【神の領域】SFPエッセイ017
ひとはそれを神の領域と呼ぶ。そして私に尋ねる。どんな努力を積み重ねればそんな領域に至れるのですか、と。私は首をかしげる。自分では努力を積み重ねてきたとは思っていないからだ。だから私は答える。好きなことをただやってきただけです、と。するとひとは感心してくれる。やりたいことをやりたいようにやって、誰にも追いつけないことをやってのける、まさに神の領域です!と。こうして私は神の領域に達してしまった。らしい。
EDCとの出会いはいつかとよく聞かれるのだけれど、物心のついた頃にはもう始めていたように思う。私自身の記憶ではないのだが、親に言わせれば2歳か3歳の頃にはもう一心不乱にやっていたそうだ。真偽の程は定かでない。こうしてワールドレコードに認定していただいて、そのことは大変ありがたいと思っているのだが、そして記録保持者の立場で言うのもどうかと思うが、EDCなんて、誰でも小さな頃にはやっていた遊びに過ぎない。女性では珍しい、とよく言われるけれど、それもどういうことかよくわからない。EDCに男女差があるのかどうか、誰か統計でもとっているのだろうか?
私は周囲の女の子が着せ替え人形やドールハウスやシールやアクセサリーに夢中になるのと同じように、ただEDCに夢中になっていただけだ。当時はまだスマホもポータブルゲーム機もテレビゲームもなかった。ドールハウスやシールだってもっと後の流行かもしれない。私が子どもの頃はおはじきや千代紙が流行っていたかもしれない。その頃の私はもうEDCに夢中で他のことが見えていなかったので、本当のところを言うと他の子たちが何で遊んでいたのか知らない。興味もなかった。
私のことを紹介した記事を読むと、1日に何時間でも没頭できる驚くべき集中力とか、独創的な分類のパターンとか、緻密な構成による表現とか、肌がむずがゆくなるような賛辞が並んでいるが、子どもの頃にはそれが全部否定的に語られていたことも付け加えておきたい。声をかけても気づかないぼんやりした子だと叱られ、自分勝手なルールを決めてわがままだと言われ、マニアックすぎて気持ち悪いと敬遠された。親には「そんなのは女の子のすることではない、お前はどこかおかしい」と人格まで否定された。今になって大絶賛されてもどうしていいのかわからない。何が本当なのだろう。
たまたま実家がその製品のメーカーだったということは言っておく必要がある。なぜならそのおかげで材料だけはふんだんに手に入れることができたからだ。ここはきちんと言わなくてはならないと思う。EDC愛好者の中でも、材料を手に入れるコストの問題でやりたくてもできない人が多いはずだ。でも私はコストを気にすることなく、一日中でもEDCに没頭することができた。そこには一人の人間にとっては無尽蔵と呼んでも誇張ではないだけの量があった。子どもの頃の私にはわかっていなかったが、それがすごくバランスを欠いたくらい不公平なことだと今ならわかる。
工場ではどうしても不良品ができてしまい、通常は社員など関係者の間で消費されるのだが、それでも余る分は廃棄するしかない。その廃棄される分を私は好きなだけ使うことができたのだ。こんなことを書くと世界中のEDC愛好者から恨まれてしまいそうだが、そういう環境に、少女時代の私はいた。だからこうしてワールドチャンピオンに認定していただいたのはありがたいのだけれど、私自身の努力などとは関係なく、ただ恵まれていただけだということは言っておきたい。そうでなければ、他のチャンピオンを目指している人たちに申し訳ないからだ。
私はただ面白いからやっていた。それだけだ。他人と競うことなど考えたこともない。他にやる人がいるかどうか、自分のやっていることがすごいかどうか、そんなことは思いつきもしなかった。今でこそ、こうやって世界中にEDCを愛する人がたくさんいて、それぞれのやり方で偉業を成し遂げているのを見て、他の人のやり方やプレゼンテーションの手法に感嘆するけれど、だからと言っていまさら努力して何かを変えようとは思わない。子どもの頃からやってきたように、私は私のやりたいように消しゴムをこすり、その消しカスを集めるだけだ。
EDC。Eraser Dust Collecting。
誰かがそんな立派な名前をつけてくれて、まるでスポーツか何かのようにしてくれて、そのおかげでこうしてワールドレコードホルダーとなれた。そのことには感謝している。けれど私の望みはただ、もっとたくさんの消しゴムが欲しいということだ。贅沢を言うなら、まだ見たことがない色のものや、手にしたことがない素材のものに出会いたい。実家は、時代のせいもあって工場をやめてしまったので、今の私は自力で消しゴムを獲得するしかない。だから賞金の使い道はたぶん消しゴムを買うことになると思う。
EDCで頂点を目指す人たちへ一言、と言われても特に伝えるべきことはない。強いて言うなら、頂点のことなど考えずに、ただあなただけのEDCの時間をとことん楽しんでくださいというだけだ。これまで私はそうしてきたし、これからもそうすると思うので。ああ、もし付け加えさせてもらうなら、消しゴムを交換してくれる人を探しています。お互いにとって、初めての珍しい消しゴムと出会えるといいですね。
(「【神の領域】」ordered by 神夏磯 俊介-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・消しゴムメーカーなどとは一切関係ありません。
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