどうだ」
怪力という能力を持つ彼が投じる岩。当たりさえすれば、間違いなく戦闘機は落ちる。幸い彼らが待機しているのは岩山の一部であり、怪力を利用して一部を崩してしまえば、投げるべき岩はいくらでも作ることが出来る。
「地下水が上げられそうだから、あの高度なら届くと思う。でも同時に二本くらいかな。フラヴィは?」
「僕は近くに隠れて待機するよ。真上に来たら流石に落とせるはず」
フラヴィは狙われてしまうと防御する方法が少なくひとたまりもないけれど、彼女が扱うのは目に見えない超音波だ。能力を使用しても隠れてさえいれば敵には捕捉されにくく、狙われにくい。ただし届く範囲は限られており、あの機体が真上近くまで迫らなければ何も出来ない。強みがあれば弱みもある。これがフラヴィという少女の能力の限りだ。それをよく理解をしているウーシンとレベッカは、彼女の言葉に躊躇いなく頷き、待機を容認した。
「イルムガルド、お前は」
最後の一人、二十機という無理難題を課された彼女をウーシンが振り返る。つい一分前までは座って呑気に空を見上げていた彼女だったが、既に立ち上がり、その両手には大きな刃が握られていた。彼女はウーシンへ視線を向けることもなければ、彼の問い掛けに対して答えを返すこともなく、迫る機体の影を見つめていた。
「何でこんなもの背負わされたのか、ようやく分かったよ」
「あ?」
彼女が小さく呟いた声は、ウーシンに全ては届かず、微かに聞き取った言葉だけでは意味も汲み取ることが叶わなかった。だから彼は聞き返したつもりだったのだろう。しかし、瞬きをすればイルムガルドの姿はそこから消えた。彼女が走ったのだと知らせるように、小石だけが彼らの足元へ転がり落ちる。
「――イル!!」
咄嗟に引き止めるようにレベッカが名を呼ぶが、もう姿も無ければ気配も無い。どちらの方向へ彼女が走ったのかも、誰も目で追えない。残された時間が短い中、三人はイルムガルドの姿を探すように視線を彷徨わせていた。その十数秒後、まだ遠いままの機体の一つが、割れて爆発した。全員の視線が空へと集中した後、一秒足らずでまた一つの機体が分解されたように割れ、爆発する。
「……どうなってる?」
「あいつむちゃくちゃだ! 僕はさっさと移動するから!」
イルムガルドのことを考えるのは時間の無駄と言わんばかりに、フラヴィはその場から離れて走る。身を隠すべき場所は既に見繕っていたのだろう。彼女は不安定な足場を、岩陰に隠れながら進んでいく。
「ああ、ったく、訳が分からん! おい、とにかく準備だ!」
遠くでは既にいくつもの機体が空から落ち、銃やミサイルの発射音が小さく聞こえている。その声に頷いたレベッカも、地下水を引き上げやすい場所へと移動を始めた。ウーシンは投げるべき岩を作る為、両腕に力を込める。彼が砕いた岩壁の音は、戦闘開始を告げる鐘にしては、幾らか遅いものとなった。
『――ご苦労。全員、怪我は無いな』
再びデイヴィッドからの通信があったのは、最後に彼の声を聞いてから二十五分後のことだった。ウーシンは岩の一つを背にして座り込み、肩で息をしている。レベッカは、フラヴィが隠れていた場所へと迎えに行き、彼女の小さな身体を抱き締めていた。抱かれた彼女も、五体満足であるレベッカを確かめるように細い腕で抱き返している。
『ウーシンが四機、レベッカが二機、フラヴィが一機、イルムガルドが二十七機。ははは、イルムガルドが早々に落とした為に後ろにはあまり来なかったな、しかし四人で三十四機、見事だった』
戦場に身を置くことのない彼の声に疲れなどあるはずもなく、戦闘前と何も変わらない穏やかさで、彼らに語りかけている。それに憤るだけの体力も精神力も、もう彼らの中には無かった。彼らの近くに居なかったのは一人だけ。使用済みパラシュートをずるずると引き摺りながら、のんびりと歩いて戻って来るイルムガルドの姿はまだ少し遠い。途中で面倒になったのか、背負っていた鞄ごと外してその場に捨てていた。
「お前……、一体どうやって、空を飛んだ」
近くに戻ったイルムガルドを見つめ、大きく息を吐いたウーシンが問い掛ける。イルムガルドの能力は音速移動だ。空を飛ぶ等という話は、彼らは全く聞いていない。何より降りてくる際にはパラシュートを使用してゆっくり降下していた。飛ぶ能力があるのならば不要な物だ。実際、イルムガルドは飛んではいなかった。
