【赤玉出た】SFPエッセイ085

 今日、赤玉が出た。

 

 赤玉というのは、みなさんご承知の通り、都市伝説──都市伝説なんて大層なものじゃないな──子どもじみた迷信だと思っていたので大層驚いた。本当に出るんだとしげしげと見つめてしまった。これでもうわたしは性的な意味での男としては卒業で、ついに老人と呼ばれる境地に入るのだなと思うとなにがしかの感慨がないわけではないが、意外にさばさばしたものである。ああ、本当に出るんだ、とでも言うような。事実わたしは「ああ、赤玉出たか」とつぶやいて、受け取った赤玉を黙って見つめるだけだった。

 

 尾籠な話で申し訳ないけれど、意外に見た目は綺麗なものだった。描写させてもらうと、大きさは直径5ミリ程度。表面は磨き上げたようにすべすべで、だからこそ尿道を通ってもさほど痛みがなかったのだと思う。色も美しく、暗赤色の、何に近いかというと、肉屋の店先で見かけるレバーに近い赤と、少しばかりの乳白色がまざった模様がついていた。何か似たものはないかと思って画像検索したところ、佐渡名産の、その名も「赤玉石」というものがあって、これの質感が大変似ていた。自分の体の中から佐渡の赤玉石が出てきたと言われたら信じられる。それくらい似ている。

 

 体からものが出てくるということについては、わたしはそれなりに経験を積んでいる。先の第4次極東内乱の末期、糸魚川戦の際に、東側が仕掛けたトラップに踏み込んで負傷した。パイプ爆弾の中に仕掛けられた無数の金属片や石片やその他何かよくわからないものを全身に浴びて、それらが大量に体に埋もれてしまったのだ。当時の西日本は極端に疲弊していたので、国連平和維持軍の監視下に置かれて以降も、わたしはまともな医療を受けることができず、体内に無数の異物を抱えて生きることとなった。

 

 以来、それらの異物は少しずつ排出されていった。わたしの体は時間をかけて異物を取り囲み、移動させ、押し出していったのだ。弾丸の破片がいつまで経っても外に出ないという話もよく聞くので、わたしの体質が特異なのかもしれない。けれど、じわじわと、あの内乱から10年くらいの間に、毎年いくつかずつぼろぼろと異物が押し出されていった。乱暴に服を着た拍子に背中に顔を覗かせていた金属片が転げ出して背中を切り裂いたこともあるし、風呂場で体を洗っていたら古い瘡蓋のように自然にぼろりと落ちた弾丸もある。ひょっとすると赤玉は、本当に糸魚川あたりの砂利がわたしのからだに埋め込まれていたものかもしれない。

 

 連想ゲーム的に話は変わるが、先日来、出力という言葉についてあれこれ考えている。素人考えなので何か間違えているかもしれないが、まあお付き合い願いたい。

 

 例えばテキストを編集してプリントアウトするときのこと。コンピュータからプリンタにデータを送ることを「出力」と呼んでいいいのだと思う。映像を受信したテレビから録画装置に映像データを送るところに「出力」と書いてあるから同じようなものだろう。あるいは言葉通りに捉えると電気信号を出している、くらいの意味かもしれない。次にプリンターが実際に紙に印刷することも「出力」と呼んでいいと思う。そして最後に出てきた印刷された紙。これのことも「出力」と呼ぶ人がいる。「出力を持っていきます」という具合に。たぶん正確には「出力した印刷物を持っていきます」というところを略したのだろうが、いまでは印刷されたものそのものを「出力」と呼ぶのはそう珍しくない。

 

 整理すると、「出力」という言葉には、

 ①電気信号を出すという状態。

 ②紙に印刷するという現象。

 ③印刷された紙という事物。

という3つの別々な意味があることになる。考えてみたらその3つを同じ名前で呼んでいていいのか首をひねることになる。けれど、ふだん、ちっとも気にせず、特段悩むこともなく3つを使い分けている。

 

 こういうことは存外多いのではないだろうか。

 

 本当は全然別な状態や現象や事物なのに、同じ名前をつけて使い分けている。たいていの場合はうまくいくが、時として相手と自分で違うものを指していることに気づかないまま、かみ合わない議論をすることになる。そういうことってあるんじゃないかと思うのだ。

 

 だらだらと続ける。

 

 例えば男と女の問題だ。セックスをしている最中にわたしはしばしば「食べてしまいたい」と口走り、女の首筋に歯を立てたりし、その言葉を聞いた女はすごく満足げに喘ぎ、膣を締め付けてきたりするのだが、明らかにそこには意味のずれがある。女は文字通りわたしに食べられたいと思っているのでは決してなく、その言葉を動物的な、しかし最大級の愛情表現だと受け止めているのだ。

 

 一方わたしは文字通り、いますぐかぶりついて女の頬を食い破り頬骨の下のぷりぷりした脂肪をすすり、乳房を食いちぎり乳腺の歯ごたえを噛み締め、肉も内臓も食べ尽くしてしまいたい衝動にかられつつそれを自制しているのだ。しかし、いままで付き合ったどの女もそのことはわかっていない。わたしも自制心が働いているので、実際に女を食べずに済んでいる。

 

 そしてことを終えた後──赤玉が出た今となってはもうそれも過去の話となってしまったが──女が寝物語に、ずっと一緒にいたい、と言うのを聞いて同じことを思う。この女にとっての「ずっと」はとても短い期間だ。長くて50年くらい。わたしにとっての「ずっと」とは少なくとも数世紀を意味する。

 

 実際に長く生きて来ればわかることだが、何世紀も一緒にいられる相手などまずいない。いたとしても、それは極めて稀な例外的なパートナーだ。だからわたしは曖昧にうなずき、その曖昧さで女を傷つけることになる。でもそのことをどうすることもできない。わたしは女たちとは別な時間を生きてきたし、これからも生きていくのだから。

 

 赤玉を口で受けた女は、怪訝そうな顔つきでそれを出しながら、何これ?と言った。わたしはそれを受け取りしげしげと眺めながら赤玉の話を聞かせた。あるいは、と付け加えた。先の内乱で体に埋め込まれた石なのかもしれない、と。女はそのどちらもホラ話だと思ったようで声を立てて笑い、本当に何なんだろうねと言ってわたしの胸に頭を預けてきた。赤玉だよ。もうできないんだよ、とわたしが言うと、女は、できなくてもいい、ずっと一緒にいるもん、と言った。

 

 ほらね。

 

 内心そう思いながら、わたしは手の中の異物を見つめる。赤玉は滑らかな表面を鈍く光らせている。そして考え直す。あるいは、この女の言う通りわたしはずっと一緒にいることになるのかもしれない。赤玉が出たということは、わたしの未来はもう、何世紀単位で数えることはできないのかもしれないから。手のひらの上の小さな赤玉は、わたしの臓器を切り出し濃縮した、生命のエキスのようにも思える。

 

(「【赤玉】もしくは【赤玉出た】」ordered by 阿久津 東眞-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・太平洋戦争などとは一切関係ありません。

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