第4話 シャワーはお湯にすぐ変わる
――夕方。
とはいえまだ陽は高い。暑い季節なのだからそれは仕方が無い。
自宅に帰ってきた翔は、いつもの如くバッグやら何やらを放り投げて風呂場へ直行する。
シャァアアアアア。
三十秒。
普段なら温かいお湯が出るまでそれくらいの時間を必要とするシャワーだが、今日はそれより早くに変わった気がする。
「……ふうっ」
熱めのシャワーを浴びてからTシャツとパンツを装備し、タオルを首から提げた理想的風呂上りスタイルで冷蔵庫へと向かう。
「なっくん、おじゃましています」
が、道中で園児とエンカウント。人がシャワーを浴びている間に勝手に部屋に上がりこんだ上に優雅にクーラーなんぞを点けている彩加とエンカウント。
「……今日も詩織さん居ねーの?」
問いかける。
すでに分かりきっている事だが一応問いかけてみる。
「はい、ママはお仕事で遅くなるそうです。それでなっくんが帰ってくる時間になったので、お友達とバイバイしてきました」
「うぇー、何で俺の時間割り把握してんだよ……」
ハァ。
ため息一つ吐いてから、彩加の姿を再確認する。
公園だか砂場だかで遊んできた格好。泥だか砂だかが顔や服に付着した格好。
それを見た翔は、もう一度ため息を吐いてから彩加に告げる。
「風呂……一人で行けるか?」
シャワーを浴びた直後なので、もう風呂場には行きたくない翔。
その問いに対し、彩加はムッとした表情で切り替えした。
「バカにしないで下さい、もうお風呂くらい一人で入れます。ピーマンだって小さく刻んであるのなら食べられます」
誰も好き嫌いについては触れていなかったが、自信満々に彩加が答える。
つい先ほどまでシャワーを使っていた為、今ならばすぐにお湯が出る仕様になっている事を考慮して彩加を一人で風呂場へ向かわせた。
「いいかー、出る時はちゃんと拭いてから出てこいよー」
念の為に注意事項を伝えておく。
「そんな事は分かっています。見くびらないで下さい」
そう告げてからしばらくして、彩加が風呂場から駆けてきた。予想通りビショビショのままで出てきたのだ。
「そういえばなっくん、困った事に今日はお着替えを持ってきていません。あと、頭を洗う物も無いのでとても困りました」
ビタビタと濡れた足でうろつきながら、困っている事を主張する彩加。
着替えはともかく、シャンプーハットの件については昨日も教えたはずだ。
本日三度目のため息を吐き、翔は彩加を脱衣所の足拭きマットへ押し戻した。
「だから拭いてから出て来いっつってんだろ!」
口では怒鳴りつつも、服を脱ぎ捨て彩加と一緒に風呂場へ入る。
シャァアアアアア。
温かいお湯を確認してから、彩加の頭を洗ってやる。
「風呂上がったら着替え取ってきてやっから、それまでうろつくんじゃねーぞ」
「そんなの言われなくても分かっています」
分かっているのなら実行して欲しいと切に思う。
彩加の頭を洗い流した後、翔はやれやれとアパートを後にした。
――十分後。
着替えを取りに彩加の自宅から服を何着か拝借し、再びアパートへと戻った。
ガチャリ。
部屋に入り風呂場に居る彩加に声を掛ける。
「彩加ぁ―、着替え持ってきてやったぞー」
すると間もなく、ドタドタと慌てん坊の足音が聞こえてきた。
「遅いです、ずっとお風呂場に居るのは退屈でした」
着替えが無いために裸のままの彩加。濡れた体を拭くことをなかなか覚えない彩加が風呂場から駆けてきた。
「…………」
それに対し、翔は何も言わずにスッと彩加の足元を指差した。
ビタビタの床。濡れた髪や体から滴り落ちる雫。何が言いたいのか一目瞭然である。
「こっ、これはちがうのです。さっきまではお風呂場で待っていたのです。本当です」
ピシっ。
脳天に軽くチョップをかまして「こらぁっ!」と怒鳴りつける。
「うぅ……ごめんなさいです」
そんなに強くはやったつもりはないが、園児には少しばかり痛かったのだろう。頭を押さえつけながら彩加が謝る。
実際そんなにキツく叱りつけたつもりも無いので、やれやれと脱衣所からタオルを取り出し彩加と床を拭く。
全身をキレイに拭かれた彩加は、もぞもぞと翔が先ほど持ってきたファンシーなパジャマに着替え、クッションにボフンと座り込んだ。
「なっくん、お風呂上りにアイスが食べたいです」
早々に彩加がアイスをねだる。昨日買ってきた棒アイスがまだ残っている事を見越しての発言である。
翔は「昨日も食ったじゃんかよー」と言いつつも、冷蔵庫から赤い色をしたアイスとオレンジ色のアイスを取り出し、それらを彩加に差し出した。
「おお、今日はなっくんご機嫌なのですか? 二つもくれるとは珍しいです」
「一本は俺のに決まってんだろうが!」
選択の余地を与える事無く、彩加の口にオレンジ色のアイスを咥えさせた。
チュパチュパ。
口に含んだアイスを美味しそうに舐め続け、しばらくしてからシャリッと噛み砕く。
「みかん味は好きです。でも、いちご味の方がもっと好きです」
まるでどこぞの引越しセンターのような言い回しをして、翔の手にある赤いアイスを物欲しそうな表情で見つめる。
翔の持つ赤いアイスはすでに半分ほどの長さになっていたが、そうジロジロと食べる所を見られていてはどうも気になる。
「……一口だけだぞ」
念を押して、そっと棒アイスを彩加に近づける。
すでに少しばかり汗を掻いているアイスを、彩加の舌がさらに発汗を促進させる。
ペロペロ、プチュパッ。
舌先で甘みを堪能し、先端が柔らかくなってからかぶりつく。
シャリッ。
甘くて冷たい氷菓子を、存分に口で遊ばせてからゴクリと呑み込んだ。
一本あたりの値段は百円にも満たない、箱に詰まっていた棒アイスを大事に味わい尽くす姿を見た翔は、自分の持っていた棒を彩加に持たせた。
「なっくんは、もう食べないのですか?」
「ああ、やるよ」
食べかけのアイスを両手に持った彩加は、赤いアイスとオレンジ色のアイスをソワソワと交互に目を向ける。
「なっくん、ありがとうございます」
丁寧に礼を述べた後、彩加は二本のアイス棒にむしゃぶりつく。
そしてその日は、寝る前にいつもより長い時間歯を磨かせてから布団に寝かしつけた。
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