「助走して跳んだ。あとは乗り移りながら」
「やっぱりこいつむちゃくちゃだよ……」
無感動に告げられる荒唐無稽な答えに、フラヴィが項垂れる。レベッカも感心と言うよりは戸惑いが近いような顔をしていた。
『イルムガルドの脚力があれば、跳ぶことも常人のそれでは無い。その動作速度から行われる二段跳びも多少というレベルではないからな。空中でもある程度は自由が効く』
通信越しにデイヴィッドが当然のように説明をするが、ウーシンはそれに納得した顔を見せない。眉間に深い皺を刻んで頭を振る。彼の結論も、フラヴィの言う『むちゃくちゃだ』に近いのだろう。
「イル、怪我してない?」
「してないよ」
「……そう、良かった」
レベッカはイルムガルドの答えに微笑み、彼女の働きを労うように自分より小さな肩をそっと撫でた。
「まだちょっと怒ってるけど、全員無事だったからもういい。早く迎えを寄越してよ、司令」
『ああ。今向かっている。直ぐに行くよ』
終始優しいままの声に、不満が無いわけはないだろうが、レベッカは口を噤んだ。通信を終了したデイヴィッドは、長く息を吐き出してから、軽く肩を回す。そして注意深く各レーダーの状態を確認しながら、職員へと声を掛けた。
「他に敵影は無いな?」
「ありません。レーダー反応無し、人工衛星の方でも他の動きは見止められません。陸軍からも、二陣は確認されないと連絡が来ています」
「よし。ならばこちらは撤退すると連絡しておいてくれ。あとは自分達でやるだろう」
この国の正式な軍は、別にある。奇跡の子を所属させた特務機関
機関
「それにしても今回は、とんでもない数が来ましたね」
「以前より動きはあったが、いよいよ、連合国軍として始動したようだな」
彼らの国は、世界一の工業大国だ。それに応じて軍事力も世界一であり、どれだけ長く各国と争っていようとも本土を酷く侵されたことは少ない。イルムガルドが住んでいたような辺境であれば対応に遅れてしまうことはあるが、結局はあの土地、イルムガルドの故郷も奪われることはなく、戦線を押し返している。よって先程のような多くの戦闘機を持つ国は、他に存在しない。あれは寄せ集めだった。強すぎるこの国に対抗しようと、他国が手を組み始めている。
「例え数で我が国を上回ろうとしたところで、奇跡の子の前では無駄だ。……と言いたいところだが、『イルムガルドの前では』と言い替えておこう」
苦く笑うデイヴィッドも、よく分かっていた。今回の功績は、偶然にもイルムガルドを手に入れたことにより成し遂げられたことだ。彼女が居なければ、もっと多くの奇跡の子を投入する必要があっただろうし、本来あるべき形で軍も出なければならなかった。そして、どちらも多くの犠牲を出したに違いない。だが、実際今回の被害は敵国だけ。これは大きな功績であり、敵にとっては物理的な被害だけで留まらず、精神的にも大きな被害となっていると予想される。
「数で攻めることに意味が無かったと思い知っているはずだ。しばらくは沈黙するだろう、その間、奇跡の子らの精密検査、および今後の健康維持に全力を注げ」
その指示に対して力強く頷いてくれた職員達に微笑むと、デイヴィッドは両手を組んでそこに額を押し付ける。彼が次に考えるべきは、『奇跡の子』ではなく、彼個人の安否だった。
「俺も、あの子らのメンタルケアの為、一発殴られる必要がありそうだからな……」
「担架……用意しておきますね」
「頼む」
その声には強い憂愁が滲む。『奇跡の子』に殴られるという衝撃は、どんな屈強な身体を以てしても『痛い』で済む保証が無い。相手がウーシンやイルムガルドの場合、その場で身体がばらばらになっても不思議ではないのだ。担架に乗ることが出来るだけ身体の形が保たれるかも分からない恐怖を含め、改めてデイヴィッドは溜息を零した。
しかしこの時デイヴィッドは、彼個人の無事はまだ保障されないにしても、奇跡の子らが大事なく任務を終えたことを安堵していた。緊張を解いていたと言っても過言ではない。彼らを映している画面を見つめてはいても、戦闘が終わる前ほどに注視していなかった。
だから、誰も気が付かなかった。イルムガルドが一人、俯いていたこと。他の誰にも見えないほどに微かに震え続けている自分の手を、じっと見つめていたことに。
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