【泣き虫ひろくんに戻った日】SFPエッセイ042

 泣き虫ひろくんと呼ばれていた。35歳から45歳にかけての約10年間ほどのことだ。ごく内輪の排他的なサークル内での通り名なので家族や仕事仲間を含めてそのことを知る者はいない。子供たちの前で涙したのは卒園式の時くらいだし、映画やドラマを見ても私は滅多に泣かない。夫婦喧嘩をしても涙を流したことはない。私はもともとあまり涙を流さないのだ。それは今から話す10年間も同じだった。にもかかわらず私は泣き虫ひろくんと呼ばれていた。泣かないのに泣き虫と呼ばれ、女なのにくん付けで呼ばれていたその理由を打ち明けよう。

 

 きっかけは、出会い系サイトだった。夫とは何も問題なくいっていた、と思う。けれど、当時の私はよくわからない衝動から、夫以外の男性と関係を持たなければいられなかった。夫のことは愛していたし、生まれて間もない長男も可愛くて仕方がなかった。夫婦で働いていてそれなりの仕事と収入を得ていたし、購入したばかりのマンションも気に入っていた。週末ごとに家族でお出かけし、インテリアをそろえたり、近県の行楽地を訪れたりするのも心から楽しんでいた。何かに不満があったわけではない。

 

 むしろ満足しすぎていたのかもしれない。あまりにもたやすく幸せが手に入っていることに居心地の悪さを覚えていたのかもしれない。けれども決してその幸せを手放したいと思っていたわけでもない。だから家庭が壊れるようなことをしてはならないとも思っていた。誰か特定の人との恋愛には興味がなかった。それはあまりにもリスクが大きかったからだ。お互いに完全に匿名で、一回限りの関係を持つこと。わたしが目指したのはそういうセックスだった。

 

 しばらく、たぶん4、5回ほどそのようなことがあって、変化が訪れた。ある男とのセックスで私は経験したことのないようなオーガズムに達し、記憶を失ってしまった。意識が戻ってから男はその一部始終を撮影したビデオを私に見せた。それを見せられた時、私はこれでもう人生が終わったと思った。このビデオを元に脅迫されるか、金を奪われるか、性的に支配されるか、そしていつか人目にさらされて社会的にとどめを刺されるか。いずれにしてももはや取り返しのつかないことになったと思い、見たくもない自分の痴態を見つめたまま凍ったようになっていた。

 

 憑依について男が話し出したのはビデオが始まってからずいぶん経った時だった。最初、私は男が何を言っているのかわからなかった。私はなんらかの脅迫を受けると思っていたからだ。けれど男は憑依について話をした。まもなく憑依が始まる。そこを見ていてください。それはあのオーガズムの瞬間だった。それを境に何かが一変した。それまで受け身でされるがままだった私が、突然積極的に動き始め、主導権を取ろうとし始めた。ビデオの中の男も明らかに戸惑っていた。私は普段なら絶対に口にしないような汚い言葉で男を責め立て、そして自分では思いつけそうにないことを男に求めた。

 

 録画の再生を止め、男は言った。これは誰ですか? そう言われて私もわかった。これは私ではない。別な誰かなのだと。男は何者かが私に憑依したのだと考えていた。あるいは、と私は考えた。私の身体の中に誰か別な人格が出てきたのかもしれない。当時流行っていた言葉で言えば多重人格の誰かが表に出てきたのだと。知りません。と私は答えた。今までこんなことを経験したことがないし、仮にあったとしても私自身はその間のことを記憶していないのだから。男は再生ボタンを押してビデオの続きを流した。画面の中の私がこちらに視線を向け、ビデオの撮影に気づいた。それから怒りの形相もすさまじく男を壁に叩きつけると、驚くほどの素早さでこちらに突進してきて、画面は真っ暗になった。消える直前の自分の顔を見て私は息を呑んだ。

 

