第11話 ドールとロンリーと

翌日曜日は、昨日からの雨はあがっていて、眩しいばかりの晴れ間が見えていた。

陽平は朝から部屋の掃除に溜まった洗濯物に空っぽになった冷蔵庫にと、生活感のある用事に追われた。それでも昼前には終了させないと、梨香との待ち合わせの時間に間に合わない。そう、今日はロケハンという名目のランチデートの日である。

そろそろ出かけようとしていた矢先、久しぶりに秀哉からの電話が鳴る。

「おーす。ヒマか?」

「どっかのドラマの課長みたいなセリフはええねん。なんかようか?」

「九日十日。」

「・・・・・・・。お前と漫才してる暇はないねん。切るで。」

「ああ、待て待て。夕方空いてるか?晩飯奢るで。京都タワーの三階の会席の店に六時集合な。時間厳守やで。」

「いっつも遅れてんのおまえやないか。わかったわかった。どうせ何があったんかもそこでの話やろ?」

「さすがやな。ほな待ってるで。」

まるで稲妻のような電話だった。言いたいことだけ言って、さっさと済ませる。長電話にならないのはありがたいが、概要ぐらい聞かせてくれてもいいだろうにと思うのである。

しかし、今宵の待ち合わせはいつもの『かば屋』ではなく割烹の店だという。何となく話の筋が読めることかも。

そういうことなら陽平にとってはいい材料だ。ここ最近もそうだった様に、夜のお誘いが減るということは、『ナイトドール』への関心も『ロンリーナイト』への詮索も相当少なくなるはずである。一定の距離感を感じているとはいえ、寧々にはまっていることには違いないのだから、余計な出歯亀はいない方が良いに決まっている。

「なら、快く祝ってやるか。」

やや晴れやかな気分は、今日の天気と同じである。

陽平は、気持ちをすっと切り替えて宇治へと向かった。


梨香との待ち合わせは午後一時。

昼時としてはやや遅いが、客が立て込む時間を少し避けた方がゆっくりできると考えていたのである。

「やあ。待った?」

先に到着していたのは梨香だった。

「女の子を待たすなんてダメですね。まあでもちょっとだけやったから許してあげます。」

「約束の時間内に到着してるけど。」

「それもそうか。でもおなかペコペコ。」

「よし、じゃあ行こうか。」

ランチデートとはいえ、付き合っている二人ではない。腕を組むわけでも手をつなぐわけでもない。先だって歩く陽平に梨香が並んで歩くだけである。

「何を食べさせてくれるんですか?」

「行ってからのお楽しみ。でもあんまり期待せんといてな。茶店のランチやから。」

駅からさほど遠くない目的地にはあっという間に到着してしまう。店までは宇治川のそばを歩くため、京都市内の街路を歩くよりも体感温度は明らかに心地よかった。さすがに涼しいとまでは言わないが。

店の中に入ると、まだそれなりの混みようだったが、予約を入れていたため、すぐに座敷席に通された。

「この店が新しく企画した茶そばのランチコースが今日のお目当てやねん。」

「宇治だけにありきたりな企画ですね。」

「だから、ランチをコースにして出すんやん。」

そのコースとは抹茶サラダから始まり、鮎の塩焼きに茶葉と地元野菜のてんぷら、抹茶風味の茶碗蒸しを食べてから茶そばをすすり、最後は茶団子でしめるというコースであった。

