【蜃気楼ハンター】SFPエッセイ070

 この話をするのはあまり気が進まないのだが、誰かが書き残す必要があると思うから、私が引き受けることにする。小鳥遊(たかなし)との出会いは15年ほど前になる。その頃の彼はまだ富山に通って魚津の蜃気楼を写真に収めているだけの趣味の人であった。収めた写真を見ても、北陸周辺のカメラ好きなら当然撮っているような、さして珍しくもない規模と構図の蜃気楼ばかりだった。

 

 小鳥遊の写真を見たのは、西麻布の交差点からちょっと脇の細い道に入ったところにあるギャラリー兼ダイニングバーの店で、壁に掲げられた蜃気楼の写真は、言っては悪いけれどありふれていて、どこかで見たようなものばかりだった。それでも蜃気楼という現象自体がどこかしら神秘的なので、私は一つ一つじっくりと鑑賞していた。

 

 そんな様子を見ていたのだろう、店のオーナーが声をかけてきて「写真家さんをご紹介します」と言った。カウンターで飲んでいた男が呼ばれてこちらにやってきた。派手なエスニック調のシャツにチノパンのチャラチャラしたいでたちで、頭にちょんまげを乗せたようなヘアスタイル、ネイティブアメリカンを思わせる、どことなく戦闘的な顔立ちとは裏腹に、男はとてもシャイだった。ひどい吃音があったが、話をしていてもそれはあまり気にならなかった。魚津に住んでいるんですか? 一枚の写真を撮るのにどれくらい時間がかかるんですか? ここに飾る点数を取るのに何回くらいシャッターを切るんですか? といった当たり障りのない質問に、男は丁寧に答えてくれた。

 

 中でも印象に残っているのは、「狐の森」という奇妙な伝説に始まって小鳥遊が熱心に語った様子だ。「狐の森」は魚津のあたりで用いられてきた蜃気楼の別称で、小鳥遊はいくつかの写真を示してそれが洋上に不意に出現した森のように見えることを強調して見せた。そして、その森がものの数分で姿を消してしまうと、まさしく狐か何かがまやかしで出現させたかのように見えることを語った。さらには蜃気楼の語源について説明し、ニライカナイや竜宮が下位蜃気楼と呼ばれるものである可能性、エジプトやマヤ・アステカなどの文明においても蜃気楼があの世のイメージを形作っていたこと、古くはインドにも記録が残っておりサンスクリット語で「ガンダルヴァ・ナガーラ」というのは魔術師の城という意味で、ちょうど狐の森と同様な意味合いを持っており、ちなみにこのガンダルヴァこそ『ロード・オブ・ザ・リング』における魔術師ガンダルフの語源にほかならない、といったことを、訥々とした調子ながら一気にまくし立てたのだった。

 

 小鳥遊がいわゆるカメラマニアではなく、あくまでも蜃気楼の記録のために写真を撮っていること、しかもその関心は光学的な現象としての蜃気楼ではなく、その土地に暮らす人々の世界観や宗教観に与えた影響など文化的な側面に向かっていることがわかって、私もこの男に興味を持つようになった。彼が蜃気楼の撮影のための資金を短期的なアルバイトだけで稼ぎ集めていると知って、資金を出すから国内外の蜃気楼を撮影してまわり、文化的な背景も含めて分析をする仕事をしないかと持ちかけた。そう。後にあれこれ詮索された「蜃気楼ハンター」のスポンサーは私だったのだ。

 

 その後の彼の活躍はみなさんもよくご承知のことだろう。

 

 最初の頃こそカメラ慣れしていない不器用さはあったものの、あの訥々とした語り口は(吃音を抑えるための工夫だったようだが)一種哲学的でさえあり、またその土地の文化や神話・宗教とからめた解説はとてもわかりやすく、また想像力を刺激するものだった。もちろん、アカデミックな世界からは小鳥遊の解釈はファンタジーのレベルでとても学説とは呼べないと批判も浴びた。でもそれは当たり前だ。彼は蜃気楼に取り憑かれたというだけのあくまでも一般人であり、文化人類学的な素養もトレーニングも受けていなかったのだから。

 

