【波の音を聴きながら】SFPエッセイ022
こんな話を聞いたことがある。道化師というのは、王に向かって自由にものを言うことを許された、唯一の存在なのだと。サーカスのクラウンや日本で言うところのピエロとは違い、こういった宮廷道化師のことはジェスターと呼ぶのだそうだ。王に向かって無礼な振る舞いをしたり、家臣には決して言えないような批判を口にしたりできるので、周囲からは「自由にものを言うことを許された存在」とみなされるが、それは違う。細かいことを言うようだが。
宮廷道化師に本当の意味での自由はない。まず権力がない。あるいは、誰か王以外の権力者とつながっているから無礼が許されているのではない。あくまでも雇い主は王であり、もしも度を過ぎて王の神経を逆なでし本当に怒らせてしまったら、ただちに命を奪われる。一見自由なその発言は、生き続けている限りにおいての自由であり、殺されてしまったら元も子もないわけだ。道化師はそこを見極めながら発言している。思いつくままぺらぺらしゃべっているわけではない。
誰も無礼なことを言えない環境は王にとっても望ましいものではない。王はそれを知っている。王とて一人の人間であり、能力には限りがある。いつも体調が万全というわけにもいかない。判断に迷うことや、時には判断を誤ってしまうこともある。その時に、真剣に考え、意見を述べ、王の失敗を指摘、いさめる人間が必要だ。けれども王政ではまわりにはイエスマンしかいない。そこに危機感を覚えるからこそ、王が積極的にはべらせているのが道化師なのだ。
道化師は宮廷内の権力構造を理解しなくてはいけない。王の家臣といえども、あまりにからかって怒らせたり追い詰めたりすると暗殺される恐れがある。民間の声も拾いに行かなくてはならない。民は何を言っているのか。何を求めているのか。何に不満を持ち何をありがたく思っているのか。「巷で民はこう申しております」というのは王に耳を傾けさせる殺し文句だ。もっとも大抵の場合は不興がらせる結果になるのだが。そうして、どのネタを、どのタイミングで、どのような形に料理して王に聞かせるか。そこが腕の見せ所である。ぼくらは道化師の技を身につけなければならない。口を封じられることなく、殺されることなく、王の暴走を止めるために。
あの日、七里ガ浜の海岸で波の音を聴きながらぼくが考えていたのはそんなことだった。その日になるまで、誰も本気にはしていなかったが、あの日を境に全てが検閲下に置かれた。公然とした集会は逮捕者を出さずには開かれなくなった。それでもむしろ集会そのものは増えた。なぜなら他に民意をアピールする手段が奪われてしまったからだ。テレビやラジオについてはあまり大きな変化は感じられなかった。すでにそれ以前から自主規制が進んでいたからだろう。ネットで読めるのは「宮廷」公認の情報と、失笑ものの陰謀論などトンデモな情報ばかりになった。
オリンピックの中止が決まった時に嫌な予感はあったのだ。1940年の再現だと。あの幻の東京オリンピックの時と同じだと。それでもほとんどの人は「そんなにひどいことにはならないだろう」と思って何も行動しなかった。今、彼ら一人一人の胸ぐらをつかんで「え? どうだ? そんなにひどいことにはなっていないか? この状態で満足か? 何を根拠にそんなにひどいことにならないと思っていたんだ?」と聞いて回りたい。でも最初に胸ぐらをつかまれるべきはぼく自身だ。ぼく自身、災厄の可能性を指摘しつつ結局は何も行動しなかったも同然なのだから。
オリンピックの招致が決定した頃のことが懐かしい。あの頃はまだ誰もが、それこそ自由に物を言うことができた。当時の首相をチョビひげや替え歌でからかったりしていたが、今思えばのどかな時代だった。今の「王(女王と呼ぶべきか)」を相手にそんなことをしようと思ったら誇張でもなんでもなく命がけだ。ぼくがYouTubeで虚構ニュースを始めたのもちょうどあの頃だった。数年の誤差はあるが、だいたい同じ時期だ。今から思えば、ぼくは宮廷道化師になるトレーニングを開始していたのかもしれない。
そう。ぼくが宮廷道化師のジェスターその人だ。「王」につかえる道化師だ。
宮廷に喩えて言うならば、王位につく者として彼女はそう悪くないとぼくは思う。聡明だし決断力はあるし交渉にも秀でている。それなりのユーモアもあるし、話術も巧みだ。「家臣団」を統率し掌握する術も持ち合わせている。年齢相応の外見的魅力も備えている。外交の場に出しても見劣りしないのも人気のひとつだ。何より勉強熱心だ。ぼくは彼女のそこをほめる。返す刃で彼女をからかう。頭の中が男よりも男っぽいこと、マッチョの中のマッチョのような脳みその持ち主だということを。
でも、ぼくに言えるのはそこまでだ。夫婦といえどもそれ以上は命をあやうくする。
今日もぼくは放送を流す。マニアの間では海賊版J-WAVEとして知られているが放送局でもなんでもない(言うまでもなく、JはジェスターのJだ)。もちろん免許などない。宮廷の中に放送局があるとはまだ気付かれていない。空いている周波数を探して波の音を流す。七里ヶ浜で耳にしたあの海の波の音だ。ひとつとして同じ繰り返しのない波の音の中には無限の情報を詰め込むことができる。「ラジオ」を持つ人はその波に込められた情報を解読し、今「宮廷」で何が起きているか、何が議論されているか、この国がどこに向かうのかを知ることができる。波の音を聴きながら、人々が再び世界を取り戻せるように。
(「【波の音を聴きながら】」ordered by 渡辺 実子-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・2020東京オリンピックなどとは一切関係ありません。
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