 苦痛が引き金になる人もいれば、快感が引き金になる人もいます。あるいは非日常的な極限状態が引き金になる人も。あなたの場合はそのどれにも当てはまります。と男は言った。それから名刺を取り出して、名乗った。あなたのことを調べさせてください。そこにはよく知られた大学の名前が書かれており、肩書きには教授とあった。教授は自分の専門が文化人類学だということと、同じような体験をしたことがある人が集まるサークルがあることを告げた。チラシを手渡され、参加してほしいと言われ、私は頷いていた。危険を感じなかったわけではない。けれど行かねばならないと思っていたのだ。

 

   *

 

 ン、で始まる海外の地名から店名を決めたという店が会場だった。教授と2人の助手と、私を含めて全部で13人が集まった。平日の昼間、開店前のがらんとしたフロアに椅子を丸く並べ、常連のメンバーも初めての者も同じように一人ずつ自己紹介をし、会は始まった。自己紹介は、本名は名乗らず自分の憑依の種類について説明するというものだった。私は知らない人に向かって事実を淡々と述べる自分に驚いた。何に憑依されていたと思いますか、と尋ねられた。わかりませんとしか答えられなかった。

 

 似ているものはありますか? 似ているもの? 知り合いとか、歴史上の人物とか。いいえ。人でなくても構いません、動物とか、植物とか、あるいは石や地形といったものでも。人だと思います、そして、泣いていました。泣いていた? はい。最後に顔が大写しになったところでわかったんですが、涙を流していました。涙を? はい、泣きながら癇癪を爆発させているように見えました。

 

 もぐらと呼ばれる人がいたり、天狗と呼ばれる人がいたり、斎藤さんと呼ばれる人がいたが、みんな憑依されたものにちなんだニックネームで、本名とは関係なかった。それぞれの憑依状態を見るとなるほどと思わされるものばかりだった。教授はそれぞれに合った方法で安全に憑依状態を導き出す運動パターンをいくつか持っていた。私は泣き虫ひろくんという名がつけられた。憑依状態の私と会話した教授が、ひろくんという名前と7歳の男の子だということを聞き出したためだ。

 

 どうしてその会に10年間も通ったのか、私にもわからない。10年間はかなり長い歳月だ。けれどその間に何度も憑依状態を経験し、そのビデオを見て、何かが自分の中で動き始めるのを感じ、それを歓迎していたのだと思う。泣き虫ひろくんは相変わらずで、登場すると暴れまわり、椅子を蹴倒し、食器を割り、衝動を爆発させた。ただ、コンスタントに呼び出せるようになると、だんだん会話が成立することが増えてきた。それと並行して日常の私自身も変わっていった。もう知らない男と関係することもなくなった。

 

 つまるところ、抑圧された存在だった泣き虫ひろくんが解放され、主人格である私と再統合を果たすことができた、そういう説明になるのだろう。私は以前よりも積極的に社会に関わるようになり、やがて地域を代表する立場になり、団体を立ち上げるに至った。以前の生活を幸せだとは、もう思えなくなっていた。周りからは感情豊かだと言われ、男まさりだと言われ──嫌な言葉だ──、その頃初めて会った人からは親分肌だと思われていることに気づき苦笑したものだった。それでもその変化を私は歓迎した。

 

 ただ心残りがひとつある。私が社会的・政治的に力をつけるにつれ、サークルがバランスを失い自然消滅に近い形で解散に向かってしまったことだ。生きていたらもぐらはどうしているだろうか。天狗はいまも人間界と距離を保ちつつ卓見を述べているのだろうか。斎藤さんは、あの歴史的な人物である斎藤さんは今の私を見てどんなアドバイスをくれるだろうか。私は彼らがそのままブレーンになっていてくれたらと望む。けれどもうそれはかなわない。

 

 秘密を知る者を生かしておくわけにはいかなかったのだ。一国の首相となった今、一連の過去は封印され続けねばならない。この手記も私が生きている限り人目に触れることはない。あるいは、再び彼が、あの少年が、憑依してこれを公開するようなことがなければ。私はそれを期待しているのだろうか? わからない。泣き虫ひろくんとはもう四半世紀会っていない。

 

(「【泣き虫ひろくんに戻った日】」ordered by 阿藤 智恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・店・著名人などとは一切関係ありません。

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