【セロリ3束、1回の食事で(一人で)たいらげた】SFPエッセイ031

 これは最初に言っておかないとアンフェアになりそうなので、はっきり書いておく。今から書くのはセロリ3束を1回の食事で、しかも一人でたいらげた話だ。それ以上でもそれ以下でもない。だから何か変わった仕掛けや、思いがけない展開を期待している人はどうかそんな邪心は綺麗さっぱり捨てて、タイトルに書いた通りの話を楽しんでいただきたい。セロリという名前の人物が登場したり、「セロリ3束、1回の食事で(一人で)たいらげた」というセンテンスそのものが別なメッセージを含む暗号だったり、そういう展開は一切ないのでそれだけはご了承ください。

 

   *

 

 セロリというのは得体の知れない植物だ。私は基本的に好き嫌いはない。どんなものでも食べる。子どもの頃から、昔のまだ甘くなかった頃のニンジンも食べたしピーマンも平気だった。マトンやラムも最初から美味しいと思った。コリアンダーもカメムシみたいな匂いがすると言って嫌う人もいるが全然平気だ。なんならカメムシだって食べられるかもしれない。蜂の子やザザムシ、イナゴなどもおいしくいただく。

 

 けれどセロリはだめだ。話にならない。なぜあんなものを食べるのか信じられない。はるか昔に一度だけ口にしたことがあるが即座に吐き出した。「毒だ」と思ったのだ。なにかおぞましい企みがあって、私を痛めつけるために開発された生物兵器か何かに違いない。そう体が判断したのだ。ただちに吐き出した。たちどころに吐き出した。可及的速やかに吐き出した。おかげで私は生き延びることができた。そして大人になれた。

 

 さて大人になるとセロリくらい食べられて当たり前というふうになってくる。どうかするとセロリが好物だと言ってのけることが大人の味覚を知る証拠とみなされることもある。ましてやセロリが食べられないなどと言おうものなら、お子ちゃま扱いされてしまう羽目になる。どうして文明国であるこの日本でそんな恐ろしくも野蛮なことが常識化してしまったのか、全く憶測することすらできない。

 

 けれどもバーなどに行けば野菜スティックなどというものを頼む輩が出てきて、そうなるとキュウリやパプリカやニンジンや大根などに混じってあの恐るべき刺客が姿を現わす。虎視眈々と私を狙ってくる。私の肉体と精神を苛むことに喜びを見出す捕食者だ。不意打ちして私を亡き者にしようと待ち構えるスナイパーだ。

 

 しかしながら、そういう危機的状況にあっても私はいささかも動じることがない。野菜スティックに手を伸ばし、ニンジンなどを時間をかけてコリコリとかじる。セロリが一本減る。なぜあんなものを食べられるのか気持ち悪くて私には想像することもできないが、とにかくセロリを持っていく人がいる。蛮勇と呼びたい勇気ある人がいる。物好きにもほどがある人がいる。自己破壊願望の強い人がいる。そのおかげでセロリが一本減る。また一本減る。

 

 そのあたりでおもむろにパプリカなどに手を伸ばす。そしてディップをつけた状態で手元の皿に寝かせて鑑賞したりする。なんなら何か興が湧いたというふうを装ってiPhoneを取り出して皿の上のパプリカを撮影したりなどする。ほら、などと撮影したパプリカのしどけない姿を同席する人に見せたりする。刻々と時間が過ぎ、冒険者たちがセロリのスティックを一本、また一本と減らしていくのを確認する。なくなったのを確認するとパプリカを片付け、時には余裕を見せてセロリを取ろうと手を伸ばしたが、おや、ありませんでしたか、というふうに指先で宙をつかむ振りを見せたりする。

 

 2019年12月18日。重要な会議を上首尾に終えて機嫌のよかった私は仕事仲間と軽い打ち上げということで酒を飲むことにした。この日は何もかもがついていた。入った小料理屋は当たりだった。大当たりだった。店の規模感も好みだったし、女将の和服も好みだったし、置いてある日本酒の豊富さも好みだったし、女将の気配りも好みだったし、料理の味付けも好みだったし、女将のほつれ毛も好みだったし、落ち着いた年齢の客層も好みだったし、女将の顔立ちも好みだった。とにかく何から何まで私の好みに合わせて私のためにあつらえられた店のようだったのだ、その時までは。

