第8話_タワーも見えない西の荒野

 政府が『奇跡の子』を集めて作った特務機関の名はWILLウィルと言った。中枢は首都のタワーとなっているが、配属先によっては住まいが別の場所になることもある。また、遠征先の戦いに目途が立たない場合、その軍事基地が半ば住処となってしまう子も少なくはなかった。

 しかし正式な配属初日は誰もがこのタワーへとやってきた。イルムガルドもその点においては違いが無い。

 イルムガルドがタワーへと来た初日のこと。諸々の施設についての説明が終われば、イルムガルドは休む間もなく、司令室へと連れられた。

「やあ、来たなイルムガルド。疲れてはいないか?」

「特に」

 職員の指示に従って司令室へと入り込めば、イルムガルドにとっては見覚えのある男が出迎える。彼女の故郷の街へ現われ、首都へ来るようにと誘ったその男だった。誘いに応じたイルムガルドはまず訓練施設へと送られ、そして通例よりも遥かに短い期間で、この日、WILLウィルへの正式配属となった。

 総司令という立場の者が直々に訪れていたことは驚くべきことであり、実際にイルムガルドの街の者は悉くそれを驚いていたが、当のイルムガルドがその点について気にする様子は無い。

「それは良かった。では、改めて名乗らせてもらおう。いや、まずは、この街に来てくれてありがとう、イルムガルド」

 男はイルムガルドの前に立ってそう言うと、一度、丁寧に頭を下げる。それを見て、イルムガルドが目を細めた。人の上に立つ者が頭を下げる様は、彼女にとっても異様に映るのかもしれない。しかしイルムガルドをこの部屋へ案内し、そのまま彼女の後ろに控えていた職員達は誰もそれに戸惑う気配が無かった。特別なことでは無いのか、それとも、イルムガルドが特別にと誰もが認識していたのか。理由は分からないが、微かでもそれに戸惑いを見せたのはイルムガルド一人だけだった。

「特務機関WILLウィルの総司令官を務めているデイヴィッド・T・クラークだ。好きに呼んでもらって構わない。上司や雇い主に対して何か慣れた呼び方はあるか?」

「……『ボス』」

「それなら、それでいいさ」

 目尻を下げて微笑むデイヴィッドに、イルムガルドは無感動に軽く頷く。彼はそれ以上の反応をイルムガルドから求めることはなく、応じるように一つ頷いた。そして部屋の奥へと視線を向ける。その先には、待機するように三人が立ち並んでいた。彼らは明らかに年若く、イルムガルドが今までに顔を合わせた職員達とはまるで装いが違う。制服ではない服を、各々が自由に身に纏っていた。

「お前を心待ちにしていた者があと三名いるんだ。立て続けですまないが、早速、挨拶させてやってほしい。――ほら、こちらへ来い」

 デイヴィッドの呼び掛けに応じて彼の傍に立つ三名。イルムガルドは一瞬だけ彼らに視線を向けたが、まじまじと見つめるほどの興味を示す様子無く、視線はすぐに余所へと転がった。

「彼らはお前と同じ、『奇跡の子』だ」

 その紹介にも、イルムガルドは反応を見せない。視界に入った当初から、そうであると察していた為なのだろう。デイヴィッドは反応が返らないことを気に留めず、再びイルムガルドの前に立つ三人へと視線を向ける。

「では、ウーシンからかな」

「当然だ!!」

 デイヴィッドから最も近い場所に立っていた男は、大きな声で応じる。流石にその不自然な声量には、イルムガルドも微かに反応を見せた。一般的に見れば十分に上背のあるデイヴィッドよりも更に彼は背が高く、肩幅も大きく、半袖のTシャツ一枚という薄すぎる装いだったが、彼の暑苦しいほどの筋肉を一目見たイルムガルドの顔には、無表情の中にも「この人は寒くないんだろうな」とでも思った様子が窺えた。

