芯  奥  Ⅱ

、そなたも大変でしたね」


 これでもわたしは精一杯の愛想を振りまきながら、熊蔵くまぞうに接したつもりである。にもかかわらず、ムッとして唇を噛み締めているだけで、もぞもぞと指と指をいじっていた。

 年の頃はわからない。

 べつに知りたいともおもわなかった。彦左やわたしより数歳は上だろうが、背丈はわたしと変わらない。小柄で、熊というよりも、どちらかといえば狐のような印象を受けた。一重瞼に細長い瞳、鼻はやや高い。申し出どおりに家来にしてやろうというのに、何が不服というのだろうか。

「・・・・お熊というのは、どうも女人のようで、嫌ずら。熊、と呼び捨てにしてもらいたい

 率直に本音を吐露した熊蔵は、慌てて、同じことを丁寧に言い直した。笑いで返しながら、

「では、こらからクマと呼ぶことにします」

と伝えると、嬉々として頭を下げた。


「・・・・そのつど頭を垂れなくとも、いいのです。新城しんしろの牢では、つい居丈高いたけだかにふるまってしまいましたが、船の上では、たった一人の知り合いのようなものですから・・・・、そのかわりに、クマが見聞きしたことを包み隠さず教えて・・・・」


 ・・・・もらいたいと告げると、熊蔵は低声こごえで語りだした。

 わたしが新城しんしろの牢番に命じたとおり、熊蔵は彦左の配下に加えられたのだが、見向きもされずにどうしたものかと迷っていると、小太郎が近づいてきて、『今宵、敵の襲撃があるやもしれぬ。おまえは、の寝所の近くで見守っておるがいい』と、指示されたのだそうである。深更、小太郎の通告どおり謎の一団が城内へなだれ込み、おそらく小太郎が指揮する芦名衆が応戦。しかし、そこへまた新たな侍たちが登場して・・・・

「・・・・なにがなにやら、天と地がひっくり返ったようなありさまでした。曲者くせものが姫様をさらっていったあとを、必死で追いました・・・・これでも足には自信があります、けれど、途中で襲われ、当て身を喰わされて、気がついたときはここにおりました・・・・」


 忸怩じくじたるおもいを表情にのせながら、熊蔵はうつむいた。いや恥じることはない、とわたしは言った。追ってきてくれたおかげで、こうして対面することができたのだから。恥じるべきは、城を襲撃した輩であろう。

 それから熊蔵は、参戦した一群は伊賀者に違いないと推測を述べた。とすれば、やはり服部半蔵さまの指示で、わたしは、この船にいるということなのだろうか。いい機会なので、熊蔵に弥右衛門の素性を知っているかとくと、意外な人物の名が浮かび上がってきた。

「・・・・あやつは、おそらく、茶屋衆ちゃやしゅうだにぃ。岡崎で何度か見かけたことがありました」

「あ」

 それしか声にならなかった。茶屋衆とは、茶屋四郎次郎しろうじろうどのが率いる忍び集団、といっていい。本姓は中島氏で、父家康より三歳若く、いま三十四歳だろうか。京をはじめ各地に商家を構えているが、それらはことごとく徳川家の諜報拠点であったろう。父が敗戦した元亀三年の三方みかたが原の戦いをはじめ、幾度も武将の一人として茶屋衆を率い参戦している・・・・。

 もう少し詳しく茶屋衆の動向を熊蔵に訊こうとしたとき、わたしの目の前に、大人の顔をした童子が躍り出てきた。四尺(約120㎝)ほどの背丈だろうか。


「な、なんだにぃ!」


 あまりの突然のことに頓狂な声をげてしまった。

 童なのか、大人なのか、判然としない。けれど、十歳といった童ではない。思慮深い目付きと顔に刻まれた皺と、すきのない挙措きょそは、あきらかに大人の容貌かおつきだった。

 そのは、ジロリとわたしを眺めると、にやりと笑った。


「ほほう、彦左が惚れたというは、この姫子ひめごかっ!」

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