【随筆とエッセイ】SFPエッセイ030

 随筆がうちにやってきたのは息子の3歳の誕生日プレゼントで、エッセイがうちにやってきたのはそれから2年半ほどして娘の3歳の誕生日プレゼントだった。随筆にどうして随筆という名前をつけたのかはもう思い出せないが、たぶんぼくがいつものようにふざけた言葉をいろいろ言っていたら息子が「ずいひつがいい」と言ったのだと思う。3歳の男の子が「ずいひつ」という言葉の響きの何が気に入ったのはわからないが、こうして随筆は随筆という名前になった。

 

 エッセイの方はもっと簡単だ。うちにやってきたエッセイを見るなりみんなが「わあ、随筆にそっくり!」と叫んだのだ。そこでぼくがまたもっともらしい顔をして(もっともらしい声も出して)「随筆と双子といえばもうエッセイしかないな」というと、当時はまだ素直でパパ大好きだった娘は「じゃあ、エッセイ!」と叫び名前が決まった。妻が冷ややかな目でぼくのことを見ていたことを昨日のことのように覚えている。

 

 3歳の子どもに一人で面倒を見させることはできないから、随筆の時には、当初、妻でありぼくでありが付き添う形で息子と随筆を散歩に連れて行ったり、餌をやったり、ケージを掃除したりすることになった。結局親が大変だねと最初のうちは言っていたのだが、それまでわりと粗暴で落ち着きのなかった息子が随筆の世話には熱心で、徐々にケージの世話も一人でできるようになり、早起きして餌もやるようになり、気が付いたら随筆と一緒に外に遊びに行ったりもするようになっていた。息子が「ズイ!」と声をかけると随筆は宙を舞ってついていった。いつの間にか随筆の世話係は息子の専売特許となった。

 

 これは嬉しい驚きだった。

 

 嬉しい驚きはまだあった。エッセイがやってくると娘はその世話の仕方を兄から教わりたがった。我々親の出番はほとんどなかった。もちろんいきなり6歳の少年と3歳の少女が二人きりで──いかに生まれたてとはいえ──随筆やエッセイのようなペットを連れ回すのは、我が家はよくても近隣の人が気にするだろう。そう思ってしばらくは妻かぼくが同行していたのだが、意外にも外で会う人がみな好意的で、自分のペットを自分で世話する小さな子どもを良しとしていたので、気がつくと息子は随筆を、娘はエッセイを連れて出かけるようになっていた。

 

 そういえば最初の頃にこんなことがあった。娘も兄の真似をしたかったのかエッセイのことを「エイ!」と呼ぼうとしたのだが、息子は魚類図鑑を引っ張り出してきて「エイはお魚だから変だよ」と教えてあげていたのを思い出す。試行錯誤の末エッセイは「エッセ!」と呼ばれることになったが、どうせなら縮めずに「エッセイ」と呼べばいいのにとぼくは思った。後で聞いたら妻もそう思っていたし、「エッセ」を容認した息子も思っていたらしい。でも「ズイ!」みたいにニックネームをつけたい妹の気持ちを立てて認めてやったのだ、と6歳の少年は生真面目な表情で教えてくれた。

 

 外見こそ瓜二つだったが、随筆とエッセイの性格は対照的だった。随筆は内向的な性格で用心深く、ケージを開けても自分からはなかなか出てこようとしなかった。一方エッセイは開けっぴろげでケージの外に出たがり、好奇心旺盛に何にでも首を突っ込んだ。随筆は気に入ったおもちゃをいつまでもつつきまわして遊んでいたが、エッセイは他人が持っているものならなんでも勝手におもちゃにして遊んだ。随筆は特に何をするでもなくぼーっとしているのが好きだったが、エッセイは何かしらしていなくては気が済まないし、誰かしらが相手をしていないと不満なようだった。

 

 文学の形式としての随筆とエッセイの違いをぼくはうまく説明できない。でも、個人的な体験に引き寄せて内省的に事物を語るとき、わかるひとだけわかればいいという姿勢、つまりまるで息子の随筆のような姿勢で書くときには自分が随筆を書いていると思い、一方で、誰かしらに働きかけ自分の考えを理解させようとする姿勢、つまりまるで娘のエッセイのような姿勢で書くときには自分がエッセイを書いていると思うようになった。それが世の中の定義と合っているのかどうかは知らない。ただ、ぼくはそうした。随筆は内向的で、エッセイは外向的だった。