「俺はNo.2、ウーシン様だ。No.1は既に殉職している、つまり俺様がこの組織で最も長く! 戦い続けている!」

 いちいち彼は声が大きかった。話し始めは顔を向けたものの、イルムガルドは長く目を合わせない。すぐに視線が床や壁、部屋の何処かへと向けられて、少なくとも彼に対する関心を示していなかった。ただ、ウーシンがそれに堪えて怯むことは無い。

「いいか、イルムガルドと言ったな。お前は『史上最強』等と謳われているが、調子に乗るなよ! 今までは俺が最強だと言われてきた! お前のような小さな身体で俺よりも強いわけが」

「はーい、暑苦しいからこれくらいでいいかなー、気にしなくていいからね、イルムガルド。こういう奴だって覚えてくれたらいいと思うよ」

「おいレベッカ! 俺の話はまだ」

「やめないかウーシン。来たばかりで疲れているイルムガルドを威嚇するんじゃあない」

 両側から止められ、特に司令からの言葉には逆らう気が無いのか、渋々といった様子でウーシンは言葉を止めた。そして分厚い両腕を組み、不満げにそこに佇む。大人しくなった彼を見止めると、隣に立つレベッカは彼とは対照的に、イルムガルドに穏やかな笑みを向ける。一見、気が強そうな顔立ちをしているが、彼女の話し方や表情の作りはとても柔らかく、好意的なものだった。

「アタシはNo.18、レベッカ。番号は若いから古株なんだけどね、そんなにめちゃくちゃ強いわけじゃないんだ。能力は水の操作」

 そう言うと、彼女は手に持っていたペットボトルの蓋を開ける。その口からまるで生きているかのように水が飛び出し、空中で自在に形を変え、円を描いたり、ハートマークを描いたりしていた。

「こんな感じかな、水が全く無い場所だと全然役に立てないんだけど、数キロ圏内なら地下水も無理やり引っ張り上げられるから結構融通の利く力だよ」

 説明を終えると、役目を終えた水が再びペットボトルへと戻る。イルムガルドは顔色を変えることは無かったが、彼女が説明している間ずっと水を目で追っていたので、それなりには関心を向けたのだろう。

「ウーシンが強いのは本当でね、ばかだから自分の能力も説明してないけど、彼の能力は怪力。アタシみたいな制限も少ないし、シンプルだから本当に強いんだよ」

 自分がすべきだった説明をレベッカにしてもらっているという点を気付いていないのか、その紹介にウーシンは満足そうに笑みを浮かべ、自慢気に鼻を鳴らしている。その場にいた全員が少し呆れた目を向けたことにも、彼が気付く様子は無い。

「ま、そういう点では、イルムガルドと同じだね。あ、長いからイルって呼んでもいいかな?」

 微笑むレベッカに視線を向けると、イルムガルドは無言のままで頷く。素っ気ない反応に微かに寂しそうに眉を下げたものの、レベッカがそれを憤る様子は無かった。そして自分の紹介は終わりだと告げ、彼女は次に隣の小柄な少女へと視線を向けた。その子はイルムガルドよりも更に若く、身体が小さい。多くのレースやフリルがあしらわれたベビーピンクのワンピーススカートという、戦いなどには全く縁が無いと思わせる可愛らしい洋服に身を包んでいる彼女は、兎のぬいぐるみを胸に抱いている。ただし、その目だけはやけに陰鬱で、下からイルムガルドをめ付けていた。

「……僕はNo.59、フラヴィ。番号は前の二人よりずっと大きいけどイルムガルドの半分だし、僕の方が」

「半分だとNo.51か52じゃない?」

「喋っている時に邪魔しないでよレベッカ。分かっているよそんなこと、半分だって言っているんだ」

 茶々を入れて叱られたレベッカは笑いながら肩を竦めている。イルムガルドはレベッカや自分を交互に睨んでいる彼女を見下ろしながら、ゆっくりと一つ瞬きをした。

「いいかな、僕の方がずっと先輩なんだからそれを忘れないでよね。確かに僕は君よりも四つ年下で十二歳だけど、僕の方が先にこの機関には所属していてずっと長く現場にだって出ているんだからそっちの方が重要なんだよ、分かるよね、だから僕を」