 

 どこかのタイミングで愚か者が野菜スティックを頼んだ(もうあいつとは二度と一緒に仕事をしない)。この何もかもが私のためにつくられたような店において、どうしてそんなメニューがあったのか、どんな陰謀が張り巡らされていたのか、それは知る由も無い。けれど非情にも野菜スティックは登場し、私たちの眼の前に置かれた。いつも通り私は華麗な手さばきで野菜スティックに手を伸ばし、時間をかせぎ、そしてセロリの不在を確認しから、手を伸ばして指先で軽く宙を空振りさせた。

 

 だがそれを女将が見逃さなかった。あらセロリがお好きなんですか?と女将が言った。微笑みを浮かべて女将の目を見ながら私は右の頬が軽く痙攣を繰り返すのを感じた。なぜセロリを取る振りだということがわかったのか、そのあたりが私の好みであるところの女将の気配りの質の高さなのだとは思うが、ことセロリ問題に限って言えばそれは全く余計な質の高さであったと言わざるを得ない。え? あ、まあ、はは。私は肩をすくめて鷹揚に笑って見せた。仕方ないですよ、なくなったものは、というニュアンスである。でしたら今日はいいセロリが入っているんですよ。と女将が言った。いい魚が入っているとでもいうような口調で言った。私の好みの女将の趣味の良さにいささかの瑕疵が生じたことは否めない。

 

 そしてセロリ祭りが始まった。

 

 最初はきんぴらにセロリを使ったものだった。私はほほうと嘆声を上げながらそれを口にした。私の中で何かが死んだ。次はじゃがいもとセロリを豚肉で包んだ煮物だった。絶品ですなとつぶやきながら私は噛み締め、飲み込んだ。後頭部のあたりに死神が鎌を突き立てるのを感じた。鶏の胸肉とセロリをさっぱり炒めたものが出てきた。上に散らした輪切りの唐辛子の味だけを頼りに私は自分の意識を保とうとした。スープが出てきた。エビと一緒に中華風に仕上げたものが出てきた。トマト煮が出てきた。このあたりでさっぱりしたものをといって青シソと塩こぶを散らしたサラダが出てきた。その全てにセロリが入っていた。

 

 沖縄では、はるか海の先にニライカナイという異界があると信じられているそうだ。そこは豊穣と生命の源であり、海続きに辿り着ける場所ではあるが、同時にそこは神域でもある。神々はニライカナイから私たちの住む地にやってきて、そして私たちが天寿を全うした時には、死者の魂はニライカナイに向かって旅立つという。その時、私は間違いなくニライカナイへの旅に向かおうとしていた。

 

 それから不意に私の体の全細胞が強烈な指示を出した。わたしは失礼とつぶやくとすたすたとしっかりした足取りでトイレに足を運び、その日飲食した一切を(お食事中の方は失礼)下水道へと流し去ることに成功した。口元を拭い、素知らぬ顔をして席に戻ると女将がうっとりするような私好みの笑顔を浮かべて言った。今日はセロリ3束を買ってきたけどお客さんが全部食べちゃったからもうないの。ごめんなさいね。

 

 私はにっこりと微笑んで、いやいやこれだけ堪能したら十分です。これ以上食べるとせっかくのここまでの感激が薄れてしまう。またの機会にしますよ、と。私がこの店に足を運ぶことは二度とないとは思うが、女将の心を傷つけるのは私の趣味ではない。

 

 こうして私はニライカナイへの旅から帰還することができた。人生で最も死に近づいた一夜を無事に乗り切ることができた。そういう意味では、やはり今日はついていたと言ってもいいのかもしれない。というわけで、私はセロリ3束を1回の食事で、しかも一人でたいらげたのだ。少なくともしばらくの時間は。

 

(「【セロリ3束、1回の食事で(一人で)たいらげた】」ordered by 阿藤 智恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・クックパッドレシピなどとは一切関係ありません。

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