 

 だから息子が8歳、娘が5歳の年に随筆が人にけがをさせた時には驚いた。そういうことをするとは思えなかったからだ。後から話を聞くとどうやらその人物は随筆にしつこくちょっかいをかけてきて、随筆を真剣に怒らせてしまったらしい。随筆は高く舞い上がると一気に急降下し、その人の右目をくりぬいてしまった。それまで好意的だった近所の人も一気に態度を硬化させ、随筆もエッセイも外を散歩できなくなってしまった。

 

 その事件をどう解決したかという話は込み入っているし、陰々滅々たる話なので省略する。妻とぼくはいろいろな証言をきちんと聞いた結果、随筆を責めないという結論に至った。随筆には随筆の生き方があるし、それを邪魔するものは当然リスクを負う覚悟が必要なのだ。人の目をくりぬくのは良くないことだが、無神経でしつこいちょっかいを出すのも良くないことだ。過失傷害の罪はぼくが負う。でも随筆を責めるのは筋違いで、ぼくが負った罪はちょっかいをかけた人物に原因があるのだ。

 

 当面、我が家に限って言えば随筆とエッセイの運動不足をどうするかが大きな問題となっていた。ぼくたちは非合法の異次元ホールを住居の一角に設け、その中に入って行って随筆とエッセイに運動をさせた。随筆は自分に責任があると思っているのか、それとももう落ち着く年齢だからなのか、文句も言わずに息子に従った。エッセイは若いからか性格なのか不満げでしょっちゅうケージに体当たりして外に出せと要求するようになった。もう一つの事件が起こるのは時間の問題だったのだ。

 

 事件から何年か経ったある日、片目を失った男が我が家に侵入してきて異次元ホールを見つけわめきだした。違法だ、訴えてやるとかなんとか。そして随筆とエッセイのケージを見つけると、おそらく区別がつかなかったのだろう、エッセイに向けて銛のようなものを投げつけた。銛はエッセイには当たらず、ケージを破壊した。エッセイはそこから外に飛び出し、男に飛びかかった。男は懐から小火器を取り出しエッセイを撃った。エッセイは撃ち落とされ動かなくなった。ぼくは男に近寄ると、どんとひと突きし、男を異次元ホールに転落させ、ホールを閉じた。

 

 それからぼくはエッセイの傍にひざまずき、手を添え、声をかけた。エッセイはもう息をしていなかった。自分の中の怒りがどんどん膨れ上がるばかりで去ろうとしないことに戸惑いを覚えながら、エッセイをさすり、声をかけていた。何を言っていたのかはわからない。たぶん、おはよう、とか、遊ぼう、とか、ふだんかけるような言葉を無意識に発していたのだと思う。随筆がケージの中でみじろぎし、カタリと音がした。ぼくは随筆のケージをあけてやった。随筆はケージの中にとどまったままぼくを見つめていた。

  

 二階からの階段の途中で一部始終を見てしまった兄妹は黙って駆け寄ってきて、ぼくに取りすがり、泣いた。法律は再びぼくを罰するだろう。目をくり抜かれ、異次元ホールに突き落とされ戻ってこられなくなった人が被害者ではないという気はない。けれど彼もまた加害者だったことを、今度も誰も省みようとしないだろう。被害者になったら何を言っても、何をしても許されるのか? ぼくには伝えなくてはならないことがある。エッセイのように働きかけるべきだ。でもそうは書けない。とりとめもなく身辺のできごとを綴ることしかできない。随筆のように。

 

 ちょうどその時、随筆はケージから出てきてエッセイのそばに舞い降りると、まずぼくを見上げ、くちばしで娘の頬にそっと触れ、息子の膝に頭を擦り付け、それから向きを変えるとひとのみにエッセイを飲み込んだ。あっという間の出来事だった。ぼくらはあっけにとられて随筆を見ていた。随筆は体を伸ばし、飲み込みにくそうに首を二、三振ったがそれだけだった。たった今の今までそこに横たわっていたエッセイは姿も形もなくなった。息子が言った。

「エッセはズイの中にいるんだ。これからずっと。そうだろ、ズイ?」

 

 随筆は少し首をかしげた。買い物から妻が帰ってきた物音がした。エッセイも首をかしげるのが見えた。

 

(「【随筆とエッセイ】」ordered by 岡 利章-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・ペットなどとは一切関係ありません。

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