【起きたら1mの雪】SFPエッセイ090

 近くに無限丼の店ができたというので冷やかしに行くことにした。

 

 無限丼の噂は以前から聞いて気になっていた。旭川の方で大変な人気だというところまでは知っていたものの、紹介記事を読んでも、写真を見ても、どうも要領を得ない。例えば、食べた人は口を揃えて「なるほど無限丼とはよく言ったものだ」などと感想を述べるのだが、写真で見る限りごく普通のどんぶりめしだ。乗っている具がメガ盛りということもなく、むしろ白いご飯が少し見えていたりする。丼そのもののサイズが大きいのか思ったがそういうわけでもない。店によって少しずつ具の中身も違うようだが、おおむね海鮮丼と考えていい。

 

 ただ紹介文もうまそうだし、写真の見た目も悪くない。問題は、どこがどう無限なのか、さっぱり伝わってこないのだ。

 

 新しくできた店は電車に乗って一駅隣の駅前で、以前は牛丼のチェーン店が入っていた場所だと記憶している。一時期どんどん出店を拡大してどこの町にも見かけていたのが、どこかの時点でぱたりと止まり、その後はみるみる見かけなくなった牛丼チェーン店だ。同じ丼ものの店ということは、無限丼もその牛丼チェーンと同じ系列なのかもしれない。

 

 隣駅といっても、歩いて行けなくもない程度の距離なので、ぶらぶらと歩いて行くことにした。気持ちのいい秋晴れで空には雲ひとつない。遠くの山の稜線もくっきり見えて空気が澄んでいる。住宅街を抜けてしばらく畑が続く。鎮守の森のわきをてくてく歩いて行くと小さな流れがあって、見ると湧き水が出ているらしく、そばに筆書で「神の井」とストレートな名前を記した立て札がある。少々汗ばんできていたので流れの上の小さな橋を渡り、湧き水で顔を洗いちょっと口に含む。美味だ。

 

 さらにどんどん行くと隣町の住宅街に差し掛かる。そういえば小学校の頃、隣町から通っていた友人が確かこの近くに住んでいたと思い出し、懐かしみながらぶらぶら行くが、すっかり家屋が建てかわっていて当時の面影がない。あのころ、小学生の自分にとって彼の家に遊びに行くのはちょっとした冒険だった。今から思えば大した距離ではないが、いつも遊びに行く道すがら、わくわくするような楽しさとよくわからない不安を感じたことを覚えている。

 

 何度も通っているはずなのに、通るたびに見慣れない珍しい建物や抜け道を見つけ、煉瓦造りの塀や、屋根のついた古めかしい門、バラの咲き誇る異国めいた庭にいたる小道など、見知らぬ世界にどんどん入っていく感じにドキドキしたものだ。訪ねて行く友人が、焚き火をして焼き芋を作ったり、近所の中学校の体育館に忍び込んで遊んだり、ちょっと背伸びした遊びをする相手だったことも、そのときめきにつながっていたように思う。

 

 住宅街を抜けて駅が近づくと商店が並び始め、やがて駅前の小さな広場に出る。広場に面して無限丼の店はあった。居抜きで入ったらしく、以前の牛丼屋の店構えとほとんど同じだ。入ると普通の牛丼や普通の海鮮丼も扱っている。噂の無限丼だけ100円増しだが、今日はこれを食べに来たので迷わず注文する。メニューのわきに無限丼のみ「撮影不可」と書いてあるので店員に尋ねる。

 

「無限丼は写真を撮っちゃいけないんですか?」

「いけなくはないです」

「禁止してもイマドキの人は撮っちゃうでしょう。ブログに載せたりFacebookに載せたりしたいから」

「はい。撮るのは全然構わないんです。ただうまく撮れないみたいなんで」

「うまく撮れない?」

「ですから、禁止してるんじゃなくて、撮影不可能ってことです」

 

 何を言っているのかさっぱりわからない。

 

