【早起きが常に得になるとは限らない】SFPエッセイ087

  階段を昇ることができて嬉しい。自分の足で一歩一歩階段を昇ることができて嬉しい。わたしの足は、このどん臭くて不必要に重たい身体を、はるか何メートルも上に──信じられますか? 垂直方向に何メートルも上にですよ!──押し上げてくれる。そのことが嬉しいのだ。

 

 電車を降りてプラットフォームに立つ。ここは地下駅で、地表にある改札まで上がる手段としては階段、エスカレーター、エレベーターがある。ベビーカーを押すおかあさんや、車椅子の人、それにお年寄りやお疲れの方はエレベーターの前に向かう。意外に若くて健康そうな男女がエレベーターの前に立っているのが、わたしにはちょっと不思議だ。ましてやその人たちが乗り込んで車椅子の人が取り残されたりする光景を見るとますます。

 

 大多数の人はエスカレーターに向かう。ステップで立ち止まる関東ルールの左側に行列を作る人がいて、行列のない右側をさっさと歩いて上がっていく人がいる。最近の駅構内のアナウンスを聞くと、駅員としてはエスカレーターでは立ち止まっていてほしいみたいだけど、どうやらみんなはそうは理解していないみたい。

 

 何が正しいのか、わたしにはよくわからない。でも、もしどうしてもどちらかを選べと言われたら、わたしなら右側を歩いて昇りたい。だってわたしは自分の足で昇っていくことが嬉しいのだから、立ち止まってなんかいられない。でもわたしはエスカレーターを使うことはない。なぜならエスカレーターは勝手にわたしを持ち上げてしまうからだ。

 

 ごく少数の人が階段を昇る。わたしは迷わず階段を昇る。しっかり一歩一歩踏みしめ昇る。わたしの歩みは遅いので、急いでいる人の邪魔にならないよう、できるだけ端の方を昇る。階段までの距離が離れていれば、急いでいる人たちをやり過ごしてからゆっくり昇り始めることもある。後ろからせかされることなく、しっかり一段一段のステップを足の裏に味わうのが一等大好きだ。

 

 左足の裏に全体重を預け、バランスをとりながらそろそろと右足を引き上げる。右太もも前面の筋肉を緊張させ収縮させ膝を引き上げる。膝から下には無駄な力を入れず静かにぶらんと垂れ下がるようにする。自然と右足は体幹より前に出るので、そのまま上のステップにそっと載せる。それから徐々に体重を移動する。

 

 この時のバランスが難しい。

 

 重心、重心、とわたしは心の中で呟く。そして身体の真ん中辺にある重心に意識を集中する。わたしのイメージの中では重心はおへそより少し下、お腹と背中の真ん中あたり、たぶん子宮のてっぺんあたりにある。子宮のてっぺんのあたりにある重心をそっと斜め上に引き上げていく。重心の軌跡がぶれないように慎重に。なみなみとコーヒーを注がれたマグカップを手にスターバックスの店内を歩くように。

 

 もっとも今のわたしが自分でセルフサービスのスターバックスに入ることはないけれど。店員だって危なっかしくて心配してしまうだろうから、そんな危険な真似はできない。

 

 あの事故の前までわたしはスターバックスをよく利用した。次の打ち合わせまで時間が空くとスターバックスコーヒーに入り、ノートブックパソコンで業務報告を書き、下調べをし、打ち合わせで使えるネタを探してニュースをチェックした。頼むのは決まってドリップコーヒー。それもショートのマグカップで。1日に何度も飲むのでショートがいいのだ。選べる時は深煎りのものを頼んだ。そしてワンモアコーヒーのレシートを貰って、一つの打ち合わせが終わると次の街に移動し、そこでまたスターバックスに入り、同じコーヒーを100円で頼んだ。ワンモアコーヒーはいまも100円なんだろうか。わたしが通っていたのは消費税が8%に上がるよりも前の話だ。

 