 でもお茶の間での人気は高かった。新しい土地で新しい蜃気楼の撮影に成功した番組の視聴率は毎回20%に迫る好成績だった。番組に関連したムックや書籍は隠れたベストセラーになった。ただちょっと出演するだけのバラエティ番組でも、どうやら視聴率を稼ぐ役割を果たしているらしいことが確認された。蜃気楼という現象の不思議さ、捉えられた映像の幻想的な美しさ、小鳥遊の神話的でロマンチックな解釈、そして小鳥遊本人の持ち味、理由はいろいろ分析されたが、それらの組み合わせと、時代のニーズがうまく噛み合ったのが勝因だったのだろう。

 

 彼がテレビを賑わせた最後の頃はいささかやりすぎな印象があった。解説はますますファンタジックになり、時として神話というよりも、思いつきのSF的な妄想を口走っているように聞こえる時すらあった。例えば、蜃気楼が起きる条件では時空を超えた交信が行われているとか、ガンダルヴァの城に入ればタイムスリップも可能になるといった発言を聞いた時は、さすがに収録後に忠告をしないわけにいかなかった。小鳥遊は緊張した顔つきで頷き、以後気をつけますと激しい吃音で答えた。でも番組的には大成功だった。私は自分の忠告が余計で、小鳥遊のやりたいようにやらせるべきかと思い直したものだった。彼はひょんなことから手に入れたドル箱タレントだったのだ。

 

 だから北アフリカでの失踪に続くドタバタには私もただもう驚くばかりだった。まず失踪が伝えられ、テロ組織に捕まって人質になっているのではないかと騒がれ、やがて捏造疑惑と横領疑惑が出てきた。人質になったのではないかと騒がれたあたりから「危険な地域に不用意に踏み込む邦人」への非難が高まり、小鳥遊の無名時代のいい加減な生活ぶり(これは私も知らなかった)が暴露され、やがて彼の撮影や録画による蜃気楼には画像の加工がなされているのではないかという検証が始まり、その結果、世界を渡り歩いていて得ていた報酬のほとんどは実は実体のない横領だったのではないかとまで非難されるに至った。お茶の間の人気者は一瞬にして地に墜ちた。もう失踪した小鳥遊を気の毒がる人はいなくなった。

 

 これが蜃気楼ハンター失踪のすべてである。これ以上語るべき情報はない、公式には。しかし、一つだけ私には気になることがある。ここに一枚の写真がある。わりと有名な写真だ。江戸時代の末期、日本からヨーロッパを訪問した使節団がエジプトを訪れた時の記念写真だ。そこには羽織袴をつけた侍たちがスフィンクスによじ登って写っている。その前から2列目の一番右端に写っているのが小鳥遊にそっくりなのだ。それだけではない。当時の遣欧使節が残した文書の中にある一文を見つけてしまった。

 

 それは現代風の筆跡で落書きではないかと疑われてきた。あまりにも周囲の書体から浮いているからだ。ただし紙質や墨汁の年代鑑定では当時のものとされており、真贋は不明のままだ。そこにはこう書かれている。「百五十年遡り埃及にて蜃気楼を観測すれど叶はず。北欧に期待す。次はさらに三百年遡行する所存」。そして傍には私の名前が書き添えられており、「南米を征服した西班牙あたりの記録に注目せられたし」。

 

 これをどう考えるべきなのか、まだわからない。「ガンダルヴァの城」を利用し、時間を超えて江戸時代末期に行ってしまった小鳥遊から私へのメッセージなのだろうか。そして小鳥遊はさらに300年前の南米に行ってしまったのだろうか。この話を面白そうだと感じ、スペイン語が堪能な方がおられたらぜひご連絡いただきたい。謝礼は相応な額を用意できる。インカ帝国を壊滅に追い込んだスペインの侵略者たちによる現地報告書の中に私宛のメッセージを見つけられるか挑戦して欲しいのだ。

 

 あるいは私はまさしく蜃気楼を見ているだけなのかもしれない。信用するもしないもあなた次第だ。ご自身で判断して、もしも納得できたらご一緒に蜃気楼ハンティングにお付き合いいただきたい。

 

(「【蜃気楼ハンター】」ordered by 大和田 瑞穂-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・文久遣欧使節団などとは一切関係ありません。

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