 やりとりしているうちに茶が運ばれ、味噌汁が運ばれ、すぐに無限丼が来る。自分は食べ物の写真を撮る習慣はないので、気にせず食べ始めることにする。見た目はやはり海鮮丼だ。何の変哲もない。割り箸を割り、手を合わせていただきますとつぶやく。すると店員が「お客様、無限丼は初めてですか?」と聞いてくる。タイミングが悪いなと思いつつ「はあ、初めてですが」と言うと、「ではお好きなところでおやめください」と言って次の客に向かってしまう。妙なことを言うものだと思いながら食べ始める。

 

 うまい。チェーン店風の店構えにしては魚介が新鮮で卸売市場あたりで食べる海鮮丼と比べても遜色ない。これはお得だと思いながら食べ進めるとやがて丼の片隅に何かが浮かび上がってきてよく見ると小さな丼である。それは海鮮丼が空になるにつれてだんだん大きくなってきてやがて牛丼だということがわかる。もしやと思って牛丼を食べる。これもどこに出しても恥ずかしくないレベルのうまい牛丼で、やがて半分を過ぎた頃にはもう次の丼が小さく出現し、どうやら親子丼らしい。いやいや、そんなわけはなかろうと食べ続けると牛丼が終わったところで手元の丼は親子丼に変わっている。そんな馬鹿なと食べていくとまた小さな丼が出てくる。

 

「天丼まで来たな」

 隣の席の男が声をかけてくる。ずいぶんぞんざいな口調だなと思って顔を上げるとなんと隣町に住んでいた小学校時代の友人である。もう相当にいい年のはずだが見た目は小学生時代と変わらない。

「おまえ、いつからいたんだ?」

「ついさっきからだ。親子丼のあたりかな」

「いや懐かしいな。元気にしてたか」

「喋りながら食べるんじゃありません」

 というのは母だ。まだ若くてちゃきちゃきしていて口うるさかった頃の母だ。

「なんだよおふくろもいたのかよ」

 

 などと言いつつ天婦羅をかじる。からりとあがっていて、ツユが少々甘めだがしつこくなくていい感じだ。ウドと大葉が口元をさっぱりさせてくれる。天丼が終わる頃には他人丼、他人丼が終わる頃には魚介に戻って鉄火丼、鉄火丼が終わる頃にはこのタイミングでまさかのカツ丼、カツ丼が終わる頃にはよくわからないものが出てきて聞くと「名物はるまげ丼です」と言われて失笑する。

 

 その頃には店の中には勤め人時代の同僚や上司、結婚する前のかみさん、高校時代に何かと衝突していた部活の顧問、幼稚園の先生、その時代ごとの友人と賑わっていて、それぞれがあれこれ話しかけてくるので、懐かしさを通り越してせわしなくていけない。それもそれぞれがそれぞれの言いたいことを好き勝手に言ってくる。

 

「あんたちょっと頭薄くなってきたんと違う?」

「あの時貸した本まだ返してもらってないぞ」

「ちょっと病気をしてしまってね」

「このあいだの返事だけど」

「で、起きたら1mの雪でね」

 

 さすがに手にあまる状況になってきたので顔を上げて、「おい、これどうすればいいんだ?」と聞くと、店員はにっこり笑って「ですからお好きなところでおやめください」と言う。「やめるってどうすれば」「いつも食べ終わりにはなんていいます?」「ごちそうさまでした」

 

 と口にした瞬間、丼は空っぽになっていて、店の中はさっき入った通り、ほかに数人客がいるだけの状態に戻った。呆然としていると店員が「いかがでした? 初めての無限丼」と聞く。「すごいな」と呟くほかない。金を払って店を出る。丼に何杯食べたかわからないが、意外にそんなに腹は苦しくない。それでも腹ごなしにと、来た道をてくてく引き返していく。来る時には気づかなかったが、帰り道の風景に見覚えがあり、友人の家の場所もわかった。建物は新しく、表札を見たがもう別な人が住んでいた。ぶらぶら歩きながらふと気になる。最後に雪の話をしたあいつ、誰だっけ。

 

 近いうちにまた無限丼を食べに行くことになりそうだ。

 

(「【起きたら1mの雪】」ordered by 長﨑 泰一-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・牛丼チェーンなどとは一切関係ありません。

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