【ある晴れた日に】SFPエッセイ013

 今日は雲ひとつない快晴。ここ大田区からも富士山がくっきり見える。邪魔する雲もない。全天晴れ渡り、空気はきりりと締まっているが、風もなく寒すぎるほどではない。まさにお題の「ある晴れた日に」にぴったりな晴天だ。年末年始のこの時期の、こういう晴れ方をいつの頃からか「正月晴れ」と呼んでいる。これが一般的な言葉なのか、自分の中だけでのマイルール的な言葉なのか、よくわからない。

 

 ところで今日はちょっとイレギュラーな書き方をしたい。というのも、このお題「ある晴れた日に」が大学入試か何かの課題として出題されたと知ってしまったので、与えられたお題に対して小論文なり何なりを書くという行為そのものについて考えたいと思いついたからだ。ある晴れた日にやる作業としてふさわしいかどうかはともかくとして。

 

 あなたは「ある晴れた日に」というお題を与えられたらどんなことを書くだろう? 例えば、たまたま今日のようないい天気の一日を描いて平凡ながら小さな幸せに満ちた生活ぶりを、あるいはその中で折角の晴天に影を落とすちょっとした心のしこりのようなものを描写する人もいるかもしれない。

 

 例えばその人の人生の一ページの中で個人的に大きな出来事があった一日が、まさしくとてもよく晴れた日だったとして、そのことを書く人もいるかもしれない。「ある晴れた日に、一本の電話がかかってきて、全てがそこから動き出した」といった内容の。

 

 例えば「ある晴れた日に」という書き出しから始まる小説を書く人もいるかもしれない。その書き出しが最も魅力的な導入部となり、効果的に響くような小説。「ある晴れた日に、歓迎があり、裏切りがあり、虐殺があり、終焉があった。」とかなんとかいうような。

 

 例えば、よく晴れた日に語るのはふさわしくないような、陰鬱で悲惨で暗澹たる現実を克明に綴る人もいるかもしれない。児童虐待、レイプ、生物多様性の破壊、原子力災害の爪痕、思考停止した人々、国粋主義的な教育などなど。あるいは個人的な呪うべき体験などでもいい。

 

 例えば「ある晴れた日に」という言葉のイメージ通りに明るく清々しく楽しくなるような話題を次々に紹介して、文章そのものを晴れやかにまとめあげるかもしれない。ボーイミーツガール、人から受けた感謝、対立を乗り越えた和解、難題の解決、ささやかな進歩などなど。ある晴れた日について読んだな、という読後感。

 

 例えば「あるはれたひに」という言葉を使ったあいうえお作文。例えば「ある晴れた日に」という言葉が結句となるショーショート。例えば「ある晴れた日に」というテーマをわざと回避し続けるような言葉のアクロバット。例えば「ある晴れた日に」で何を書けるかを列挙するような小文。

 

 ここまで12編のSFPエッセイにお付き合いいただいたみなさんなら、上に挙げたような話をどれでも書けるだろうということはわかっていただけると思う。そしてこういう具合にメニュー化されてしまうと、その先、どの作品を読んでもそれがある一定の狙いを持って「つくられた」ものという印象になるだろうということはわかっていただけると思う。

 

 たとえそれが、ぼくの個人的な体験に基づき、個人的な記憶をなぞり、誇張もなく偏見も排して誠実に書き留めようとした手記だったとしても、そこにはそのように書こうという「意図」があり、世を論じるでもなく、小説を書くでもなく、言葉遊びをするでもなく、個人的な手記というスタイルを選んだという「方針」がある。有限の文字数で書くものだから当然のことながら、そこには選ばれた話題があり、選ばれなかった話題があり、取り上げた話題をどのタイミングでどう書くかという判断がなされている。つまり「編集」がある。

 

 言いたいことはシンプルな話だ。「文字で書かれたものは全てフィクションである」ということだ(同じことは映像や音楽や舞踊や舞台などのパフォーマンスにも広げられるが、ここでは文字で書かれたテキストに限って話そう)。それが新聞記事であれ、雑誌の記事であれ、エッセイであれ小説であれFacebookの身辺雑記であれ、すべてことごとく「意図」と「方針」と「編集」のなされたフィクションだということだ。そのこと自体は大して目新しいテーマではない。

 

 でも、読んでいるものを鵜呑みにする人が驚くほど多数存在することを考えると、どうやらこのテーマ「書かれたものは全てフィクションである」は手垢にまみれているが今なお新鮮だということができるのではないだろうか。何度でも語られるべきだし、何度でも確認し直すべきだ。

 

 さて。というわけで今回のこのエッセイ。「普通のエッセイじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。「どこが虚構(フィクション)なのか」と。いやいやいや。大丈夫ですか? ここまでこんなに書いてきたじゃないですか。文字で書かれたものは全てフィクションなんですよ。ここに書いたことを一ミリも信じていなくたってこんな文章は書けるんです。そのことだけ確認し直すことができたら、このSFPエッセイは役割を果たしたことになります。それが、今日みたいな「ある晴れた日に」ふさわしい内容かどうかはともかくとして。

 

(「【ある晴れた日に】」ordered by 小二田 誠二-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・文章作法などとは一切関係ありません。

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