水浴び
「はあ……生き返った気分だわ」
案内された泉はどうやら岸付近ならあまり深くはないようで、私の足もしっかりとつく。
脱いだ服はどういう理屈なのか洗わずともしっかりと綺麗になっていて、洗わないとべとべとのままなのは私だけだ。
幸いにもそこまでしつこいものではなかったのか、水で洗うとアメイヴァの粘液は私からスルリと離れていく。
「おーい、しっかり洗えたか?」
「こっち見ちゃダメよ!?」
「ハハハ、見ねえよ。人間の子供にゃ興味はねえからな」
ビグスのからかうような声に少しムッとしながら、私は髪を泉の水で洗う。
……怖い顔だと思ったけど、見慣れると結構愛嬌があるのよね。
「ねえ、ビグス」
「あー?」
「モンスターって、何なのかしら。獣とは違うのよね?」
「知らねえよ。でもまあ、マトモな生き物の敵だわな」
「……マトモな生き物の定義って?」
「難しい事を聞きやがる。おいグレイ、説明してやれよ」
くっくっ、と面白そうな声をあげるビグスに、ミニミが僅かに笑うような声をあげる。
「そうだな、グレイ。お前も昔似たような事を言ってただろう」
「それは……はぁ」
小さく溜息をつくと、グレイの声が木陰から聞こえてくる。
「マトモな生き物は、生きる事が目的です。魔獣だって、生きる為に全ての行動があります。ですが……モンスターは違う。奴等は殺す事、壊す事が目的であるとしか思えない。世界を滅ぼすためならば自分の命すら簡単に手放す……そんな連中は『マトモではない』でしょう?」
「そう、ね」
「その上、何処かから突然発生したかのように現れるのがモンスターです。そして、未だにその原因は分かっていないのです」
怖い話よね。そんな現れ方をされたら、本当に安全な場所なんてものが何処に在るのかも分からないもの。
そう、たとえば……と。ふと水の中を見た瞬間。私は、自分の足へと伸びて来ていた何かに気付く。
「ところでアリス。私も聞きたい事があります。先程の、あの剣や鎧の事ですが……」
「え……あっ!」
一気に絡みついた何かが、私を水中へと引きずり込む。
な、何これ……透明な、触手!?
「ガボッ、ガボボ……!」
慌てる私の口から、空気が漏れていく。大量の水が私を侵していく。
ダメ、このままじゃマズい。でも、どうしたら!
剣、私の剣は! 願う私の手に、スペードソードが現れる。
脱いでいたはずの服が、消えていたダイヤアーマーが私の身体を覆う。
その瞬間、息苦しさは消えてなくなった。呼吸が出来る。水が、私の中に入ってこれなくなる。
「このぉ!」
スペードソードを振るい、私の足を縛る触手を切り払う。
「ヴィイイイイイ……」
響くのは、水の中を振動させるように響く音。透明だった身体が淡い赤色を纏っていくのが見える。それは、まるで巨大なタコ。いいえ、違う。タコはあんなに凶悪な歯の並んだ大きく裂けた口なんか、持ってはいないもの。
湖全体にその身体を広げ沈めていた巨大なタコのバケモノは、私を吹き飛ばすかのように衝撃波を放つ。
「うっ……!?」
思わずスペードソードを盾にするように構えると、私の眼前でスペードソードから、まるでトランプのダイヤの形のような透明の盾が出現する。
ギイン、と音をたてて衝撃波を弾いたそれは、けれどダメージは防いでも衝撃は防いでくれないようで……私は湖の上へと吹き飛ばされ、それを追うように巨大なタコのバケモノが湖の上にその身体を現す。
「アリス!?」
「馬鹿な……あれはクラーケン!? 何故こんなところに!」
「はあ!? クラーケンだあ!? 船砕きのクソ化け物じゃねえか! A級討伐対象だぞ!」
叫ぶグレイ達を振り返る暇もなく、私は自分を襲う触手を斬りはらっていく。けれど、斬ってすぐに再生する触手は私を捕まえようと暴れ、その触手を足場にして私は跳ぶ。
「グレイ! こいつ、どうすれば倒せるの!?」
「わ、分かりません! 超高火力の魔法で消し飛ばしたという記録はありますが……私の魔法では!」
グレイの魔法には頼れない。高火力……私のクローバーボムは? ダメ、三回しか使えないのに、そもそも効くかどうかも分からないのに使うのは賭けの要素が大きすぎる。なら、私がやるべきは。
「なら……倒せるまで斬るわ!」
「ハハ……面白い、乗った!」
「お、おいミニミ!?」
剣を構えたミニミが走ってきて、すぐに触手の何本かと戦い始める。それを見て慌てたようにグレイも魔法を放ち始めるけど、正直こっちには来れそうにない。
……でも、充分。アイツの本体の防御が薄れている。私は触手を斬ると、すぐに襲ってきた別の触手を足場に跳ぶ。
着地する場所は……丸くて大きな小島みたいな、クラーケンの頭。
「いくわよっ!」
思い切りスペードソードを突き立てて、一気に斬り裂く。悲鳴をあげながら触手で私を叩き落とそうとするクラーケンの攻撃を回避しながら、私は何度も……何度もクラーケンの頭を刺し、裂いていく。
「ヴィ、ヴィ……ヴィイイイイイオオオオアアアアアアア!!」
「うおっ!」
「うわっ……」
「きゃっ!」
大暴れしたクラーケンに頭の上に乗っていた私が弾き飛ばされ、ミニミ達が大きく弾かれる音が響く。
湖の上から一気に岸まで飛ばされた私の眼前には、触手を使い岸へと登ってきたクラーケンの姿。
その巨大な姿に、隠れていて無事だったビグスが短い悲鳴をあげる。
「ダ、ダメだ……こんな奴、倒せるわけがねえ」
「う、うう……」
「ぐっ……ビグス、アリスたちを連れて、逃げ……」
ミニミは吹き飛ばされた衝撃で動けなくて、グレイはなんとか意識だけはあるような状態。マトモに動けるのは私とビグスだけで、けれどビグスは戦力としては期待できない。
確かに、ミニミの言う通りに逃げるのがきっと正解なんだとは思う。
ズラリと牙の並んだ口は怖くて、私なんか一飲みにされてしまいそう。
けれど、それはできない。私に親切にしてくれた皆を見捨てるなんて、出来ないから。
私はスペードソードを構えて、クラーケンを睨みつける。
「……クラーケン。貴方の触手がたとえ船を砕くのだとしても。その大きな口が、鎧すら噛みちぎってしまうのだとしても」
そう、たとえそうだとしても。このモンスターが、とても敵わないくらいに強いのだとしても。
「不思議ね。私、貴方の事……もう、ちっとも怖くないの」
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