【さらば、楓の風】SFPエッセイ044

 平澁公龍が即身仏自殺を遂げたとされる日から今日でちょうど50年になる。今ではもうあまり語られることもなくなったが、あれほどの有名人が(現代音楽家として平澁はそれなりのスタアであった)、大衆に見守られながら死に至るというのは衝撃的な事件であり、また当時は世論を真っ二つに分けるほどの議論を呼ぶものだった。

 

 平澁が立ち上げた「楓の風」は、古代ギリシャのピタゴラス教団にならった宗教的秘密結社で、その内部でどのようなことが行われていたのかは一切明かされていない。平澁のゆるやかな自殺への過程でさまざまな噂が広まったが、結局それらが根も葉もない想像なのか、何らかの根拠があったのかはわからずじまいになっている。

 

 ただ、即身仏に至る時期に平澁やその側近から提出されたいくつかの声明には、いまなお見るべきものがあるように、私には感じられるのだ。中でも当時幼い子どもだった私の心を捉えたのは──これはすでに他でも触れたことがあるが──次のような内容の声明だった。

 

「もしもいま地球外生命体が登場して、地球の資源を略奪し地球上の生命体を征服せんとして攻撃が始まれば、全人類は隣国との諍いを即座に停止して団結して立ち向かわんとするであろう。これと同様に、年柄年中天災に見舞われ続ける国は、天災というものを全く体験しない国に比べて、細かい諍いを停止し、天災に立ち向かうことを優先するであろう。

 

 であれば、天災の多い国と皆無の国とでは国民性も全く異なるであろう。元来日本は国際社会に照らしても断然天災の多き国である。小異にこだわらず大同を尊ぶ国民性である。それがどうしたことか。近年、洪水を防がんと堤防を築き、高潮津波を防がんと防波防潮堤を高くし、山崩れを防がんと山肌をコンクリにて固め、隣国の侵略を防がんと軍備を固め、その結果として人類的大同を忘れ、隣国や国内諸派の小異のいさかいに明け暮れている。

 

 堤防も国防もどれだけそろえれば十分ということはなく、そろえ始めれば際限がない。所詮間に合わせ程度の備えにすぎぬのに、それで安心安全を勝ち得たと油断し、身近な小競り合いに我を忘れている。愚かなるかな愚かなるかな。楓の風はこれら間に合わせの備えを吹き飛ばす嵐とならん」

 

 一言一句覚えているのは、この長々とした声明文に、平澁公龍が書いたメロディがかぶさり、即身仏に至る期間(実際に亡くなるまでに何日かかったのか不明だが、その期間は1カ月近くに及んだ)、この声明が繰り返し繰り返し流され、ラジオやテレビでも放送された。いわばその1カ月間に限って大ヒット曲となったわけだ。幼い子どもの私でも覚えてしまうほどに。

 

 いまこれを読み返すと、50年前に書かれたものではなく、今日現在の世の中に向けられた文章のようにも読める。地球外生命体が攻めてきたらというSF的な書き出しこそ古びているが、後半の文章はほぼいまにも通用する内容だ。「愚かなるかな愚かなるかな」の部分は意味もなくやたら盛り上がるメロディーなので、いまもつい口をついて出てしまうのだが(同世代の人なら理解してもらえると思う)、それは50年前の国のあり方に向けられるのではなく、いま目の前の国のあり方に向けて歌いたくなってしまう。

 

 あわてて付け加えるのだが、だからといって「楓の風」のような秘密結社をつくりたいわけではないし、有名人が即身仏になったところで結局世の中はぴくりとも変わらなかった。それが証拠に50年後の今日も、この声明がそのまま通用している。全然変わらなかったのだ。むしろ「安心安全を勝ち得たと油断し、身近な小競り合いに我を忘れ」て、じわりじわりと悪化の一途をたどっているとさえ言える。

 

 だから言おう。同じ問題意識を持つのであっても、「楓の風」のようなやり方ではなく(秘密結社でも即身仏でもなく)、我々は別なやり方を選ぶべきだと。50年目の今日だからこそ、改めて光を当てることにも意味があるが、それは決して美化したり神格化したりするのではなく、次の、別な一歩を踏み出すためなのだ。さらば、楓の風。さらば、平澁公龍。さらば、祖父よ。あなたが選んだのが、嵐ではなく、そよ風だったら良かったのにと今私は思います。

 

(「【さらば、楓の風】」ordered by 阿藤 智恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・楯の会・三島由紀夫などとは一切関係ありません。

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