【多すぎた橋】SFPエッセイ040

 結局「25年戦争」とはなんだったのだろうと考え込まざるを得ない。愚行に次ぐ愚行の連鎖。こうして半世紀を経て振り返ると、どの時点のどの人物の選択も(あるいはどの集団の選択も、つまりどの国の選択も、どの来訪者の選択も)、ことごとく間違いに次ぐ間違いの連鎖だったことがわかる。なぜ同時代の人々が(それは政府でもあり、市民でもあり、来訪者でもある)間違いに気付かなかったのか。もしくはせめて、もっとましな選択ができなかったのか。現時点から見ると不思議でならないが、歴史とはそういうものなのかもしれない。とても賢明な選択ができる時期があり、とても愚かしい選択を重ねてしまう時期があり、そのどちらかだけになることはないのだと。

 

 最初は「作家の暗殺」から始まった。先に結論から言うとそれは暗殺でもなんでもなかった。もっと言うと作家ですらなかった。と、こう書くと、歴史を知らない若い人たちは私がふざけていると思うかもしれないが、これは歴史上の事実であって、ギャグでもなければネタでもない。

 

 ここで「作家」と呼ばれている人物は「インターネット」上で(当時はコミュニケーション上のインフラのことを「インターネット」と呼んでいた)、自作の創作作品を20000編近くも発表していた西北太平洋地域在住の人物で、「アカヒロ」名義で発表された膨大な作品群は「アウトサイダー・アート」的な注目を集め、複数の言語に翻訳され、ごく一部の若者たちによって「発見」され、強い支持を受けていた。要するに、テキストによる「シュヴァルの理想宮」というわけだ。

 

 事件は次のようにして始まった。

 

 ある時「作家」の作品発表が唐突になくなった。その中断は、熱狂的なファン(ごく少数ながら存在したファン)の間でさまざまな憶測を呼び、「ライターズブロック(スランプ)に陥ったのだ」「緊急入院したらしい」「ついに発狂して監禁状態だという証拠がある」「急死したらしい。これが葬儀の写真だ」などなど、後の研究者の調査によれば全部で73タイプの説があったという。その中の一つに「某大国政府によって暗殺された」という不穏なものもあった。当時の時代背景もあいまって、この説が「インターネット」を介して世界中に広まった。同時に「作家」は一部のマニアのものではなく、世界的な有名人にまつりあげられていく。「ウイ・ビリーブ・イン・アカヒロ」というフレーズを人々は(作品を読んだこともない人々も)スローガンとして掲げ、当時、国際的に不人気な某大国への批判に結びついた。

 

 このフレーズを、やはり国際的に不人気な、もう一つの別な某大国(ややこしいので最初の某大国をA、もう一つの某大国をBとしよう)が採用し、某大国Aへの攻撃の材料に使った。「インターネット」上で暗躍していたアンチA勢力集団「匿名ちゃん」がこれに便乗し、まず「サイバー攻撃」が始まった(このあたりの「インターネット」「サイバー攻撃」といった用語はいちいち気にしないで読み飛ばしてほしい。古い古い技術を基にした古い古い戦術の話だから今となっては知る必要もない)。その結果、大国Aは情報通信手段を失い、また、同時にいきなり国家破産という状態に追い込まれた。

 

 軍事力においてほぼ互角とされていた両大国は、それまで「力による平衡状態」を保っていたが、ここに至って激怒したA国政府は総力戦に打って出た。ところがB国の軍隊は口ほどにもなく、世界が唖然として見守る中、わずか数日で総崩れとなり、おまけに某大国Bの政府はあっけなく瓦解した。ここから話がややこしくなる。崩壊したBは全部で30前後の独立国となり、そのそれぞれが某大国Aに対して宣戦布告をし、また隣国同時の紛争を開始した。そこに来訪者がやってきたことで事態はさらに複雑さを増すことになる。世界大戦がまさに始まろうというこのタイミングで地球外生命体の船団が地球周回軌道に大量に出現したのは偶然だったのか、ねらいすましていたのかはわからない。とにかく地球外からの来訪者が出現し、その使節が交渉のためにやってきたため、「誰が人類を代表するか」という喫緊の課題が新たに加わり、当然のことながら各国の思惑が噴出することとなった。

 

