【地上最大のイジワル】SFP021

 生放送中の暗殺という衝撃の事件は、犯人グループが無抵抗で投降したことにより一応の収束を迎えた。ただしこのような事件は今後も起こりうることであり、それをどのようにして阻止していくか、映像を見ながら検証したい。番組は、自称文学評論家の講師が、ある文学者について一人で解説する形式で進行する。

 

   *

 

 ブロニスラヴァ・アナトレビック・カードチュニコヴァはエフゲニー・チモフェエヴィッチ・カテーキンとの短い結婚ののち、ニコライ・ウラジーミロヴィッチ・スタタテスキーと再婚し、幸せな家庭を築いていました。ブロニスラヴァはニコライをコーリャと呼び、ニコライはブロニスラヴァをブローニャと呼んでいました。

 

 ブローニャが党員向けの雑誌『チョルトヴァズミ』の編集者セルゲイ・コンラート・イシヴァシタタキスキーと知り合ったのは二人の息子たちアルカジイとボリスを無事に成人させ社会に送り出した頃のことです。子育てから手が離れて、第二の人生に何をしようかと考え始めたブロニスラヴァにセリョーガ、つまりセルゲイは小説を書くことを勧めました。

 

 “偉大なるオルインピアダ”はこのようにして誕生しました。ペンネームのオルインピアダを決めた理由は拍子抜けするほど安直です。1980年、西側諸国の多くがボイコットした、あのモスクワ・オリンピックがちょうど開催されていたから、というのが理由なのです。西側諸国がボイコットしたオリンピックのことを、もう知らない人も多いかもしれません。開催国ソヴィエト連邦のアフガニスタン侵攻に対する抗議のボイコットが行われたのです。当時アフガニスタンに侵攻していたのはアメリカ合衆国でもタリバンでもなくソ連でした。

 

 作家オルインピアダ・プレパラートフがデビューするまでにはそれからきっちり25年かかりました。オルインピアダは、いやブローニャはすぐさま執筆にとりかかったのですが、その原稿を誰にも見せることなく書き貯め続けました。信じられないかもしれませんが、あの仲のいいジェーニャ、あ、違った、セリョーガ、じゃない、誰だっけ、あ、コーリャ、旦那のニコライのコーリャだ、こーりゃ失礼、なんつって。仲のいい夫コーリャにも原稿を見せなかったと言います。

 

 当時の様子を知る隣人のスヴェトラーナ、ええと、スヴェトラーナ、あれ? なんだっけ、スヴェトラーナ・ヨロイオドシヴァ……あの、隣人のSは次のように語っています。「ブローニャは一日中机に向かっていました。二階の彼女の部屋の前にはハルニレの樹が生えていて、その枝ごしに窓際の机に向かうブローニャの姿が見えたものよ」。

 

 たいした証言ではありません。けれども当時ブロンスカが、違うか、オリンピカ、オルインドルフ? オルインピアダ! オルインピアダが熱心に執筆に励んでいたことを伝えています。女友達のシャマーラ・クジミッテェヴァ……、ええ、友人のSは食料品店でオルインピアダに会った時のことを「歩きながらもブローニャは執筆していたのです」と伝えています。

 

 これもたいした証言ではありません。どうせ証言するなら「ブローニャは心ここに在らずといった風情で、蕪と自転車のタイヤチューブを間違えて買ってしまうこともありました」とかなんとか、もっと気の利いたことを言えばいいのにと思いますが、まあ素人に喋らせたらこんなものでしょう。

 

 古くからの男の友人、これはひょっとするとスヴェトラーナ、じゃないや、ブロッカ? ブローニャ? ブローニャ、ブローニャだ。ブロニスラヴァのブローニャが、唯一、夫以外の男性と、なんていいますか、チョメチョメ? したんじゃなかりんすか、ってなもんで、噂されてる男性なんだったりしちゃったりなんかするわけですが、その男友達のセフレドール・セフレドヴィッチ・イタシタレフ、まあこれもSでいいや、Sによれば「全く連絡がとれなくなりました。以前なら15分に一度は手鏡を使って信号を送り合ったものですが、当時はそれが20分から30分は間が空くようになってしまったのです。辛く重苦しい日々でした」てなことを言ってます。

 

 これはちょっと面白い。でも小学生じゃあるまいし、手鏡を使って信号を送り合っていたなんてね。ま、好きずきですけどー! で、友人のSとか隣人のSとかセフレのSとかが言っているように、ブロン、ブロン、ブロー、Bでいいか。Bはせっせと書いて書いて書きまくっていたわけですよ。そうして25年後に発表されたのがあの大作『地上最大のイジドール』ってわけ。つまり彼女の父、イジドール・ゲオールギエヴィッチとかなんとかをモデルに、地方の豪農の一族の興亡を描いたあの長編。長い長〜い小説。え? 酔ってないよ? 飲んでないって。全然飲んでないよ。なんでそんなこと言うかな。

 

 で、この作品がとにかく長くて、まだ全部読んだって人が10年後の2015年になっても全世界に23人しかいないの。その中の一人がおれ。で、出てくるやつ出てくるやつ、名前が長い。ドミートリイ・グリゴリエヴィッチ・ステパーノフとかハヴリエード・ヒダリウチワ・トチナリキンとかまあ長ったらしい上に、それがみんな幼名とか愛称とかを2つか3つずつ持ってるってんで、もう読んでてわけわかんないわけ。ね?

 

 ん? 飲んでないよ。飲んでないってば。ウオッカなんか飲んでませんよーだ。でね、だから、読んでてわかんなくなるわけよ。一人ね、研究者がいてね、この作品の。数えたのよ、登場人物の数を。フルネームで出てくるだけで666人いるんだって。「ダミアンか!」って突っ込みたくなるでしょ? え? ダミアンはロシア人の名前じゃないよ。『オーメン』のダミアン。え? 脱線してる? うるさいなあ。この番組、固すぎるんだよ。は? いま何を飲んだのかって? 飲んでないよ。スミノフなんか。だからさ、ちょっと楽しい感じでいこうよ。でさ、おれはね、呼んでるんだよ、この本のこと。『地上最大のイジワル』ってね。読みづらいし。名前、わけわかんねーし。誰が何してるかわかんねーから、読んでてもうつらいの。読めないの。だから『地上最大のイジワル』。ほんと言うとおれ、やめちゃったもん。三巻くらいで。読んでないもーん。だから23人じゃなくて22人なの。もっと少ないかも! てへっ! え? まずいって? 生放送? いいんだよ。え? 誰? 君たち誰? なに、なに、怖い顔して。え? ちょ、ちょ、ちょっと!

 

   *

 

 以上がその襲撃事件の時の映像の全てである。殺された被害者の名前は、自称文学評論家の鷹科常皓、犯行グループはロシア文学の愛好者。「表現の自由」は守られるべきだし、どんなことがあっても殺人によって人を黙らせることは許されることではない。しかしこの事件の後、誰も「わたしは鷹科です」と言わなかったことは示唆に富んでいる。

 

(「【地上最大のイジワル】」ordered by 冨澤 誠-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・ロシア文学・高階經啓などとは一切関係ありません。

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