【僕ではありません】SFPエッセイ041

 京都で「坊ちゃん、ピアノ上手にならはったなあ」と言われた時、どう返事すべきか。

 

 というようなネタがツイッターで流れてきて、それを見てあれこれ考えた。そのことを書く。ネタというのは、「坊ちゃん、ピアノ上手にならはったなあ」と言われた時に、素直に「ありがとうございます」と受けるのはダメ、逆に謙遜して「いえいえまだまだです」と否定してみせるのもダメ、正解は「やはり聞こえてましたか、うるさくてすみません」と言うべき、とまあだいたいそういうような内容だ。

 

 これは瞬く間にリツイートが繰り返され、まとめサイトのようなものができた。他にも「上がって、ぶぶ漬けでもいかがどすか」と聞かれたら「ぐずぐずしていないでとっとと帰れ」という意味だとか(ぶぶ漬けというのはお茶漬けのことである)、「考えときますわ」というのは検討する気などなく断りのメッセージだとか、そういう話が取り上げられていて、それに対してたくさんの人が「ひえ〜! 京都人 、怖ッ」とか「わかんねーよ、そんなの!」とか反応している。

 

 そのまとめサイトがまた、結構な勢いでツイッターで紹介されたり、シェアされたりしているのを見て「ほほう」と思う。これはいま、新鮮で面白い話題のネタ、ということなのだろう。「そうかそうか。僕にとって懐かしいこのネタは、巡り巡って新鮮なネタになっているんだ」と感心する。

 

 一方それに対して「なんだこの古いネタは」というような冷たい反応も少数ながらあって、読んでみると「おれは10年前にはこのネタを読んで知っていた」というようなことが書かれている。自信満々である。ネット界に君臨する大先輩みたいな口調である。でも待てよ。10年前ということは文字どおり取れば2005年。21世紀に入ってすでに5年も経っているじゃないか。けれど日本のインターネット草創期にはもう同様な話は流れていたよ。つまりさらに10年は遡れるわけだ。「君が最初というわけじゃないよ」と優しく彼の両もみあげをつまみ上げて頭全体を小刻みに揺すりながら諭してあげたい。しかも言わせて貰えば僕自身がこのネタを聞いたのはインターネットなど関係なく、もっともっと前の話だ。学生の頃の話だからざっと30年以上は前になる。でもここで僕が「おれは30年前にはこのネタを聞いている」などと威張り出すと、さっきの大先輩君と同じ醜態を晒すことになってしまう。もみあげリンチに遭ってしまう。

 

 おそらくこのネタは、それよりもさらに前から存在したのだろう。微妙な修正を加え、バリエーションを生み出しながら語られ続けてきたはずだ。「坊ちゃん」は「お嬢ちゃん」だったかもしれないし、「ピアノ」は「お琴」だったかもしれない。でも同じことだ。「京都人の言葉は額面通りにとってはいけない。余所者にとっては計り知れない、恐ろしい」という同じテーマのリフレインだ。

 

 同じテーマが装いを少しずつ変えながら長年にわたって語られ続けるということは、これに限らずいろいろあって、昨今のようにSNSのタイムラインを眺めていると「このブログ、先月も流れていたな」という微妙な古さのものから「あ、数年前に流行った動画だ」という懐かしいもの、上に書いたような10年単位、20年単位のもの、さらにはネット以前から語られていたものに光が当たって注目を浴びるものなどさまざまだ。

 

 だから、自分が誰も知らないネタを世界で最初に見つけたように振舞うのはちょっと控えたほうがいい。一方、それに対して「それは古い。とっくに知っている」などと見下したように発言することはブーメランさながら自分自身に返ってくることも覚えておきたい。「おまえが知ったのも、その時点でもう古かったんだよ」と言われる羽目になる。あるいは言ってさえ貰えず「こいつは視野の狭い気の毒なやつだ」と、それこそ周囲から黙って見下されることになる。

 

   *   *   *

 

 話は少し違うが、たまたまだが、ネタの起源をたどれる事案を知っている。現在、通称「振り込め詐欺」、初期には「オレオレ詐欺」として知られた詐欺の起源である。電報を使って送金を指示する詐欺は20世紀の初めごろ、いまからちょうど100年前の1915年に記録が残っているし、80年代の半ばにはまさしく孫を装って「もしもし僕だよ」と名乗った男が振り込みではなく直接現金を受け取る詐欺事件があったので、厳密に何を持って起源とするかは議論があるだろう。しかし、電話で「オレオレ」と言い、苦境を告げて振り込みを指示するという典型的なパターンが実際に記録されている最初は1999年の8月頃で、これは日本でもインターネットが急速に広まりつつある時期のできごとだ。

 

 さて。

 

 それに先立つ1998年の12月25日にネット上に一編の創作短編が発表された。まだSNSはおろか、動画も、ブログも、チャットも、大型匿名掲示板も出現する以前の話である。日本におけるネット上のコンテンツといえば、企業が会社案内パンフレットを丸写ししたような企業サイトと、HTMLを使える個人がつくる「ホームページ日記」がほとんどだったような時代の話だ。

 

 その短編小説は「大杉漣のクリスマス・ストーリー」と題して発表された。内容は、とある犯罪的な傾向のある青年が、クリスマスの日に街で出会ったホームレス(実は演技中の大杉漣)と会話するうちにちょっとした啓示を受け……というような他愛もないハートウォーミング・ストーリーだった。問題はその「犯罪的傾向」の描写で、主人公はまさしく後の「オレオレ詐欺」の通りのことをやってのけるのだ。そこに文字数はさほど費やされていないが、読めば誰でもわかる程度には、つまり真似しようと思えばすぐに真似できる程度には具体的に描かれている。

 

 実際の事件の発生が翌1999年の夏なので、これは作者の創作と考えていいだろう。そしてタイミングを考えればこの作品がのちに世間を騒がす(もう15年以上にわたって続いていることになる!)一連の詐欺事件のヒントとなったことはほぼ間違い無いだろうと思われる。

 

 でもまあ、これもひょっとしたらフィクションの上ではもっともっと昔に描かれていた可能性もあるので、あまりドヤ顔で書くのはやめておこう。僕はたまたまその作品のことを知っていて、翌年以降に明るみに出た実際の事件を見て唖然とした経験があるという、思い出話にとどめておくことにする。

 

 え? おまえが書いたんだろうって? ま、まさか。僕ではありません。僕ではありませんよ。

 

(「【僕ではありません】」ordered by 阿藤 智恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・振り込め詐欺などとは一切関係ありません。

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