 この期に及んで「国連」と呼ばれた地球規模の国際的な組織が軍隊を出動させ、大小取り混ぜ40カ国余りが「一刻も早い世界の平和を願う地球代表の諸国民軍」として国連軍に加わり、旧某大国Bの国土を舞台にした戦場に赴いた。戦闘を停止させ調停を計る目的だったが、当然話はそんなに単純ではなかった。これらの寄せ集め軍隊は、A、B双方の軍隊と小競り合いをした挙句大敗し、その後「諸国」のそれぞれが、統一感もなにもなく、それぞれの動機と思惑に基づき、A国ないしは分裂したB国家群のいずれかと戦端を開くことになり、さらには戦闘に巻き込まれて同胞が命を落とした(と主張する)来訪者も戦闘に加わり、かくして終わることのない25年戦争へと突入することになったのだ。

 

 さて。

 

 アカヒロは生きていた。実にふざけた話だと私も思うが、アカヒロは生きていた。暗殺などされていなかった。ぴんぴんしていた。執筆が中断したのはゲームのせいだった。「オンラインゲーム」と呼ばれたゲームに熱中し、丸々2年間にわたって、起床時間のほぼ全てを食事と排泄以外はゲームに費やしていたのだ。「ドッキリ! 魔法学園H」という名前のそのゲームは、稚拙なストーリーと性的なイメージが氾濫する低劣なコンテンツで、どうやればそのゲームに2年間も費やすことができるのか想像を絶するが、アカヒロが「インターネット」に残したログインの痕跡からそれが事実だということが裏付けられている。

 

 これは10代の子どもの話ではない。アカヒロはその時すでに70歳前後だった。

 

 そして2年ぶりにアカヒロの新作が発表された時、すでに世界は混迷を極めていた。「多すぎた橋」と題されたその作品は、マッチョで愚かな政府が力任せに相手を叩きのめし合う様を描いたものだった。概要を話すと、対立する両国は、互いに次のような作戦を立てる。敵国の交通はもちろん、水道、電気、ガス、情報などのライフラインにおける「橋」を破壊し、相手の国家としての機能を壊滅状態にしようというものだ。しかし橋は壊しても壊してもなくならない。現実の川にかかる橋も、ライフライン上の象徴的な橋も決してなくならない。かくて戦争は、「ターゲットとなる橋が多すぎる」というバカバカしい理由で泥沼化していくのだった。

 

 いつまでたっても終わらない、むなしい戦争に陥るというプロットは、その後20年以上にわたって続く「25年戦争」を前にして、まさしく予言的であったとも言える。しかし、実際には「アカヒロが生きていた」という事実は猛烈な失望を生み、「ウイ・ドント・ビリーブ・イン・アカヒロ」というフレーズが一気に広まり、結局アカヒロは暴漢に襲われ、今度こそ本当に人知れず死んでしまうのだが、その本当の死は、もはや25年戦争にはなんの影響ももたらさなかった。

 

 しかし私は、このアカヒロをめぐる一連のくだらない事象の中に25年戦争の本質を感じずにいられない。もっと言えば歴史上のすべての戦争の本質を感じずにいられない。ひとことで言えばそれは「男子中学生性」である。オンラインゲームにはまったアカヒロも男子中学生性むき出しだ。暗殺説のような陰謀論に飛びついた全ての人も男子中学生そのままだし、「ウイ・ビリーブ・イン・アカヒロ」といった鼻息の荒いスローガンを掲げた人も全員男子中学生としか思えない。それを採用した某大国B、便乗した「匿名ちゃん」、いきなり武力行使した某大国A、武力でなんとかできると思った「国連」及び「諸国軍」、そして間の悪い来訪者と、関与した者全てが男子中学生だったとしか思えない。

 

 現実に存在する男子中学生諸君には大変申し訳ないが、私にはこの「男子中学生性」が全ての問題の元にあると感じられる。年こそとったにもかかわらず、精神年齢がそこから一切成長できないままの大人たちに潜む「男子中学生性」こそが、人類の愚行の根源なのだと。アカヒロの遺作となった『多すぎた橋』のエンディングは次のような言葉で締めくくられる。「来訪者」が人類の首脳たちをひと部屋に閉じ込め話しかける言葉だ。アカヒロはひどい「作家」だったかもしれないが、この絶筆の文章には賛同せざるを得ない。

 

「橋を壊すなんてどだい無理なんだよ。そもそも橋を壊そうという考え方が間違っているんだ。人と人を結ぶ橋はつくるものであって、壊すものじゃない。壊しても壊しても決してなくならない。おまえたちがどんなに力を振るおうと橋は決してなくならない。常に橋は多すぎるんだよ」

 

(「【多すぎた橋】」ordered by 小二田 誠二-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・各国政府・アノニマスなどとは一切関係ありません。

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