第5話 冷たいアイス

 ――翌日。


 今日もまた彩加を送り出してから学校へ向かう。講義は二限目からだが、一度家に戻ってしまうと外に出る気が失せてしまうので学校へ向かう。


 カツカツカツ。


 正門を抜けてキャンパスへ向かう階段を登る。地味に疲れる階段を登る。


 暑い日差しは今日も休まず照りつけるので、自然と額から汗が生じる。


「……あっちぃ」


 ついそんな言葉をぼやいてしまう程に気温は高い。


 翔は足早に校舎の中へ入っていく。


 

――図書館。


基本的には暇な生徒や講義をサボる目的の学生達によく使われる場所だが、時にはレポートで資料を集める際にも用いられる多様性に富んだ便利な癒しスポットである。


もちろん翔は前者の使い方が圧倒的に多い。今日は空調を求めて涼みに来ているのだ。


 地球温暖化や節電対策など微塵も感じさせない、もう寒いくらいの低い温度に設定されているであろう冷房をガンガンに浴びながら、翔は机にうつ伏した。熱を帯びた顔面を冷え切った机に当てると気持ちが良い。


「うぉ……喉渇いた」


 涼しさを得て冷静に物事を判断できるようになった翔は、自分の喉がカラッカラになっている事に気がついた。


 いや、とうにそれを感じていたのかも知れないが、あまりの暑さにドリンクを購入するという行動を省いて図書館に入ってしまったのだ。


 基本的に飲食物の持ち込み不可の図書館。それを忠実に守っている学生たちは皆無に等しいが、当然ここに自動販売機は設置されていない。


 一度ここを離れて飲み物を買いに行けば済む話だが、再び灼熱の郊外へと出歩くのは不満で仕方が無い。五分前の自分を呪った。


 自分の愚かさを悔やんだ翔は、悩んだ末に「めんどくせー」とぼやきながら屋外へ出た。


 早くも汗が滲んだ指で最寄りの自動販売機のボタンを連打し、冷えたサイダーを購入。早速飲み始める。


 ゴクッ、ゴクッ。


 シュワシュワとした炭酸が喉の奥ではじける。


「っかぁぁああ~!」


 刺激物に敏感な反応を示す翔。実に満足そうな表情だ。


 冷たい飲み物を装備し、もう一度図書館へ向かう。

 

 ウィーン。


 先ほど使っていた席に戻ろうとする帰省本能が働き、バッグを机に置こうとした時だ。


「おっ?」

 あっ。


 目が合った。その相手は鎮目である。しかも今日は眼鏡を着用していた。


 翔が一度図書館を離れていた間に、鎮目が入れ違いでやってきたようだ。


「何? レポート?」


 何となくだが、鎮目はサボり目的で図書館を利用するタイプの人間ではないと感じた翔はそれとなく訊ねてみた。


 返答を待っていると、鎮目はちょこちょこと両手を動かそうとしてから首を横に振った。


 言いたいことが正確には伝わらなかったが、とりあえずレポートや課題の類で利用していたわけでは無い様だった。


「え~っと、じゃあサボり……だったり?」


 まさかとは思っていたが、やはり鎮目は少し驚いてから手を振って『ちっ、違うよ!』と言わんばかりに否定した。


 そして、なかなか翔が正解にたどり着けない事に痺れを切らしたのか、鎮目は図書館に来ている理由を明確に伝えようと強行に出た。


 ぎゅっ。


 鎮目の左手が翔の手を掴み、その上をそっと指でなぞっていく。


『こ う ぎ や す み』


 ゆっくりと指を動かして、一字一字を丁寧に書き出していった。


 どうやら一限が休講だったようだ。


 納得した翔の顔を見た鎮目はほっと一息ついてから、掴んだままになっていた手にハッと気が付きそれを放した。


 ごごご、ごめんねっ。


 こんな事を言いたそうに焦りながら、謝る素振りを見せる。


「いや……別に」


 小中学生では無いのだから手を掴む事くらいでは別段何も感じないが、こうも過剰な反応をされるとこちらも照れてしまう。


 実際、鎮目が手に文字を書いてきた時は少しだけだがドキドキしていた。


「にしても今日はあちーなー」


 咄嗟に話題を変えるべく、先ほど購入したサイダーをゴクゴクと飲み始める。

すると鎮目は翔を指差し。


 あーっ、いけないんだー。


 口を開いて指摘、笑いながら注意する。


「別にいーだろ、オメーだって何か飲み物持ってきてんだろ?」


 翔の問いに対し、鎮目はカバンからペットボトルを取り出し返答する。


 てへり。


 ぺろっと舌を出して飲み物を一口コクンと飲んだ。


「おっ、それピッケルじゃん」


 主に雪山を登る際に用いられる登山用品では無く、乳酸菌が豊富に含まれていそうな色合いをした飲料水、それがピッケル。


「くっ……クククッ、大学生がピッケルって」


 彩加が時たま飲んでいる所を見たことがあるが、大学は愚か高校でも飲んでいる人を見かけたことが無い。基本的に子供向けの飲み物と翔は認識していた。


 思わず笑い出してしまう翔に、鎮目はぷっくりと頬を膨らませる。


 つーん。


 そっぽを向いてまたコクリと一口。


「わりぃわりぃ、ちょっと珍しくて……プッ」


 謝りつつも吹き出す笑いが堪え切れなかった。


 なかなか笑いが収まらない翔に向け、鎮目はむっとした表情を見せてから。


 い じ わ る。


 大きくゆっくりと動かされた口から、こんな言葉が聞こえてきた気がした。


「いやマジで悪かったって、今度アイスおごるから勘弁な」


 機嫌の悪い時の彩加と行動が似ていた為、ついついそんな台詞を口走る。


 えっ? 本当?


