【ボルドーのワイン】SFPエッセイ018
シャトー・ペトリュスは、世界で最も高額のワインの一つとして有名なのだそうだ。どれくらい高額かというと1本20万円は当たり前、だいたい30万円前後はするというから庶民の手が届く飲み物ではない。ものによっては1本で250万円するものもあり、容量が5000mlともなると1本1000万円級のものもあるという。そんなものは、もはや飲み物とは言えない。「動産」とでも呼ぶほかあるまい。
シャトー・ペトリュスはボルドーのワインで、ワイン愛好家にとっては、その、聖ペトロが天国の鍵を持つラベルを見るだけで体温が2、3度は上がるほど稀少な幻のワインとして垂涎の的なのだそうだ。門外漢の自分にとってはさっぱりわからないが、とにかく滅多にお目にかかることもなければ口にする機会もないだろうということだけは想像がつく。すごい世界があるものだ。
ところがインターネットというのは面白いもので、シャトー・ペトリュスを検索すると吉原のソープランドが検索結果の上位に出てくる。人によって検索結果の傾向が違うかもしれないが、ぼくも日頃から吉原のソープランドのことばかり調べているわけではない。だから、誰が検索してもだいたいこんな結果になると思う。ちなみにグーグル検索の最初のページでは10件中8件がソープランドで、ボルドーのワインは4位と7位にかろうじてその姿を見ることができる。
世界最高額のワインとソープランド。これだけでもずいぶん面白いのだが、話はこれで終わらない。
茅場町にあるMAREBITOは、ご存知の方も多いと思うが、ぼくの仕事仲間でもあり友人でもある古村太が運営するリビングギャラリー&スペースだ。例えば今週は、茅場町の名高い古書店が開催する「森岡書店蚤の市」に便乗して(という触れ込みで)古道具市を明日まで開催中だ。エレベーターなし徒歩5階を覚悟さえすれば誰でも入れるので、よかったら訪れてみてください。
このように、骨董屋さんに化ける日もあれば、画家さんの作品を展示するギャラリーに変身する時もある、今週末などはパフォーマンス会場になるなど、時には小道具や骨董に囲まれた雰囲気のある劇場にもなってしまう。ぼく自身にとっては、時々遊びにいく仲間の溜まり場みたいな場所である。毎年ここで忘年会が開かれる。店主の古村が腕をふるうジンギスカン鍋をメインに、みんながてんでに持ち寄ったお惣菜やらケーキやら手作りの食べ物に、手に手にぶら下げてきたビールにワインに焼酎などを囲み、わいわいと飲みかつ食べかつ語り合う。
ついこの間の忘年会でぼくは、口を開けたものの飲み残した赤ワイン(シャトー・ペトリュスではない。自分で買っていったチリワインだ)をもらい、それをコンビニの袋に入れてぶら下げて帰った。狭い急な階段を下りるところまでは大丈夫だったが、電車に乗ると急激に酔いが回ってきて眠り込んでしまった。乗換駅で奇跡的に目を覚ましたが、電車をいったん降りたところでワインを置き忘れたことに気づき慌てて車内に取りに戻って駅員に怒られた。
せっかく目を覚ましたのに、乗り換えるつもりの電車はもう終わっていた。仕方がないのでそこからぶらぶらと歩いて帰ることにした。途中あまりに寒いので、自動販売機で温かいものを買って飲んだ。またぶらぶら歩き始めてだんだん気が大きくなり、まだまだ酒を飲める気分になってきた。袋の中からワインを取り出し蓋を開けようとした。誰かが勝手に蓋をしてしまっていた。ぼくは歩きながら「全く誰だ! 勝手に閉じやがって。許さん!」と声に出して怒り、いつも持ち歩いている七つ道具を取り出し、コルク抜きを出して栓を抜いた。
思っていた以上にワインはたくさん残っていて、ぼくはそれをラッパ飲みしながらぶらぶらと家まで歩いて帰った。半月がほとんど沈もうとしていて、空は晴れており、ワインを煽るたびに星がたくさん見えた。「うまい。うまいね」誰も聞いていないのに声に出して言い、意味もなく笑った。「うん。これは値段の割にいいワインだ」と言ってみたが、味など分かるわけがなかった。家に着く頃にはボトルはほとんど空になっていて、最後にわずかに残った分を煽ってすっかりあけてしまうと、後は服も着替えず歯も磨かずそのまま寝てしまった。
翌朝になって目をさますと、枕元に見慣れない上等な薄い布の袋と、赤ワインの空ビンを見つけた。状況がよくわからないのは二日酔いのせいだと思った。ガンガンする頭を抱えて、しばらくそのラベルをにらみ、それがチリワインでないことに困惑し、どうやらどこかで入れ替わったらしいことに気づいた。そしてMacBook Airを立ち上げ、ラベルから読み取った銘柄の名前をグーグルで検索してみた。たくさんのソープランドの情報にまじって、ボルドーのワインの情報が出てきた。ぼくは静かにMacBook Airを閉じ、再び布団に潜り込んだ。429,840円、というのが同じ年のシャトー・ペトリュスの値段だった。
(「【ボルドーのワイン】」ordered by 高階 経幸-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・MAREBITOなどとは一切関係ありません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます