邂  逅  Ⅰ

  奥平信昌どのとわたしの仲は、家中の者が首を傾げたほど淡々としていたようで、仲が良いのか悪いのか、むつまじいのかめているのか、つかみかねているようであった。

 信昌のぶまさどのは、兄信康のぶやすより四歳上の二十二で、東三河に新たに築いた新城しんしろ城を居城にしていた。南側を流れる豊川を背に築かれた山城やまじろである。

 もっとも、いまだに城とは呼べないような造りだったけれど、本丸であろうと、二の丸であろうと、気儘きままに出歩くことができた。それは信昌どのが往来勝手おうらいかってにしたからである。

 不服や疑義あらば、いついかなる時であろうとも岡崎へ立ち戻って良し、といった夫なりの配慮はからいであったろう。けれども、この〈不服〉というのは便法のようなもので、それは、


わが奥平家中に織田・徳川への叛心の芽あらば、いつでも実家にしらせるべし


といった忠誠心の吐露とろともいえるだろう。

 けれど物事には、たいてい表と裏というものがある。年若としわかといえど、わたしはそのことを理解できるよわいになっていた。

 あえて夫がそのように泰然たいぜんと構えてみせるのは、むしろ、なにか判然とはしないわだかまりのうずのようなものが家中に潜んでいるせいなのかもしれず、なかなかにすんなり得心することはできないのだ。


 このような思念の流れができるようになったのは、岡崎から付き従ってきた侍女頭じじょがしらささが、二六時にろくじ中、拾い集めてきた噂話を、あれやこれやとわたしの胸裡むねのおくに植え付けるからだろう。三河生まれの笹は、連れあいを戦で亡くし、後家になってのち十年以上世話をしてくれている。三十を越していたけれど、なにごとにも動じない腹のわったところが頼もしくもあり、齢の離れた姉のような存在であった。


 新城しんしろに来てからも、ふいに兄の風貌かおかたち頭裡あたまのなかに浮かぶことがあった。

 夫は戦場に出ている。武田信玄公の遺児、勝頼かつよりさまを取り巻く武将たちの攻略のため、岡崎の兄信康とともに頻繁に国境あたりまで出張でばっているらしかった。夫はどんな顔で兄と対面しているのだろうか。そんなことを想像するだけで愉しくなる。けれども、なにも他意はない。兄への想いと、夫に対するそれとは、もともと異なるものなのだ。


 兄への想いというものは、戦乱の世に、名門今川いまがわ家の血をひく母と、新興部族の徳川の棟梁とうりょうの父の血を受け継ぐ、たった二人の兄妹にしかわからない感情である。一度父から捨てられたという特異な体験の共有を起点とする深い絆の愛である。

 夫への想いは、政略婚姻という家同士の利害を起点とする、将来への絆を築くためのきっかけを醸成していく手段としての意味合いが濃い。

 それだけに二者を並列で比較することなどできようはずもなかった。おそらく夫信昌どのも、そのことを察して、できるかぎりこちらの行動を制約せず、自由闊達かったつに過ごすことを望んでいたのではなかったろうか。そんな夫の心持ちというものが直截ちょくさいに伝わってきて嬉しくおもえてならなかった。


 

 笹をはじめ侍女たちの一番の関心事は、いま、一人の青年に向けられていた。

 むさい男ではない。どちらかといえば、中性的な感じがした。信昌どのにも男色の好みがあるらしいと侍女たちは想像をたくましくさせていたようであるが、そうではないことは、このわたしが知っている。

 なぜなら、信昌どのとの初夜の床で、この青年、芦名あしな小太郎こたろうと会ったからだ・・・・。

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