 両手を口元に当てて驚くサプライズ。期待の眼差しで見つめる購買部。


 ガタッ。


 音を立ててイスから立ち上がり、いそいそとカバンを背負った。


「今からかよ……」


 飲み物を購入してから間もないというのに再び灼熱の地へと向かうのは非常に辛いが、安易な発言をした自分にも非はあるので仕方ない。購買へ行く。



 ――購買。


 図書館から歩いて一分で着くとはいえ、やはり太陽の下を経由するだけで汗は出る。翔はタオルで汗を拭いながら、真剣にアイスを吟味する鎮目を眺めていた。


 こっちかな? それともこっちの方がおいしいかな?


 両手に持ったアイスを交互に見比べ悩む小さな女の子。嗜好も行動すらも幼く見える。


「子供みてーだな……くくっ」


 あー、また笑ってるー。


 翔を指差し、そんな風に怒ってみせる。


 だが、それは決して不快な怒りではないと態度で分かる。翔も馬鹿にした様な笑い方ではなく、単におかしくて笑ってしまっただけだというのも鎮目は理解していたからだ。


「ハハッ、そんで決まったのか?」


 こくり。


 頷き、カップアイスを持った鎮目は足早にレジへと向かう。


「あらいらっしゃい。今日は早いのね」


 レジのおばちゃんが何やら親しげに話しかけている所を見ると、どうやら鎮目は学食ではなく購買派のようだ。


 会計を済ませて購買の隣にあるカフェスペースの一角に荷物を置き、翔もその後に続く。


「んっ?」


 丸テーブルを見ると、カップアイスが二つ並んでいた。彩加と同様に鎮目もアイスを二人分くらい平らげてしまう側の人間なのかを聞いてみた。


 ブンブン。


 いやいやと否定し、ずずっと片方のアイスを差し出した。


「あっ、俺の分ね。サンキュー」


 そう言って一つ百円の購買アイスの代金。計二百円を支払おうと思ったが手で制される。


 スッ。


 指を一本立てる。それは受け取る額は百円で良いという解釈に繋がった。


「えっ、いやいや払うし――」


 出そうとした手を頑なに拒む鎮目。翔は戸惑いつつも百円だけを手渡した。


 受け取ったカップアイスは、妙に甘そうなバニラアイスであった。


「あー、そういやさっきのおばちゃんと顔見知りみてーだけどいつも昼飯購買なん?」


 甘味たっぷりのカップアイスをほじくりながら質問する。


 ん~?


 人差し指を顎に当て、少し考え込んでから携帯電話をカチカチと操作する。


『たまにお弁当作ってくる日もあるけど購買が多いかな~』


 画面に書かれた文字を読んだ翔は「へー」と言いつつアイスをパクリ。やはり甘い。


「俺は学食が多いなー、そっちは行かねーの?」


 すると鎮目は少し困ったように眉を顰めて苦笑いした。


『ここの学食って食券じゃないからちょっと行きづらいんだよ~』


 携帯電話に浮かび上がる文字を見て、翔は「あっ……」と声を漏らした。


 それもそうだ、食券形式ならばともかく口答で注文する食堂。一応メニューに指を差しての注文も出来なくないだろうが、大量の学生たちが押し寄せる中でそんな悠長な注文の仕方をしている暇も無いだろう。


「わ……わりぃ」


 小さな女の子。髪の長い女の子。眼鏡をかけた女の子。性格は少し内気で、嗜好が幼い子供の様な女の子。でも明るくて表情豊かな女の子……だけど、声が出せない女の子。


 忘れていたわけでは無いが、翔はそれを痛感させられた。どこか胸が苦しくなった。自分が何かしたわけでもないのに、とても申し訳ない気持ちになった。


 うつむき、黙ってアイスを食べる。


「冷て……」


 そのアイスはとても甘かったはずなのに、今は冷たさしか感じられなかった。


 途端に静かになってしまった翔にオロオロとしていた鎮目だが、両手の拳をぎゅっと握ってガッツポーズを見せた。


 気にしてないよ!


 目で、顔で、身体全体でそれをアピールする。


「あ、ああ……」


 逆に気を遣われてしまい、何と返事をすれば良いのか分からない。


 声がなくても意思疎通がちゃんと出来る鎮目を、改めて感心した瞬間だった。

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