梨香は目の前にいる陽平を少なからず意識しながら箸を進めていく。かえって陽平の方がその意識は薄かった。仕事で来ているつもりだったからだろう。

「うん、まあまあかな。どうやった?」

「はい、美味しかったと思います。抹茶の茶碗蒸しって珍しいですね。」

「これがここの最新作らしいで。さあ、腹ごなしに少し歩くか。」

店を出ると川沿いに設定されている散策コースを少し歩いた。並んで歩くも、甘い会話があるわけではない。

休みの日はどう過してるだの、趣味は何かだの、他愛もない会話だった。それでも梨香にとっては布石になる一日となったに違いない。

ともあれ、梨香との初デートはこれにて終了。あっけない終わり方だが、今のところこれ以上の進展を期待してない二人である。

「ごちそうさまでした。また連れてってくださいね。」

「機会があったらね。」

宇治駅から六地蔵までは一緒に帰る。そこで梨香を降ろして、陽平は再び京都市内へ帰るのである。秀哉との約束を果たすために。


その日の夕方。少し雲が出てきたせいか落日まではわからないが、まだ明るい視界が広がっていた。

そして時計の針が直立不動となるころ、陽平は指定された店に訪れていた。

店員に案内されるままフロアに入ると、向こうのテーブルからおいでおいでと招く姿を見つける。

「おーい。こっちや、こっち。さすがに時間通りやな、恐れ入るわ。」

秀哉はすでにテーブルに座っていた。隣には見覚えのある女性が座っている。

「時間通りに来いって言うたんはあんたや。」

秀哉の向かいの椅子に腰掛けざまに返事を返すと、その会話を聞いていた彼女がクスクスと笑う。まるで漫才のようなやり取りが面白かったのだろう。

おおよそ関西人のやり取りなんてこんな感じである。大阪だろうが京都だろうが神戸だろうがさほど大きな差はない。

「で?話ってなんなん?」

陽平はかしこまった服装をした二人を目の前にして、決まりきった質問を投げかけた。

「うん。まずはビールでええか。食事をしながら話をしよう。料理はもう注文してある。会席やから、順番に出てくるもん食うだけや。」

「それぐらいオレでも知ってるで。」

やがて運ばれてくる先付けとビール。グラスは三個。各自の前に置かれた。

最初に瓶を持ったのは彼女であった。

「どうぞ。」

若くて美人な女性に注がれて気分の悪い男はいるまい。

「彼女、名前はなんて言うたっけ?」

「小池です。小池鈴花です。」

「ごめんね、名前覚えるん苦手やねん。」

「大丈夫。私もですよ。」

陽平は、次いでもらった瓶を受け取り、今度は彼女のコップへと注ぎ、続いて秀哉にも注いでやった。

特に何の掛け声もなく乾杯だけすると、秀哉は一口だけ口を付けたコップを手元において、神妙に話し出す。

「今日来てもらったのは他でもない。お前に最初に報告しとこうと思ってな。オレ、この子と結婚する。式は家族とホンマに親しい人だけ呼んでやるつもり。もちろん来てくれるよな。」

秀哉にしては謙虚な言い回しだ。

「いかなあかんねやろうな。友人代表とは光栄の至りや。」

「日にちが決まったら連絡するわ。季節のエエ秋ごろにしよかなと思ってる。」

「早いのお。小池さん、ええんですか?たったの数ヶ月つきあっただけで。」

「私ももう三十ですよ。慌てるつもりはないけど、ええご縁やとおもてます。」

それを聞いて驚く陽平。そう言えばもう三十路って言ってたっけ。

女性の年齢は見た目ではよくわからないもので、やや幼顔の鈴花は二十五、六といわれても違和感を覚えない。それに秀哉の見合い相手の年齢など、特に気にかけていなかったこともある。

「あんまり贅沢言うてもキリが無いし。話を聞けばいい人だし。ちゃんと働いてるし。まあまあ優しいし。」

「だからって、お互いに妥協して結婚するわけやないねんで。そういう考え方も一緒やったから、似たモン同士やなってなって、まあ結婚する話しに至った訳やな。」

「どっちにしてもおめでとうさんなんやろ。よかったやん。」

「そやで、そのおかげで今日はご馳走に預れんねんから、感謝せえよ。」

「秀哉さん、それは違うで。今までお世話になったんやろ、尾関さんには。その感謝の気持ちやっていうてたやん。」

「わかってるって、いわゆる口止め料的なもんやろ?」

「あほ、余計なこといわんでもええねん。」

「ええのよ。もうエエ歳やねんから、なんも無かったなんて、かえって気持ち悪いわ。その代わり、私の秘密も永遠に封印されるんやで。」

「えっ?鈴ちゃん、なんか秘密があんの?」

「ほお、鈴ちゃんって呼んでんのか。キモイな。で?それ以上、彼女の秘密を探りたいねやったら、おんなじだけお前さんの悪事の数々、あることないことひっくるめて解き明かしたろか?」

「うふふ、これで尾関さんは私の味方になるって決まったな。これからもよろしくお願いします。」

「うう、覚えとけよ。こんどお前が結婚する時、その相手に百通ぐらいの手紙書いて送ったんねん。」

「ほお、それはマメなことで。そんまマメなヒデちゃんなんて見たことないわ。」

談笑はスムーズに進んでいた。陽平と鈴花の間柄も随分と縮まったことだろう。そろそろシメの釜飯が到着するころ、秀哉が突然、おかしなことを言い始めた。

「こないだな、K印刷に行ったらお前んとこの女の子に会うてな。ときどき事務所へ行ったら茶を出してくれる・・なんていうたかな。」

「佐々木さんかな。何しに行ったんやろ。」

「おうそうや梨香ちゃんや。なんでも課長の使いやったらしいがな、彼女がな、おまいさんのことを聞きよんねん。最近、なんや変なところへ行ってるそうやないか。ほんでなオレにその話を聞いてるかっていうから、知らんでっていうたら、怪しいなっていうて、プイって行ってまいよってん。なんなんアレ。」