「あ、そうそう、アタシは十九歳だよ」

「俺は十八だ!」

「だから僕が今喋ってるでしょ!」

 何度も邪魔をされて苛立ちを見せるフラヴィだが、怒られているレベッカやウーシンは謝る様子も無い。ウーシンはそ知らぬ顔で目を閉じているし、レベッカはイルムガルドから視線が来る度に柔らかな笑みを返している。

「とにかく、僕を下に見るようなことは許さないから。それと僕の能力は超音波。ちゃんと対象を選べるから無差別じゃないよ。人体にも機械にも影響を与えられる、結構強い力なんだから忘れないでよね、あと――」

「長い長い、もういいでしょフラヴィ。ごめんねイル、適当に聞き流しておいてね」

 レベッカに遮られ、気分を害した様子でフラヴィが再び彼女へ噛み付こうと口を開く。しかし、彼女の奥に立つデイヴィッドが手を振って静止させれば、ウーシン同様、フラヴィも大人しく口を噤んだ。

「どうだ、此処は賑やかだろう、イルムガルド。癖がある子ばかりだが、悪い子は居ない。ウーシンとフラヴィはいつも少しケンカ腰なんだが、まあ、何だかんだ歓迎はしているよ」

 一歩、イルムガルドへと歩み寄るデイヴィッドの靴が、こつりと床を叩く音が響く。彼の後ろに控える三人は数秒前までかしましかったが、彼の言葉を遮る様子は全く無く、彼の鳴らした靴の音だけがこの空間に残っていた。

「彼らとイルムガルドは同じチームになる。今後はこの四人で任務に出ることになるから、互いのことは追々、知っていくといい」

 穏やかに話すデイヴィッドを、イルムガルドはじっと見つめ、そしてまた無言で頷く。しんと静まり返った部屋の中、デイヴィッドはそれ以上の反応が無いことをゆっくりと見守った。

「今日は以上だ。次の指示は、既に説明があったと思うが、通信端末に連絡が行く。それまでゆっくりと休んでくれていい。何か質問はあるか?」

 反応は常に薄く、頷くか首を振る程度しか見せていなかったイルムガルドは、この質問に対してもただ首を振るだけだろうと、誰もが予想していた。しかし床に落としていた視線をゆっくりとデイヴィッドに向け、イルムガルドが小さく口を開く。

「……街、見に行ってきていい?」

 その言葉にデイヴィッドは意外そうに目を丸めた。けれど制止したのはたったの数秒で、迷う様子無く頷いた。

「ああ、許可しよう、好きに出掛けるといい。ただし、スラム街には立ち入らないように気を付けてくれ」

 続けてデイヴィッドはこの街の区画について簡単に説明した上で、スラム街――九番以降の区画は決して行かないようにと重ねて注意した。イルムガルドがそれに従順に頷けば、彼はイルムガルドをその場から解放してやった。

「ふん、張り合いの無いやつだな」

「ウーシンが張り合い過ぎ」

 イルムガルドのことを前情報から『史上最強』と知らされていただけに、もっと好戦的である人物をウーシンは予想していたのだろう。全くの肩透かしを食らい、彼の闘争心が行き場を失くしていた。それについて、誰一人として同情は見せていないけれど。

「それにしても、随分あっさりと許可したね、司令? レベッカですら三番街まで。僕は一番街にも行けやしないのに」

 フラヴィの指摘に、デイヴィッドは眉を下げる。彼女の言葉に、少しの不満が含まれていることを感じ取ったからだ。

「制限については、危険を考慮してのことだ。不満があればいくらでも聞くし、相談にも乗るよフラヴィ。だがイルムガルドに関しては危険など無いと判断している。あの子を傷付けられる者は

