【出前豆腐屋のチャルメラ】SFP071

 映画館を出ると、豆腐屋が吹くパープーという物悲しい響きが聞こえてきた。ぼくは金田君のことを思い出す。

 

 金田君は天才的な作曲家だった。厳密に言うと映画の予告編のための作曲家として天才だった。いまでこそ、予告編で使われている音楽が映画本編のサウンドトラックとは別物だということは知られてきていると思うが、金田君とぼくがサドンリーを始めた頃は「予告編用の音楽を作曲します」と言っても映画会社の人に相手をしてもらえなかった。

 

 いや。ひょっとすると今でも一般の人は、予告編にも映画本編から曲を使っていると思っている人の方が多いのだろうか。映画に全然関心のない人が知らないのは当たり前だと思うけれど、そこそこの映画ファンでも知らないかもしれない。あなたはジョニー・デップの『パイレーツ・オブ・カリビアン』を観ましたか? その予告編も。予告編の曲、本編で出てきましたか? あるいはトビー・マグワイヤの『スパイダーマン2』では? ブラッド・ピットの『トロイ』では? ウィル・スミスの『アイ,ロボット』では? ニノと松ケンの『GANTZ』ではどうでしたか?

 

 予告編のためだけに別な楽曲を当てるということは、いまでは当たり前に行われている。ちなみに上に挙げたのは全てハリウッド映画予告編に特化したアメリカのシネマ・オーケストラ集団「トレイラーヘッド」の曲だ。ここに挙げたのはほんの一部で、『ダ・ヴィンチ・コード』も『ハリー・ポッター』も『ナルニア国』も、要するにいまやほぼ全てのハリウッド映画の予告編を彼らが手がけているのだ。本当ならぼくらがそのポジションにいるはずだったのだが。

 

 1990年。日本はまだバブルの真っ盛りで大向こうを狙った派手な企画にいくらでも予算がつぎ込まれていた。洋画は『バック・トゥ・ザ・フューチャ−2・3』が立て続けに公開され、『ダイハード2』が公開され、『ゴーストバスターズ2』と『グレムリン2』が公開され、要するに志の低い2匹目のドジョウ狙いが顕著になっていた。もっとも、『ゴースト』や『7月4日に生まれて』などもこの年公開だから何もかもがシリーズ物だったわけではない。邦画は『天と地と』『ゴジラVSビオランテ』『稲村ジェーン』『あげまん』などがあった。

 

 サドンリーのアイディアを得たのは金田君とぼくが一緒に映画を観に行った時に予告編の『ゴジラVSビオランテ』が流れた瞬間だった。音楽に関しては全く何のアイディアもないその予告編にぼくらは腹を抱えて笑った。伊福部昭のオリジナルスコアに敬意を表したと言えば聞こえはいいが、それだけだった。それしか使っていなかったし、あのテーマが出てくるまでは無音のままなんとも間の抜けたシーケンスがばらばらと繋ぎ合わせられただけだった。その日のうちに金田君は『ゴジラVSビオランテ』の予告編のために、最初から最後まで音楽が流れ続けることを想定したスコアを書き上げ、それを読んでぼくは驚嘆した。

「かっこいいよ、金田君。これなら観客動員数が10倍に増える!」

 

 その一言でぼくらはこれがビジネスになることに気づいたのだった。

 

 けれど、話はそう単純ではなかった。東宝では毛虫のように追い払われた。伊福部先生をなんだと思っているんだ! 子どもが来る場所じゃない! 松竹の担当者はニヤニヤしながらスコアを眺め、で、東宝さんはなんとおっしゃいました? そうでしょう、そうでしょう、そういうものなんですと言った。角川映画に行く頃までには少し理論武装をした。本編で使う音楽とたかだか数分のしかもカットの切り替えの激しい予告編用の音楽は別個のものとして考えるべきだという話をした。担当者は大きくうなずき、そういうチャレンジは大歓迎だ、連絡させてもらうよと言われたが実際には何の連絡もなかった。

 

 要するに早すぎたのだ。金田君とぼくは楽譜と理屈だけでは不十分だ、曲を聴かせなければならないということで大学の友達に声をかけて即席のオーケストラを編成し録音した。サドンリーの社名について聞かれると、「予告編用の短い音楽で、突然始まり突然終わるから」と答えていたが、これは後付けの理由だ。実際には即席オーケストラの名前を考えていて、オーボエの吉林大が「突然できたからサドンリー・オーケストラ」と言ったのがおおもとだ。ぼくらの自慢の曲を3曲ほどフルオーケストラで録音してデモテープを作った。低音がたたみかけるように炸裂するアクション向けの曲。バイオリンのピチカートが効果的なサスペンスフルな曲。教会音楽を思わせる荘重で思わせぶりな楽曲。仕上がりは上々だった。