「無視しといて。オレも行きとうて行ってる訳やないねん。出会い系のクラブみたいなとこで、ウチの先輩に行けって言われて行ってるだけやねん。」

「面白そうやな。今度オレも連れてけ。」

「婚約者の前でようそんなこと言えるな。それにそこは会員制やから、会員証持ってないと入られへんで。」

「冗談やがな。そやけど逐一報告せえよ。」

「やなこったい。好きで行ってる訳ちゃうし、いつ行くかもわからんし、オレのことはほっといて、そっちはそっちで幸せになったらええやんか。」

やや自棄気味な返事をすると、鈴花は陽平にビールを注ぎながら、

「なんやかんやいうて、いっつも尾関さんのことを心配してはるんですえ。キミの友だちでエエ人おらんかとか、親戚で独身の女の子おらんかとか。えらい仲よろしいんですな。ちょっと妬けるかも。」

やや照れ気味で頭をかきながら、

「わかってるんですけどね。ちょっとばかし羨ましかっただけですわ。」

「頑張ってくださいね。ちゃちゃは入れさせんようにしますから。」

「ありがとう。」

デザートが出てくるころには、学生時代の話や二人で遊んだ話などに花が咲いたが、あまりよろしくない遊びについては、ついぞ触れられることは無かった。


二人と別れた陽平は、またぞろ『ナイトドール』のことを思い出したが、寧々がいない曜日に行っても仕方がないので、そのまま電車に乗りかけた。

ふと時計を見るとまだ八時半である。夜の帳が下りたにしては、まだ宵の口である。陽平の脳裏の中には『ロンリーナイト』のことが浮かんでいた。

こちらの店にしても寧々の出番がある日ではない。しかし、今宵の席で店のことが話題に上がったことで、前回の店の様子を思い出し始めていた。

一体自分は何を求めているのだろう。寧々のことも淡い想いだけで抑えられている。決して今までのように唐突な恋心ではない。ただ、心の片隅で寧々が自分に振り向いてくれることを期待していることは確かである。叶わぬ恋だとは薄々感じながらも。

それでも何かをあの店に期待している自分がいる。そう思い立ったが最後、行動に移さなければ気がすまない陽平は、

「よし、行ってみよ。どうせ他に用事なんかないし、万に一つでも寧々がいる可能性もある訳だし。」

あとは財布との相談だけだったが、もしものときを考え、今宵の晩餐会のために用意した諭吉さまが数枚残っているのを思い出していた。もう一度財布の中身を確認すると、

「何があるかわからんからな。一応。」

などと何の意味も無い前置きを自問自答し、万全の体制で臨むのも陽平のスタイルである。(結果的に何かあったことなど一度もないのだが。)

大いなる期待を抱いて『ロンリーナイト』へと向かうのだった。


タクシーで移動した陽平は、十分後には店の前に到着する。

見覚えのあるビルに見覚えのある看板がチカチカと光っていた。会員証を提示し、店の中に入ると、前回同様、順次四人席のテーブルに案内され、自己紹介から始まる。三度目ともなると雰囲気にも馴染めるようになり、少しずつ会話にも参加していくタイミングがわかっていく。

やがて今宵の最初のパートナーとのツーショットになると、やや強引にステージ前のテーブルへと誘い出した。彼女の名前は松田美穂といった。話を聞くと陽平より一つ年上の女性だった。落ち着いた感じで、純朴な感じがする女性だった。薄暗い照明のせいか、肌つやまではわからないが、年齢よりもかなり若い感じに見えた。

「今日は何時からここにおるん。」

敬語が禁止になっているルールがあるので、年上の女性といえども日常の話し方で会話を進める。

「そうやなあ、七時ぐらいかな。尾関さんで五人目のツーショット。でも、みんな年下ばっかり。一番若かったのはまだ二十七っていうてたわ。十歳も年上の女じゃあ恋愛対象にならんわな。」

