【でいだらぼっちの夜はふけて】SFPエッセイ072

 

   でいだらぼっちの夜はふけて

   リトマス試験紙色変わる

   検見川盆地の子預けて

   朝まで坂道駆けおり路(かけおりろ)

 

 これが「でいだらぼっちブルース」の歌詞です。意味がわからない? それ、あたしに聞かないでくださいよ。あいつらが勝手に作って勝手に歌ってるんですから。意味を聞いたことはあるかって? ありませんよ、あなた。そんなことしたらあいつらにバカにされてこの店つぶされちまいますよ。荒っぽい奴らなんです。おっかないんですよ。

 

 誰が作詞作曲したか? よく聞かれるんだけど思い出せないな。店も長いことやってますからね。85年の暮れだったかな。いまの、この同じ場所に店を出して、以来、ずっと。いろんなやつらが出入りしてましたよ。うちはほんとはコーヒーを飲ませる店なんですがね、酒も飲めるし軽食も食べられるし楽器を弾きたいやつは楽器も弾けるってんで、だんだんああいうやつらのたまり場になっていったんです。世間じゃカフェバーが大流行していたんですけど、うちはカフェバーにはならないって突っ張ってね、珈琲屋だって言い張って、いまに至る。そんな感じです。

 

 店の名前の意味ですか? あなた意味が好きですね。でいだらぼっちはでいだらぼっちですよ。知ってるでしょ? でいだらぼっち。でっかいやつですよ。巨人の妖怪というか。だいだら坊とか、だいだらぼっちとか、いろんな呼ばれ方してるけど日本中で伝わってるから、まあなんかいたんでしょうね。調べてみたらもともとは「大太郎法師」から来ているなんて書いてありましたがね、本当のところはどうなんでしょうね?

 

 でもみなさんが知りたいのはそんなことじゃないですね。なんで店の名前に「でいだらぼっち」を選んだのかってことですよね? あたしはこんなにチビなのに。いままで説明したことがなかったので、みなさんあれこれ揣摩臆測ってんですか、考えてくださってますがね、本当はね、簡単なんです。このあたり一帯を昔は代田原って言ったんです。あちこちに窪地や池があって、あの窪地はでいだらぼっちの足跡だ、あの池は小便で地面を穿ってできたんだなんて伝説がありました。最近の人は知らないでしょうけどね。だからただの土地の名前なんです。たいして意味はない。

 

 でもまあ、おかげで30年? 詩人だのミュージシャンだの映画監督だの小説家だの劇作家だのいっぱい巣立って行きましたよ。ずいぶん有名になった奴らも大勢います。世紀をまたぐ頃には「出世珈琲屋だ」なんて言われたりしましたね。うちはやっぱり地下を防音にしたんで楽器を鳴らせるのが良かったんですかね。音楽畑の若いのが特に多かったですね。

 

 有名になった後も来るかって? 来ますよ、何人かはいまでも常連です。この間新人賞みたいなのをもらった女義太夫節の三味線弾きもよく来ますよ。あと爆笑詩人会の奴らとか。でもたいていのミュージシャンになった連中はツアーだなんだで飛び回ってますからね、戻ってきたときにちょっと顔を見せてくれるくらいで。もちろん有名になったらすっぱり来なくなる奴らもいます。それはそれでいいと思う。あいつらの気持ちもわかるんです。若くて青くて焦ってて一番ジタバタした状態をここでさらけ出しているんで、そういうのとは距離を置きたくなるんですかね。

 

 朝までうちで飲んでいると血液が酸性になるとかアルカリ性になるとか言ってましたね。あたしは元々がどっちか知らないんでわかりませんが、変わっちゃんだそうで。それは店のせいじゃないだろうって思うんですけどね。別に変なもの飲ませてるわけじゃないんだから。「リトマス試験紙色変わる」? ああ。そうなんじゃないですか。うちで夜更けまで飲んでるとリトマス試験紙の色が変わっちまうって。

 

 ついこの間も、そうだな20年ぶり、いや25年ぶりくらいかな訪ねてきたのがいてね。懐かしかったな。当時は学生さんだったのかな。綺麗な顔をしたやつでね。いえ、男なんですけどね。昔は綺麗って言うしかない顔をしていたんですが、いまはずいぶん老けてましたね。まだそんな歳じゃないはずなんですが。アメリカで会社を経営しているって言ってましたが、苦労しているんですかね。何人か社員を連れてきて地下で演奏していきましたよ。かっこよくて学生達が大喜びでした。そのときも「でいだらぼっちの夜はふけて」を歌ってたから、あの歌はもう25年前くらいからあるんですかね。

 

 そうそう。昔、そいつと一緒にいつもつるんでたやつがいましてね。いつだって二人で来て、夕方くらいから飲み始めて明け方までああでもない、こうでもないと話し込んでました。変な楽器を持ってきていくつも置いていって。そのもう一人の方はね、今じゃけっこうな有名人です。あれですよ、2、3年前だったかな、朝のドラマですごく話題になった番組あったでしょ? あれの音楽を全部やってたんですよ。それからテレビにもちょくちょく出るようになったし。知ってるでしょ? あいつも出世したクチですね。

 

 え? アメリカに行った方の人は何て名前かって? 名刺もらったんだけどね。なんて書いてあります? あたしゃもうこういう上品な名刺、読めなくてね。え? キムさん? キムさんって書いてある? あれ? そんな名前だったかな。うん。ああそうなの? それ有名な会社なの? 映画音楽の仕事をしているとか言ってました。成功しているといいんですがね。

 

(「【でいだらぼっちの夜はふけて】」ordered by 冨澤 誠-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・SFPエッセイ071などとは一切関係ありません。

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