【困る練習】SFPエッセイ036

 例によつて例のごとく、キミタケが奇妙な話を土産にぶら下げて訪ねてきた。

「タツヒコ、習ひ事をしに行かないか?」

 にやにやと笑ひながらキミタケが云ふ。

「どうせ碌でもない習ひ事だろう。何だ。錠前破りか。阿片の吸引か」

「バカを云ふな」

 

 キミタケに云はせると、それは来るべき困難に立ち向かうための便法なのださうだ。

「来るべき困難つて何だ」

「天変地異、戦乱、経済の崩壊、暴君の圧政、テロル、なんだつてありさ」

「そんなものに如何やつて立ち向かう」

「なに、行つてみればわかる」

 

 例によつて例のごとく、強引なキミタケに引きずられて澁々と云ふ体を装つて、わたしは好奇心を漲らせて同行した。離れた町まで赴くのかと思つていたが存外近くで、ものの一町半程歩くと目的地に着いた。「此処だ此処だ」と太い眉の下の目を細めながらキミタケが満足さうに呟く。黒塀越しによく整へられた松が少し顔を覗かせ、琴か三味線でも教えてくれさうな風情の町家だ。数寄屋門の傍の表札には「初夏微風道逃道館」とあり、その下に墨跡も真新しく「困惑の事伝授いたす」と記した紙が一枚貼り付けてあつた。

 

「困惑の事?」

「さうさ」

 それこそ困惑するわたしに構わずキミタケは門をからからと開けてずんずん中へ入つて行く。建物の前に仁王立ちになつて「頼もう頼もう」と声を張り上げる様はまるで道場破りである。奥の方からすたすたと足を運ぶ音があつて、「はいはいお待ちを」と声がして、三和土(たたき)に立つ影が磨りガラス越しに見え、がらりと開けて出てきたのは、身丈夫なキミタケよりもさらに一回り柄の大きな初老の男で、低く澁い聲で「逃げ道ですか、困惑ですか」と訊ねた。我々が聞き返すと「道場の方ですか、習ひ事の方ですか」と言い直した。

 

   *

 

 落語に「あくび指南」と云ふ、少々シユールレアルな噺がある。あくびを教えてくれるというところに二人の男が連れ立つて教わりに行つて、これまた一人は乗り気で一人は付き合わされてという、まさしくキミタケとわたしと瓜二つな話なのだが、なにしろ教わるのが「あくび」だ。眠気が催してきたときに知らず知らずでてくる例の天然現象である。小さな畳の部屋で師匠と乗り気の男が向かひ合つて、やれ隅田川を下る小舟からうらうらとしたお日様を浴びてぽかぽかした陽気のところ川辺の景色を眺めて思わずあくびをすることを想像なさいなどとやつてゐるが、乗り気の男は何しろ大乗り気なのでなかなかさうは眠気をもよおせない。ちつともうまくならない。それで隅の方で座つて様子を見ていたもう一人の男が退屈して思わず大あくびをする。すると「ほらお連れさんは見事なあくびをなさいます」と褒められる。と云つた調子の至つてバカバカしい平和な噺である。

 

 質問に「習ひ事の方です」とキミタケが応へると、大男は実に悲しそうな顔つきになり「ではこちらへ」と奥の座敷に案内した。こんな町屋の奥座敷にこんな人がと驚くような艶麗な女人が火鉢の脇に座つて居て、どうぞこちらへと囁くやうな聲で招く。こうなると落語とは違つてわたしも大乗り気である。弟子にしていただきます、姐さんとイヤ師匠と呼ばせていただきたいと云わんばかりに身を乗り出して一緒に並んだ。

 

 困る練習です、と師匠がささやくやうに教える。ああそうか、困る練習かと心の中で繰り返すが何のことやらさつぱりわからない。「何ですって? 困らないように練習するんじやあないんですかい」キミタケも緊張しているのか、いつもなら口にしないような職人めいた口の利き方をしていて可笑しい。「ほなあれですのん、地震や噴火があつても大丈夫と云う噂はちゃうんのんですのん」わたしも緊張のあまり使つたこともないのに関西弁風になつてしまつた。

 

 困る練習です。と師匠は繰り返した。地震が来ます。家が倒れます。道はふさがり逃げられませんし、あなたは家具に押し倒されて身動き取れません。火事が出ます。津波も来ます。どうしますか。「そいつあ困る」とキミタケ。「困りまんなあでんなあ」とわたし。「耳障りだぜタツヒコ、それ」とキミタケ。「おまはんこそガラツパチな喋り方がちいとも似おうてないわいなあ」とわたし。

 

 わたしたちのやりとりには耳も傾けず、師匠は続ける。ではそうならないように何かできますか。「おいらあ高いところに住むね」「火事で燃えへん家に住んだらええねんやんか」「家具も倒れないようにするね」「道を塞ぐものを無くしたろか」「家も頑丈堅固に普請すらあ」「地震が起きひん土地に越しまひょか」

 

 これでもう大丈夫と思つても災害は必ずその大丈夫を超えてやつて来るのです。師匠はささやき聲の中に凛とした響きを込めて云つた。戦も同じです。「いくさ」と師匠は云つた。わたしは惚れ惚れと聞いた。戦争だの戦乱だのとは違い、色年増の口から発せられる和語の「いくさ」にはたまらない風情がある。流行病も同じです。「はやりやまい」と師匠は云つた。政の乱れも同じです。「まつりごとのみだれ」である。

 

 つまり師匠の云うことには、災厄にどれだけ備えても必ずその備えを超える大災厄がやつてくる。その時に人はどうなるか。困るのである。用意した備えが役に立たない。身に危険が迫つてゐる。どうすることもできない。自分では準備万端と思つてゐてもなお、そういう事が必ず起こる。どうするか? 困るしかない。困る他に何もできないということが、きつとやつてくる。その時のためにすべきことは何か。それが困る練習なのだという。困り方にもいい困り方と悪い困り方があり、悪い困り方をするとどんどん深みにはまって抜け出せなくなる。けれどもいい困り方をすればいずれ窮地を脱することができるかもしれない。なぜなら

 

「いかなることでも時間が必ず解決してくれるからです」

 

 妙にはつきりと師匠の聲が耳に刺さつた。はつと目をあげるとキミタケもわたしも畳の上に横たわり、ぐるぐるに縛り上げられてゐた。師匠はキミタケのすぐ傍ににじり寄り、キミタケに接吻でもするかのように顔を寄せてゐた。目の端で何かが動いたので見ると、大男が立ってわたしたちを見下ろしてゐた。

 

「逃げ道について教わりにくるべきだつたのです。さうすればこんなことにはならなかつた」

 

 何を言うてはるんでつか、と関西弁で聞き返そうとしたが聲が出ない。キミタケが「ああ」と悦楽の聲と取れなくもない呻きをあげたので見ると師匠はキミタケと口を重ねており、妖しく口元を震わせごくりごくりと喉を鳴らしてゐる。みるみるキミタケの肌が色を失い、かさかさに乾き、シワが目立つやうになり、やがて髪の色が褪せるやばさばさと抜け落ち、瞬く間に老人になつてしまつた。師匠が身を起こしこちらを向く。唇が異様にてらてらと赤く血が滲んでいるかのやうに見える。婉然と微笑みはつきりした聲で云ふ。

 

「困つたわ。お腹がいつぱいになつちやつた。でも大丈夫、時間が解決してくれるから」

 

(「【困る練習】」ordered by 東 宏樹-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・妖怪年食いなどとは一切関係ありません。

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