【そば屋の出前】SFPエッセイ091

 というわけでSFPエッセイも残すところ10編で第1集完走となる。Sudden Fiction Project(略称:SFP)としては第5期ということになります。1期100編を原則にここまで書いてきたので、あと10編、「SFPエッセイ100」をもって第5期はゴールとなるわけです。

 

 お気付きのように、第5期ということはこれでSFP、つまりSudden Fiction Projectとしては通算500のお題にお応えすることになります。途中である1つのお題については3編書いているので、本日のこの作品は491個目のお題で493編目ということになります。

 

 なんにせよ、我ながらなかなかな数字となっている。

 

 第1期は「連日書く!」と宣言して始めたが(126日で100編書いた)、これは終盤、仕事のピークも重なって本当に大変なことになったので、その後はそういう無理なことはしないようにしていた。それが、第5期はついつい魔が差して、またしても連日更新に挑戦して、年末年始を挟んで32日間連続で書いた。ノッているときはそういうことができてしまうのだ。そして最初の32話が粗製乱造なんてことは決してない。

 

 002【逃げ道】なんてホラ吹きエッセイの真骨頂みたいなのをいきなり書いているし、「高階は女装コスプレイヤーだったのか?」と物議を醸した004【久々の再会】もまた同じ路線の愉快な作品だ。連日更新記録の最後にあたる032【007の殺しの酒】は個人的に大好きな大ボラだ。世界中の007ファンに読んで欲しいくらいだ。誰か英語に翻訳してくれませんか?

 

 中盤では017【神の領域】というのがある意味、新境地を切り開いている。語り手の女性は、自閉症スペクトラムを思わせる特徴を持った人物で、彼女のことばで「神の領域」を描くことで、それまでこういうことを考えたことがなかった人に「ある視点」を提供できたのではないかと思う。端(はた)から見た「神の領域」は本人にとっては無理のない「趣味の領域」に過ぎず、また本人にとっての「趣味の領域」は時として周りの人間をあっと驚かせる「神の領域」になりうるという話なのだが、どことなくコミカルで、どことなく切実なトーンのこの作品を書き上げてぼくは、何かを見つけることができた、と感じた。ああそうか、こういう風にやればいいんだ、と。

 

 エウレカ! 我発見せり! である。

 

 それに先立つ014【ガルダイアで割れたカップ】にも、通じるところがある。【神の領域】が個人的にライフワークと考えている自閉症スペクトラムというテーマを、そういう傾向を持つ人の視点から紹介するという方法論を見つけたのに対して、【ガルダイアで割れたカップ】では、Facebook疲れ、SNS疲れというなんともやるせない現代病的な現象について、肯定も否定もせずにメタな視点で向き合う姿勢を提案できたように思う。

 

 どちらの作品も、設定はあくまで、その日ぱっと思いついたおかしなホラ話に過ぎないのだが、そこに描かれたテーマは意外に真面目で、ぼくの中の深い場所にずっと潜んでいる何か──なかなか言葉にできない何か──があふれ出したもので、そういう意味ではこの上なく真剣なホラ話なのでもあった。

 

 もともとSudden Fiction Projectではショートショート的な作品を書いていたこともあり、エッセイから逸脱した作品もいっぱい書いてしまった。そんな中でのお気に入りの一つは020【最後のご奉公】だ。この作品は一人称形式をとってはいるものの基本的には小説であってエッセイではない。でも今読み直してみるとここに出てくる「私」は、近未来SF的な架空の存在であると同時に、【神の領域】の「私」でもあり、これを書いた「ぼく」自身でもあり、そしてひょっとすると読んでくれた「あなた」でもある、というような可能性を持っている。そういう拡張可能性みたいなものは、作品の普遍性に通じるのではないかと考える。

 

 待て待て。こんな具合に紹介していくと、気が付いたらいままでに書いた90編の全部にひとことずつ書いてしまうことになる。まかり間違うと過去の492編に片っ端からコメントをつけかねない。ぼくにはそういうところがある。だからこの辺でやめておく。

