【歌舞伎】SFPエッセイ029

 独立行政法人日本芸術文化振興会という組織があって、聞きなれない人も多いと思うが要するに国立劇場を運営する組織だと思えばいい。そのウェブサイトの中に「文化デジタルライブラリー」というコーナーがあって、主に中高生をメインターゲットとしたオンライン教材が集まっている。毎年のように新規コンテンツを追加しているが、これはコンペ形式でプレゼンテーションをして採用された会社が制作することになる。

 

 このコンテンツをなんだかんだで4つほど担当した。古い方から「演目解説 仮名手本忠臣蔵」、「文楽(歴史と義太夫節)」、「日本の伝統音楽 歌唱」、「能楽の歴史・狂言」である。これを請け負っていた時期は毎年のようにプレゼンに参加していたので、上にあげた以外の演目や芸能についてもプレゼン資料をまとめる程度には勉強したし、実際に請け負ったコンテンツについては約半年間、集中的に資料を読み込み、どっぷりと古典芸能漬けになった。ただし知識ばかり詰めこんで、実際の舞台を見ることは少なく、典型的な頭でっかち状態ではあったが。

 

 一番最初が、歌舞伎の演目としての『仮名手本忠臣蔵』だった。これは強く印象に残っている。いわゆる赤穂浪士事件を素材にしていながら設定は南北朝から室町時代にかけて、『太平記』の世界を借りて、舞台も伯耆の国(いまの鳥取県)となっている。当時は幕府の制約のもと、現実の世界を(特に政治を)題材にしてはならなかったのだ。だからこの物語には、浅野内匠頭も吉良上野介も出てこない。名前を変え、別な背景を持つ人として登場する。そんな、古典芸能ファンにとっては常識のようなことを一から学んだのだった(断言するが今の日本ではその常識を知らない人の方が圧倒的に多いはずだ)。

 

 しかも、この作品はもともと文楽のために書かれた作品であり、3人の作者による合作であり、この物語世界をそのまま利用して『東海道四谷怪談』が書かれたのを始め、演劇、講談、落語、小説、映画、テレビなど、さまざまなジャンルで『忠臣蔵』が描かれ、のちの時代にも多大な影響を与えている。驚くような話ばかりだ。

 

 このコンテンツでは好き放題やった。「もしも『仮名手本忠臣蔵』にトレーラー・ムービーがあったら」という設定で動画を一本作ってしまったり、大星由良之助(大石内蔵助のことですね)の茶屋遊びを知ろうというので京都の上七軒に“取材”をしたり、取り壊される前の歌舞伎座に「山科閑居の場」を観に行ったり、どれもこれも「仕事」ではありつつ、ずいぶんいろいろ珍しい思いをさせてもらった。こういった一連の制作過程については書き出すと止まらないくらい面白い逸話があるのだが、ここでは触れない。

 

 古典芸能について学ぶ一番最初が歌舞伎の演目だったのは、何かしら縁を感じる。スタッフの中で最も伝統芸能に通じている人が、歌舞伎というのはどの一瞬を切り取っても錦絵のようであることを目指しているのだと教えてくれて、そのことがとても印象に残っている。歌舞伎を理解するのに最も分かりやすいガイダンスだ。外国人に説明するにもピッタリだろう。彼らは日本文化をまず浮世絵で知っており(彼らの関心がアニメでなければ、という注釈が必要だが)、中でも役者絵だったり、舞台を描いたものだったりはすでにお馴染みだからだ。

 

 色彩豊かな錦絵の中の異常にテンションが高いあのポージングや空間構成をそのまま全ての瞬間にやろうとしているのが歌舞伎なのだと言われるとなぜあのような舞台になるのかが理解しやす。だからこそ全身の筋肉は常に緊張し、だからこそ動きはしゃちほこばり、だからこそセリフが可能な限り長く引き延ばされる。全ては「錦絵の決めのポーズ」をしっかり観客に届けるためなのだ。

 

 古典芸能にさっぱり縁のない人生だったので、とても新鮮な思いで「山科閑居の場」を見ていたのだが、その最中にまずデジャヴが訪れた。この話は知っている。あらすじを先に読んだからではなく、この先の展開を知っている。訪ねてきた息子の恋人を邪険に追い払っていたおかみさんが手のひらを返したように結婚を認めると言い出す。とんでもない交換条件をつけてくるはずだ。やっぱり! そしてもうすぐ虚無僧が出てくるはずだ。ほら出てきた。しかもその虚無僧は……。そして以前にこの舞台を見たのがいつだったか思い出した。

 

 招いてくれたのは永寿堂の西村屋与八だった。富士山の絵をもう10枚描いてくれるんなら『忠臣蔵』をおごる、と言われて、これまたちょうど見たかった梅幸が出るというのでほいほいと観に行った。天保2年か3年あたり。どうして忘れていたんだろう? すっぽりとあの頃のことを忘れていた。いまはSFPなんぞをせっせと書いているが、あの頃はひたすら絵を描いていた。狂ったように描いていた。楽しかったのだ、ああいう、形になるものを残せて、それを喜んで受け入れてくれる人がいたことが。だから公衆の前で大達磨なんかも描いてしまった。あんな目立ったことをして、ずいぶん危険な真似をしたものだ。

 

 ああそうか。だから次から次に転居を繰り返していたんだ(今Wikipediaを見ると93回引っ越したことになっている)。名前も変えた。弟子やら好事家に二束三文で売って改号した(これまたWikipediaによると30回)。西村屋と『忠臣蔵』を見た頃は「為一」と名乗っていた。一つ所にいると正体がばれるのでとにかく移動し改名していたのだ。しかしなぜ、こんな印象的な記憶がすっぽり抜けていたのだろう? そう思いながら舞台を見てあの女のことを思い出した。舞台上には結婚願望の強い小娘がいて、どうしても力弥さんと結婚するとがんばっている。その面影か、所作があの女を思い出させた。お栄といった。為一の娘ということになっていたが、もちろんそれは作り事だ。自分同様、長い長い歳月を生き延びる者だ。あれの仕業に違いない。記憶を封じたりできるとすればお栄以外に考えられない。しかしなぜ今になって?

 

 と思った時に隣に座っていたスタッフの女性が身を寄せてきて囁いた。「思い出した? 170年も待ったわ北斎さん」

 

(「【歌舞伎】」ordered by 中嶋 千恵-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・葛飾北斎などとは一切関係ありません。

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