【花園神社からの脱出】SFPエッセイ015
芸能浅間神社にお参りしよう、ということになって5人で向かった。一昨年の11月のことである。芸能浅間神社と聞いてもピンと来る人は少なかろう。早い話が東京は新宿にある花園神社の一角にたたずむ摂社の名だ。
全国に多くある浅間神社同様、富士山信仰の神社だが、「芸能」を名に掲げるのは珍しいとのことだ。花園神社は江戸時代の頃から境内に芝居小屋をかけて興行をさせ、そのあがりを神社の再建費用にあてていたというから、芸能とのつながりは長く深い。その後を見ても新宿には寄席、大小の劇場、映画館、テレビの収録スタジオ、そしてショーを見せる飲食店などが集結し続け、お参りに来る人には事欠かなかったこともあり、芸能の神社として定着したということらしい。浅間神社のコノハナサクヤビメが芸能の神様だったわけではないらしい。
そういった解説は同行した一人、女性落語家のY師匠が話してくれた。噺家だけにさすが由緒来歴のような話にはめっぽう詳しく、いったん喋り出すとつるつるといろいろな話を聞かせてくれるのだが、あまりにも話が面白いのでどのくらい「盛って」いるのか怪しいものだと思う。「コノハナサクヤビメてえのは、富士山の神様でね、噴火を鎮めるために祀ったんで。妻の守護神とか、安産、子育ての神とも言われてるんだけど、なんでかわかります? 時々大噴火するのがおっかないところが一緒だってんで、こわい奥方を山の神って呼ぶわけさね」という具合。
この時の同行者は皆なんらかの形で芸能に関わっていて、もともとはY師匠が前座時代から真打になってもずっと続けている勉強会の一席を聞きに来たのだが、せっかくだから一杯とゴールデン街で飲んで、せっかくだからお参りもと足を伸ばしたという次第。一人は俳優のKで、傑出した語り手でもあり、彼とは30年来の友人でもある。一人は活弁士のVでこちらも女性、たまたま近所に住んでいて知り合った。そして最後がプロデューサーのMで、彼は音楽ライブにとどまらず舞台映像トークイベントと幅広く仕掛けている。そして彼らの芸能活動に脚本提供などでうすく関わっている自分が5人目、という面々だ。
その日は酉の市で、花園神社境内は非常に賑わっていた。我々は靖国通り側から入ってしまったので、屋台やらテントやらが立ち並び人々がひしめき合う大混雑を抜けていかなくてはならなかった。何もなければそれなりに広い境内も、老若男女が押し合いへし合い状態でなかなか進めない。5人がひと塊りに移動するなんてとても無理だ。めいめい場所はわかっているから、はぐれたらお社のところで落ち合おうと声を掛け合うほどの状態だった。
「年内には向こうにつきたいものです」
自分はぜいぜいしながら言った。背が低いのでもみくちゃにされて、もう一秒たりともこの場に居たくなかったのが本音だった。
「命がけですね。新宿版『八甲田山死の彷徨』といった風情」と活弁士のV。
「Mさん、死を賭した5人の冒険者を撮って映画化しませんかね」とY師匠。
「『花園神社からの脱出』とかね」とプロデューサーのMが彼には珍しく軽口を叩く。
「出演交渉は事務所に通してください」と事務所などないのにKが言う。
我々が喋るといつもこんな調子だった。へらず口が次から次に積み重なる。しかし人混みにさらわれて何回か全身を持ち上げられ、つくづく嫌気がさしながら自分は心から言った。
「真面目な話、今日中に目的が果たせる自信がありません」
そしてその予言は当たった。
と言っても本当に遭難したわけではない。我々は途中の見世物小屋に吸い込まれ、熊手を品評し、屋台のビールで乾杯し、また熊手を品評し、焼き鳥やおでんを食べホッピーを重ね、ついでに熊手を品評し、最後には客引きに誘われてテント芝居を見る羽目になったからだ。
外見はそんなに大きなテントに見えなかったのだが中に入ると小劇場くらいの空間はあり、舞台美術も照明も立派に整えられていた。総桟敷に観客がひしめき合い、身を寄せ合って座っていた。ざっくり200人からの観客はいたと思う。我々が腰を下ろすや始まった芝居は、古く懐かしく同時にひどく新鮮なものだった。文献で見聞きしたことしかない60年代のJ劇場をそのまま再現したらこんな感じかもしれないと思いながら見入った。怒涛のクライマックスの果てに屋台崩しがあり、大喝采があり、カーテンコールがあった。うまく説明できない何かに突き上げられるような興奮を覚えた。
放心状態でテントを出るともう屋台はあらかた後始末に取り掛かっており、我々以外の人の気配も少なくなっていた。その時になって初めて芸能浅間神社にお参りしていないことに気づき、目的を果たすことにした。ずいぶん歩きやすくなった境内を大鳥居に向かい、左手奥の角にある社にたどり着き、ようやくお参りを済ませた。
「本当に、日付、変わっちゃったね」
俳優のKが持ちネタのキャラクターの少年の声で言ってみんなを笑わせた。でも我々には珍しく、誰もその後を続けなかった。言葉少なにぶらぶらと大鳥居をくぐり、靖国通りまで出て、順番にタクシーに乗り帰って行った。活弁士のVと自分は家がごく近所なのに、なぜか別々のタクシーに乗ってみんなばらばらに帰ってしまった。
以来、彼らとは顔を合わせていない。みんな忙しくしているからだ。Y師匠はマクラ話ばかりを再構成した新作の大ネタであたりをとり、Kは考えられないようなハイペースで国内外の舞台に出演しており、活弁士のVは声優としても人気が出て話題作で重要な役を演じメディアの枠を乗り越え始め、プロデューサーのMは音楽業界再編の旗手として辣腕をふるいだした。自分は相変わらず黒衣の立場ながらかつては想像もしなかったような大掛かりなプロジェクトのために長編小説のようなものを書いている。それぞれの舞台で存分に活躍しているのだから、悪い話ではない。
でも一つだけよくわからないことがある。あの夜見たテント芝居が何だったのか、その後何を調べても該当する記録が見つからないのだ。我々は何を見たのか。そして何を受け取ったのか。花園神社からの脱出は、あるいは、いまなお継続中なのかもしれない。そして、もしもそういうことなら、もうしばらく脱出に時間がかかってもいいのではないかと、今なら思える。
(「【花園神社からの脱出】」ordered by 二宮 祥一-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・紅テントなどとは一切関係ありません。
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