邂  逅  Ⅲ

 岡崎からつき従ってきた侍女じじょたちは、申し合わせたように、芦名小太郎に好奇の視線を注いでいた。痩身で、総髪にした髪を首のうしろで無造作にたばね、宙を舞うように足音を立てず、廊下をすべるように歩く小太郎の姿は、あたかも能の舞のようにおごそかでありながらも颯爽さっそうとしていた。

 にもかかわらず、家中かちゅうからねたみや中傷の声がなにひとつ聴こえてこないのは、表層ではないもっと奥深いところで、小太郎に対する信頼の根拠となるものが潜んでいるのではないかとも思われてきた。しかも、先年、武田信玄公が病死した事実を突き止めたのが、誰あろう小太郎配下の得体の知れない者たちであったらしい。とすれば、海の民や山の民とつながっている、といった噂も、あながち首肯しゅこうできないわけでもない。

 そのことを笹に告げると、


「・・・・なれば、ご老公に、おたずねなさればよろしいではありませんか。ご老公は、小太郎様の剣の御師匠らしいですから」


と、さすがに噂集めの達人のような意見を披露してみせた。

 老公とは、奥平家の居候いそうろう奥山おくやま休賀斎きゅうがさいさまのことである。

 もとは奥平の姓を冠していたこともあり、夫信昌どのの血族であるらしい。上泉伊勢守という剣聖とたたえられた方に剣を学んだ兵法者で、休賀斎さまも〈海内無双かいだいむそうの剣豪〉との評判が高い御方だと聴いている。

 父家康も、この老公から剣術を指南されている。大永六年の生まれというから、とうに五十の坂は越えているだろうか。小柄で痩せた体躯からだ飄々ひょうひょうとさせながら歩き回っている老公は、どこかしら憎めないところがあった。


 そういえば、岡崎から新城しんしろとつぐ道中の途上、の境内で、一行を出迎えて寿ことほぎの辞を述べてくれたことがあった。刀鍛冶かたなかじの身なりにふんしていて、ひらりとねたかとおもうと刀を抜いて、ぱしゃぱしゃと円を描くように振り回していた。降魔の舞剣にてそうろう、と笑っていた。その滑稽な身のこなしからは、とうてい剣豪の姿を連想することはできない。

 いまも突然ふらりと現れては、あたかも家宰かさいか護衛役であるかのように居着いている老公が、小太郎の剣の師匠とまでは知らなかった。


「亀どのよ、そう、うろつかれては困るわいな。いくら若殿が好きにせよと申されたにせよ、こう神出鬼没では、警護のしようもあるまいて」


 老公はわたしを見かけるたびに、そんなことをぶつぶつと呟くのだ。小太郎の正体というものを老公に問いただしたいとはおもったものの、おそらく適当にはぐらかされてしまうのではないかと考えてめた。愉しみはのちにとっておいたほうがいい。

 その数日の後、みすぼらしい身なりの青年が、城にやってきた。


「亀さまに会わせておく


 背丈よりも長い槍をかついでいる青年にはともの者もおらず、痩せた馬の背にいまにも崩れ落ちそうなほどの荷を積んできたらしい。


「奇妙なやつが、やって来たぞ!」


 小太郎が告げにきた。もともと無口なたちで、兄信康に似た含羞の笑みをいつも浮かべている。余計なことは一切言わないし、わたしにも敬語は使わない。そんな挙措きょそが、侍女たちの目には、冷たさをともなう侠気のように映っていたようだけれど、こういうときには詳しく伝えてくれないと困る。

 わたしは正門まで駆けていった。突然の来訪者は、わたしを認めると、汚く黒ずんだ顔に満面の笑みをたたえ小躍りして喜んだ。


会えたずら。ええ城に住んで、けなるいなあ」


 やっと亀に会えた、と言っているのではない。〈やっとかめ〉は、久しぶりという意味の三河言葉だ。〈けなるい〉は、羨ましいの意で、〈久しぶりに会えた、いい城なので羨ましい〉と言っている。


「・・・のこと、忘れただらぁか?」


「おぼえとるがやぁ、さあさあ、あがって!」


 わたしは手で招き入れながら、ケラケラと笑った。汚ない身なりの青年は、大久保忠教ただたかといった。

 わたしと同じ永禄三年生まれの十七歳。

 通称は、彦左衛門ひこざえもん

 それがし、というのは幼い頃からの彦左の口癖で、どうやら三河発祥の一人称のようである。当時からわたしは〈彦左〉と呼んでいた。

 二の丸へ続くきざはしを歩き、藁葺き納屋に彦左を案内した。来訪者の宿泊長屋である。

 いつの間にか、休賀斎の老公も当然のような顔で傍らに張り付いていた。彦左は老公には丁寧に目礼してから、小太郎の視線はまったく無視したまま、唐突に意外なことを口にした。


「それがし、昔から、亀さまに、惚れとるだらぁ」


 アッとわたしは体を震わせた。

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