 

 それでも反応は薄かった。全くなかったわけではない。若干の引き合いはあった。ATGから打診はあったし、大手と違ってその姿勢は真剣だったが結局ものにはならなかった。大学の映画研究会の本編に曲を提供したが、それはサドンリーがやりたいことではなかった。逆に、彼らの作品に無理やり予告編を作らせて曲をつけたこともある。その映像を見ながら金田君が曲を書き、ぼくが編曲してタイミングを合わせていく。場合によっては音楽の盛り上がりに合わせて映像を再編集してもらったこともあった。

 

 でも結論を言うと、これも失敗だったと言わざるを得ない。観客から「本編より予告編の方が良かった。詐欺だ」と言われて監督に恨まれてしまったのだ。あとが続かなかった。演劇やダンスなど舞台関係者にも作曲を依頼されて提供し、それなりに評判は良かったがこれもサドンリーの本分ではなかった。ぼくらはあくまでも予告編の音楽を作りたかったのだ。予告編には予告編用の音楽があるべきだ。それがぼくらの出発点だったのだ。

 

 何もかもが少しずつ早すぎた。

 

 もう何年かすればゲーム産業のために予告編の音楽を提供できただろう。でもまだそれは先の話だ。あるいは話を持って行く先を変えれば良かったのだろうかと、今なら考えることができる。テレビコマーシャルのための音作りにも道が開けたかもしれない。でもそれはやりたいことではなかった。ぼくらは予告編の音を革命的に変えることに夢中だった。インターネットで音源をやり取りしたり、動画を公開したりする時代なら別なアプローチもあったかもしれない。でもそれも、まだはるかに未来の話だった。ぼくらには目がなかった。

 

 金田君との最後の会話はとても他愛もないものだった。ぼくが今まで使ったことがない音色を使おうと提案し、たまたま外から聞こえてきた音をネタに言った。

「ほら、例えばあの出前豆腐屋のチャルメラみたいなさ」

 すると金田君はちょっと首を傾げてこう言った。

「豆腐屋さんのは、あれはチャルメラじゃないよ。チャルメラは夜鳴きそば、豆腐屋さんのはラッパだよ」

 

 それから金田君は丁寧に説明をしてくれた。チャルメラはリード楽器で、豆腐屋のラッパは管楽器だということを。じゃあ両方使っちゃえとぼくが言い、トイピアノとか子どもの音が出るサンダルとかオーケストラっぽくないものを使ってみようと金田君が言った。ぼくらは次の一手を探しあぐねてじりじりしていた。けれど創作意欲は十分にあった。ぼくらは何杯も酒をあおり、手を振って別れた。金田君は自転車に乗って走り去りながら、明日豆腐屋のラッパを持って来るよと大声で約束してくれた。

 

 それきり金田君は姿を消した。サドンリーも自然消滅した。まさにサドンリーに。

 

 むろんぼくは金田君を探した。ご家族も探していた。でも何の痕跡もなく金田君は姿を消した。あの夜も、金田君は家にはたどり着いていなかった。事故にあったのではないか? ひき逃げした人が遺体を隠してしまったのではないか? そうぼくは考えた。金田君が逃げ出す理由はどこにもないからだ。でも真相はわからない。金田君はぼくから逃げ出したのかもしれない。あるいは人生から逃げ出した可能性だって否定できない。

 

 出前豆腐屋のラッパとチャルメラとトイピアノとサンダルとその他ごたまぜの楽器らしからぬ楽器を使ったオーケストラは成功した。ぼくは金田君とのアイディアでその先の人生を生きることができた。映画の予告編にはタッチすることができなかったが、ぼくのオーケストラは人気ドラマの主題歌を手がけるまでに成長した。

 

 だからというわけではないが、金田君は映画の予告編の音楽で成功しているのではないかと妄想する。

 

 ひょっとすると、金田君は海を渡って「トレイラーヘッド」の会社イミディエイト・ミュージックを立ち上げたのではないか。もちろんそんな事実はない。でも金田君の失踪とイミディエイト・ミュージック社の登場のタイミングは実によく合っている。映画館で予告編を観るたびにぼくはぼくに向けられたメッセージがあるのではないかと耳をすます。もちろんそんな音は聞こえてこない。映画を見終えて外に出る。豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。あれはチャルメラじゃないんだよねとぼくは胸の内でつぶやく。

 

(「【出前豆腐屋のチャルメラ】」ordered by 三田村 真-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・ミュージシャンなどとは一切関係ありません。

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