 あの頃のわたしにとって、テキパキとすることが何よりも大切だった。空き時間に入るスターバックスはそのためにうってつけの場所だった。todoリストをチェックして、3分以内で終えられる仕事を次々に片付ける。業務連絡、メールで寄せられた質問への回答、アポや次回打ち合わせの日程調整の連絡。5件も6件も片付けて、次の打ち合わせに備えて下準備をし、意気揚々と店を出る。そしてまた次の街でスターバックスに入る。限られた時間しかない一日をいかに効率良くフルに活用できるか。そのことに全神経を集中していた。ひょっとすると仕事そのものの中身よりも、いかにテキパキできるかの方が大事だったんじゃないかと思う。当時のわたしにそんなことを言ったら張り飛ばされただろうけれども。事故に遭う前のわたしに。有能で、成績が良くて、早寝早起きで競争心旺盛な皇居ランナーだったわたしに。

 

 朝4時に起きて一仕事してからジョギングをし、シャワーを浴び、朝食をきちんと摂り、出社時間の1時間前には会社にいた。平日の夜は21時までに退社して、必ず23時に就寝した。1日に使える時間は19時間あって、それをいかに有効に使うか徹底的に考え抜いた。わたしの1日のスケジュールを知った友人からは、もっとゆっくり寝ていればいいのにと驚かれたり呆れられたりしたけれど、わたしは自信満々に答えた。誰にも邪魔されることのない、あの時間が大切なのよと。早起きは三文の得どころじゃないの。あなたも早起きしてみれば? きっと人生が変わるよ。

 

 いまのわたしは考える。

 

 もしも当時のわたしの前に、いまのわたしがいてゆっくり階段を昇っていたらどうなるだろう。当時のわたしは、いまのわたしをいたわってくれただろうか。残念ながらそうは思えない。あの頃のわたしは、急ぎ足でいまのわたしを追い抜いて行ったに違いない。せかせかと。舌打ちしたいのをこらえながら。内心、足が悪いんなら、こんな人混みにのこのこ出て来なければいいのにと考えながら。

 

 いやいや。そんなことは起こらない。

 

 なぜなら、あの頃のわたしは階段を昇ったりしなかったからだ。1分1秒を大切にしていたわたしは、エスカレーターがあればその右側を早足でカツカツと昇っていった。タイミング良く目の前でエレベーターのドアが開けば飛び乗った。ベビーカーを目の敵にしていた。車椅子には気づかないふりをしていた。わたしの1日の1分1秒を邪魔するものはみな目の敵だった。わたしは有能で、成績が良くて、足が速くて、最低だった。

 

 事故はわたしをめちゃくちゃにしてしまった。わたしの身体も、知能も、職歴も、貯金も、婚約も、なにもかもめちゃくちゃにしてしまった。めちゃくちゃにしてしまったけれど、あまりにも多くのものを失ったけれど、ただ失っただけではなかった。わたしには得たものがある。

 

 わたしは今、3年ぶりに階段を昇れるようになったことがたまらなく嬉しい。

 

 ほら。わたしはいま1段上がることができた。このどん臭くて不必要に重たい体を、けれど世界にただ一つの愛しくてかけがえのない身体を20センチも押し上げることができた。この調子でわたしは40センチ、60センチ、80センチ、1メートルと昇っていくことができる。繰り返すことで何メートルも何メートルも上に自分の身体を上げていくことができる。そしてそのことを喜ぶことができる。

 

 そのこと、わたしの足がわたしの体を遥か上空に連れて行ってくれることを心から喜べること。それがわたしが得たものだ。わたしの足はその気になれば空にだってわたしを連れて行ってくれることができるだろう。当時のわたしはそのことを知らなかった。理解できなかった。早起きはとてもいい習慣だ。でもね、早起きが常に得になるとは限らないんだよ。

 

(「【早起きが常に得になるとは限らない】」ordered by 阿藤 智恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・事故などとは一切関係ありません。

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