 司令があまりに強くそう言い切るのを、三人は幾らかの驚きで受け止めた。しかし質問を投げる暇を与えず、デイヴィッドは話題を逸らすようにして殊更明るい声で言葉を続けた。

「だがウーシン、お前も十分に強い。望めばイルムガルド同様、八番街まで行きたい放題だぞ?」

「は! 俺様はあんな汚れた街に興味は無い! 欲しい物があれば、ゼロ番街で全て揃うだろう。一体何の用があるっていうんだ?」

 このタワーの中には食事処も豊富であり、多様な店が数多く入っている為、この中だけで基本的には必要なものは全て揃う。そしてタワーの外もゼロ番街と通称される範囲にはいくつもの施設があり、ゼロ番街に無くて一番街より外側にはあるようなものを探す方が困難であった。少なくとも今、この場に居る人間には一つも例が浮かばない。しかしデイヴィッドだけは、イルムガルドが外へ向かったことに僅かばかりの理解を示した。

「……少なくとも、あの子の欲しいものが、此処には無いのだろうさ」

 そうしてイルムガルドが暗がりを進んだ先でアシュリーと出会ったと彼らが知るのは、まだ、ずっと先のことになる。


* * *


 イルムガルドが青い空を見上げるのは、初陣以来だった。首都から離れなければ見ることの叶わないそれを仰ぎ、太陽の光を浴びて座っている様は日向ぼっこでもしているかのような呑気な光景だ。けれど此処は国境付近であり、イルムガルドは敵の襲撃に備えて待機をしているだけで、寛ぐべき状況にはない。

「イル、もうすぐ敵さん来ると思うよー」

 ぼんやりしているイルムガルドを見兼ね、彼女より少し低い位置の岩場に立っていたレベッカが声を掛けるが、イルムガルドからの反応が無い。先日初めてまともに会話をしてもらってからというもの、以前よりも積極的にイルムガルドを構っているレベッカだったが、目立った成果を得ていないようだ。

「まだ戦場は二回目だもんなー、緊張してるかなぁ」

「一回目も緊張してたようには見えなかったけどね、僕は」

 心配そうにしているレベッカの言葉に、フラヴィが淡々と反論する。今日は任務で来ている為に全員が似たデザインの真っ黒な戦闘服を着ているが、何故かいつものぬいぐるみが変わらず彼女の腕に収まっている。フラヴィの言葉にレベッカは振り返って首を傾けるが、強い反論を口にしなかった。イルムガルドの表情は常時変わらない為、何を思っているのかを彼女らには察することが出来ない。しかし確かに初陣の時、彼女は一切戸惑う様子無く戦闘に参加していたことから、緊張をしていたと感じた者はおそらく皆無だ。つまりあの様子を『緊張』と捉えるレベッカの解釈は優しく、元よりイルムガルドへの当たりが強いフラヴィとウーシンは別の意味で受け取っていた。

「やる気が無いなら、俺だけで構わん。放っておけ」

「またもう、ウーシンそういうこと言わないの」

「それいいね、じゃあ僕の分のお願い、ウーシン」

「フラヴィまで!」

 相も変わらず賑やかな三人の様子を、やはりイルムガルドは気に留めない。変わらぬ表情、変わらぬ体勢のままで寛いでいる。そこへ、音声による通信が入り込んだ。彼女らがそれぞれ片耳に着けている装置が微かなノイズ音を響かせた後、聞き覚えのある声が届く。

『――そろそろだ』

 デイヴィッドの声は、こんな戦場でも変わらず優しく穏やかだ。彼がであることに既に慣れているはずの三人ですら、こんな声を聞かされた後では続けられた言葉を飲み込むのには時間が掛かった。彼はあまりにも柔らか過ぎる声で、死刑宣告とも思える指示を四人へ与えた。

『これから三十四機の戦闘機がそこを通る。お前達にはそこで、全ての機体を落としてもらいたい』

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