【逃げ道】SFPエッセイ002

 道場を開いてかれこれ12年ばかりになる。12年といえば個人的にはそれなりの長い時間だが、道場の歴史としては全然浅い。半世紀、いや数世紀にも及ぶ歴史を持つ道場と比べると、12年などなきに等しい短さだ。自分でもそれはわかっているので、「12年なんてまだまだひよっこです」などとよく口にする。自分で言う分には構わないのだが、他人から言われるとあまりいい気持ちはしない。大日本道場主芸林会(略称:大道芸)の集まりなどで、江戸時代から道場を構えてきたというような老舗の道場主から見下すように「12年ですか、これからですな」などと言われるとむっとしてしまう。つい「伸び盛りだとお考えください」などといらぬことを言ってしまう。暗に相手の頑迷固陋ぶりをあげつらってしまうのだ。我ながら修行が足りない。やりこめたり、やりこめられたりしたがるのは人の常だが、それでは本当には問題の解決にならない。実はまさにこの瞬間に我が道場が極めるべき道は立ち現れるのだ。

 

 しばしば、私たち人間がやりがちな過ちは、勝とうとするあまり力を奮いすぎてしまうということだ。しかしながら本当の強さとは何かを極めると、相手を叩きのめすことが強さではないことがわかってくる。「無敵とはあらゆる勝負に勝つことにあらず。敵を作らないことである」とは、合気道初夏微風流の開祖・田鶴打太師の言葉であるが、まさにこれこそが極意である。

 

 力で相手を叩きのめしたとして、その相手は(あるいはその弟子が、あるいはその子が)いずれ力を蓄え、今度はこちらを叩きのめすために目の前に姿を現すだろう。これは力任せに相手を追い詰め、屈服させるという手法があらかじめ抱える宿命だ。こういう話をすると必ず初心者などから「野生動物だって相手を叩きのめして殺してしまうではないか」と言う疑問が投げかけられるのだが、これこそがおおいなる誤解である。野生動物は勝ち負けのために戦っているのではない。生き死にをかけて戦っているのだ。勝てば生き延びられるし、負ければ死んで食われる。そこには復讐の余地などない。「勝ち負け」ということをするのは人間だけなのだ。

 

 このことに気づいてから、私は戦いの場において勝ち負けを無効にする道を模索し始めた。引き分けにするということではない。引き分けというのは「この勝負では勝敗がつかなかったが、いずれまた決着をつける」ということを意味している。戦いの場において勝ち負けがつかなくなる事例をあれこれと検証する中で、どちらかが戦意を喪失する事象に目をつけた。不利な側が戦意を喪失するとそれは単純に負けを意味してしまうが、もしも有利な側が勝った状態のままで戦意を喪失したらどうであろうか。どちらかが勝とうとしている限り戦いは続くが、有利な側が勝とうとしなくなったら勝ち負けは意味を失う。有利な側が戦意を喪失するとは一体どういうことか。

 

 わが道場が掲げる「逃げ道」という「道」はこうして誕生した。自分は圧倒的に勝てる立場でいながら「別に勝たなくてもいいや。ここから逃げていいよ」という姿勢を見せ、その場から名誉ある撤退・退散ができる回路、すなわち「逃げ道」を確保してやるのだ。極意としては自分が圧倒的に不利な立場になった時にさえも、相手が「逃げ道」を用意したくなるように仕向けることができれば、どんな戦いにおいても勝ち負けを無効にできる。恨みっこなしだし、復讐なども起こり得ない。

 

 人は戦いたがる生き物だ。だから戦いそのものをなくすことは不可能である。しかしながら、生き死にと関係なく勝ち負けのために行われる戦いは、目先の決着がついたかに見えても、必ずその先で報復の戦いが起きる(それは明日かもしれないし、数年後かもしれないし、数世代後かもしれない)。人類が繰り返してきたおおいなる愚行である。だから私は提唱する。「起きてしまった戦いの勝ち負けを無効にすればいい」と。ただ、こういうことを声高に主張してしまうと、勝つための技を伝える道場を開いている大道芸の諸先輩道場主の逃げ道を奪ってしまうことになるのが目下の悩みの種である。

 

(「【逃げ道】」ordered by 関根 淳子-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

 

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件・武道・道場などとは一切関係ありません。

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