 

 でもまあそうやってSFPを書き続けていると、自分でもだんだん調子に乗ってきて、この先一生毎日書いてもへっちゃらな気がしてくることがある。事実、一種ノリが生まれているときは、朝起きてパソコンを立ち上げてお題を見て特に何も決めずにさらさらと書き始めてほんの1時間前後で書き上げてしまったりすることもある。それこそ【神の領域】の彼女と同じで、そこには義務感もなく苦痛もなく、そうすることが楽しいから書き始めて、すぱっと書き終えてせいせいした気分になってその日の日常業務に取り掛かる。いたってシンプル。ただそれだけのことなのだ。

 

 050【それはkissから始まった】は長い作品だが、これなどは30分程度で一気に書ききった(たまたまだけれど、これもまた自閉症スペクトラムを思わせる語り手だ)。よくアーティストが創作をするときに「何かが降りてきた」というようなことを言うけれど、たぶんそれに近い状態なのだと思う。

 

 もっとも、ぼく自身はその状態を「降りてきた」という風に感じたことはない。どちらかというと、もともとぼくの中にいる何者かが──日常的に出てくると支障があるのではふだんは出てこないように封印されている何者かが──封印を解除されて表に出てきて、ぼくの身体を使って勝手にどんどん書き進めているような感じがする。憑依されたようなということもできる。それを外部から憑依されたと考えれば確かに「降りてきた」ことになるのかもしれないが、外部ではなく内部からそれが現れるように、ぼくは感じるのだ。

 

 人間ができていないので、連日そんなノリノリの状態が続くともう、自分では天才にでもなったかのように浮かれてしまう。クローゼットの奥深くにしまっていたワンダーウーマンのコスチュームを取り出して身につける。全知全能の気分になってしまう。iPadの前で片腕逆立ちをしながらフリック入力で作品を書く。何でもこいという不遜な態度になる。ホーメイで「タンホイザー序曲」を歌いながら「矢でも鉄砲でも持ってこい」などと口走る。

 

 ちょっと脱線するが「矢でも鉄砲でも持ってこい」というフレーズは武器のテクノロジーの進化とともに、ほとんど骨董品を蒐集する人みたいなニュアンスがついてしまっていて、本来の「こわいものなし」という意味がよくわからないことになっている気がする。まあいいか、そんなことは。

 

 そうして挙句には、お題を出してもらうと「すぐ書きます」なんて得意満面に言ってしまう。言ってしまうだけではない。腹の中では、この先一生毎日書くぞ、毎日書くどころか1日に何本も書くぞ、なんならお題を出される前に書いてやらあ、なんて考え始めてしまう。

 

 そしてある日パタリとそのノリはどこかに消え失せてしまう。

 

 失われたノリはどこを探しても見つからない。ノリが続くのはせいぜい10日前後で、20日も続けば奇跡に近い。だから32日間連続で書いたと言ってもそういう異様なノリが出現するのは真ん中の10日間程度だけで、その前も、その後も、わりと頭をひねりながら時間をかけて書いているのだ。

 

 やがて週に1本も書ければいい状態が続き、「すぐ書きます」なんて安請け合いしたのに、延々とお待たせしてしまうことになる。「いま書いてます」「そろそろお届けできます」なんて言い訳がましくなってくる。いわゆるそば屋の出前状態だ。なんとも面目ない。

 

 ということで今回はまるっきり虚構要素のない話で申し訳ないが、すっかりそば屋の出前状態になっている、残すところ13ばかりの(あ、これを書き上げるから残すところ12の)オーダーをいただいたみなさんに、「お待たせしてすみません!」のご挨拶として書きました。あと一息がんばります。よろしくお付き合いくださいませ!

 

(「【そば屋の出前】」ordered by 阿久津 東眞-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・高階經啓の創作姿勢などとは一切関係ありません。

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