第2話 人が使った後のシャワー
――ミーンミーン。
元気良くセミが鳴く道すがら、大学帰りであろう学生達を何人か見かける。
別段サークルにも入っていない翔はそれほど知り合いも多くないので、ゼミの連中くらいしか顔見知りも居ない。
それはそれで少し寂しい気もするが、下手に誰かと会ってイチイチ彩加の事を説明するのも面倒なのでまぁ良しとする。
「なっくん、サングラスが似合っています。とても格好良いと思います」
道中で、ふと思い出したかのようにサングラスを誉める彩加。
園児に誉められてもさほど嬉しくはないが、悪い気はしない。
「おっ、分かるか? これ結構お気にのやつでよー、高かったからなー」
好きな物を誉められてついつい上機嫌になる。相手が例え子供だろうが、やはり気持ちは上向きになるのだ。
「はい、ですからアイスをお願いします」
「てめぇお世辞かよっ! そんなん言わんでも買ってやるっつったろぉが!」
はっ。
ついつい怒鳴ってしまった。それも道端で。大学付近の駅前で。
通行人の視線を感じる。何だか妙に恥ずかしい。
咄嗟にキョロキョロと辺りを見渡し、知り合いが居ない事を確認すると。
「……ん?」
どこかで見たことがあるような、だがあまり記憶には無い小柄な女の子と目が合った。
いや、目が合ったという表現はどうだろう。こちらはサングラス越しなので正確には少し違う気もするが、とにかくお互いに目が合った。
「…………」
その女の子は一瞬困ったような顔をしたが、すぐにペコリとお辞儀をして立ち去った。
一体誰なのだろう?
若干モヤモヤと疑問に思うが、どうにもピンと来ない。
元々人の顔をあまりじっくりと見ないし、そもそも人の顔を覚えるのが得意ではない。
「……まぁいいか」
結局思い出せないままスーパーへ行き、カレーの材料とアイスを買って家に戻った。
――午後八時。
夕飯を食べ終え、ゴロゴロと寝転がりながらTVを眺めていると、ちょんちょんと体をつつかれる刺激がした。
「そろそろお風呂の時間です」
淡々とそう告げられるが、まったりとしたこの時間を失ってまで風呂に入る必要性も無いと判断した。昼過ぎに一度シャワーを浴びた事も考慮して判断した。
「めんどくせーから俺はパス、彩加は一人で風呂入れるかー?」
ゴロンと寝返りを打ちながら問いかける。
すると彩加はぷっくりと頬を膨らませた。
「バカにしないで下さい、お風呂くらい一人で入れます。おねしょだってもうしません」
誰もおねしょについては触れていなかったが、どうやらもう一人で風呂に入れるように成長したようだ。
もそもそと衣服をその場に脱ぎ散らかし、てくてく風呂場へ向かう彩加。
放置されたままの洋服をスルーしても良いのだが、シワになったら詩織さんに怒られてしまうのでキレイに畳む。
「――ひゃああっ!」
風呂場の方から声がしたかと思ったら、裸ん坊で濡れたままの彩加が戻ってきた。
何度かこの家のシャワーを使っているにも関わらず、なかなか冷たい水がお湯に変わらない事に対してびっくりしたのだろう。
「なっくん、お風呂が壊れています! 赤いのを回してもずっと水ばかりでます!」
「だーかーらー、ここの風呂はお湯になるまで時間かかんだっつの。ちょっと待ってりゃ温かくなるからもっかい風呂行け」
最新式の自動で湯を張ったりする風呂場とは、ユニットだかバスだかいうお洒落な物とは全く違うと理解させ、再び彩加を風呂場へと向かわせた。
三十秒。
彩加が再び風呂場に入ってから、大体それくらいの時間が経過した頃だ。
「なっくんなっくん、来てください! あったかいお湯が出ます!」
知っている。というよりもつい先ほど説明したばかりの事だから当然。むしろこの家のシャワー事情においては必然的である。
それからしばらくして、バタバタと騒がしく濡れたままの彩加がやってきた。床が濡れるので拭いてから出る事を覚えて欲しい。
「大変です、このお家には頭を洗う物がありません」
ビショビショと雫を垂らしつつも、悪びれる事無い口調で主張する。
頭を洗う物。一般的に考えてシャンプーは一応あるはずだが、恐らく彩加が言っているのはシャンプーハットの事だろう。本人曰く一人で頭を洗うにはそれが必要不可欠らしい。
「しょーがね、洗ってやんよ」
用がある度に床を拭くのは面倒極まりないので、風呂場に同行した。
ついでに軽くシャワーを浴びようと脱衣、そして赤い栓を軽くひねってから気が付いた。
「あっ、やべ!」
真夏の太陽がギラギラと照りつける暑い時間帯ならともかく、大して汗もかいていない状況で冷たい水を浴びたくは無い。
急いで止めようと試みるも、脳の伝達速度が間に合わず手の動きは止められなかった。
シャアアアアアア。
音と同時に寒さに対して身構えるが、いつまで経っても冷たさは訪れてこなかった。
「……ん?」
温かい。
三十秒どころか、三秒も時間が経過したとは思えない。
しかし流れ出てくる液体は、冷たい水ではなく温かいお湯であった。
その出来事に一瞬思考が停止するが、すぐに答えは導き出された。
「なっくん、何がやばいのですか?」
しゃがんだまま、いつシャンプーが来ても良いようにぎゅっと目を瞑る彩加の姿がすぐそこに見える。
誰かが使った後のシャワー。それを浴びるのはここでは初めての事だった。
今日のように彩加が泊まりに来る事もあったが、今まではこうして一緒に入っていた。
ジワジワと時間をかけて温かくなっていくシャワーも良いが、誰かが使った後ですぐに温かいお湯を出せるシャワーも、案外悪くないなと思えた。
「たまにはこういうのも良いな」
「……?」
どこかうれしそうに、翔は彩加の頭を優しく洗い流した。
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