「それはどうかな。そういう恋愛を求める人もおるんちゃうかな。」

などとは慰めの言葉にはならないだろう。

「でも尾関さんみたいに同世代と一緒やと少し安心できた。今日はありがとう。また会えたら仲良くしてね。」

控えめなやり取りだったが、陽平にとっては好印象が残った。今までにも年上の女性のつきあったことが無い陽平にとっては刺激的な時間となった。

そして次のツーショットとなったパートナーを見て驚く。

「あっ、前回お目にかかりましたよね。川上さんでしたっけ。」

「うん。覚えていてくれてうれしい。でも敬語はダメよ。それと川上さんはよそよそしいから、下の名前で呼んでね。琴音よ。」

(そうそう、彼女の名前は川上琴音やったっけ。確か、名古屋出身だと言ってたか。)

陽平は頭の中で前回のことを思い出していた。

「そうやったな。ボクは尾関陽平、みんなからはヨウちゃんって呼ばれてる。」

「じゃあ、ヨウちゃん。今日で二回目だから、連絡してもいいかしら。」

突然の申し出に驚きはしたものの、

「ボクでよかったら。」

もちろん勘違い王とも呼ばれる陽平のことである。果たしてこれが運命の出会いだなどと思ったに違いない。

さりげなく琴音をステージの近くまで連れて行くと、彼女も思い出したように、

「そういえば知り合いが出演してたんだっけ?今日も?」

「いや、今日は出るかどうかわからない。でも、もし出たら見ておきたいなと思ったから。でも今日はおらんみたい。」

そう言ってステージに背を向ける陽平。

「ところで琴音さんはどんな仕事してるん?」

「学校の先生。女子高なの。だからって言う訳じゃないけど全然出会いがなくて。しかもこういう仕事って合コンにも行けなかったりするのよ。どこで誰に会うかわからないし。」

「この店だって似たようなもんやと思うけど。」

「ここは会員制だから安心。って先輩からの受け売りだけどね。先輩もここで知り合った人と結婚したの。その会員証をもらったのよ。」

「ボクもそう。職場の先輩にね。」

同じようなこともあるものだと感心すると同時に、ますます運命的な要因を感じてしまう陽平だったが、良く考えてみれば、おおよその連中がそれに当てはまるのだろうと思う。そうして代々継がれていくような仕組みで成り立っているのかもしれない。

「ほんなら今度お試しにボクとデートしてみる?」

「お試しなのね。」

「とっかかりってことで。」

「どんなプランで、どこへ連れて行ってくれるの?」

「まずは無難に貴船から鞍馬までの散歩コースかな。出町柳で待ち合わせして、貴船神社から鞍馬寺までのパワースポット巡り。帰りは出町柳から鴨川沿いを歩いて三条まで。ここにお洒落な喫茶店があって、昔ながらのナポリタンで栄養補給。時間が許すなら、後はカラオケで羽目を外す。こんな具合でどうでしょう。」

「散々歩かせるわけね。日頃の運動不足がばれそうだわ。それまでに少しトレーニングしておかなきゃ。」

これで陽平のプランは一応了解を得た形だ。

今宵のステージは予定通り寧々の出演が無かったため、琴音との時間は充実できた。二十分ほどのツーショットタイムはあっという間に過ぎていく。やがてこのセットの終了の合図がアナウンスされると、琴音が陽平の腕を取って、

「もう出ましょ。ヨウちゃんとデートの約束もできたし。もうここにいる必要もなくなったわ。」

「ボクみたいな男の決め打ちでええの?」

「ダメだったら、また来ればいいじゃない?」

なんとメリハリのハッキリしている人だろう。陽平はやや押され気味ながらも、二人して店を出た。

河原町の夜は遅くまで明るい。まだ九時半を過ぎたあたりでもあり、多くの人たちが通りを闊歩していた。

飲み会の後にカラオケに向かう集団、食事会を終えたファミリー、まだデートの途中なのだろうカップル。中には今宵のイベントは全て終了し、家路につく人もいるだろう。そんな群集をかき分けながら歩くことになるのだが、

「少し酔いを醒ましに行こうか。珈琲でいい?」

「うん。」

『ロンリーナイト』のあるビルを出て、数分も歩くと喫茶店が見えてくる。

昔ながらの純喫茶というのだろうか、店の中は香ばしい珈琲の香りが漂っている。時間がピークを過ぎていたのか、さほど混雑していない中、二人は四人がけのテーブルを確保できた。そして陽平はアイスコーヒーを琴音はアイスカフェオレを注文した。

「これってデートかな?」

「そうね。二人だけだもんね。」

それを聞いてやや緊張した面持ちとなった陽平に、琴音が静かに口を開く。

「ヨウちゃんのタイプの女の子ってどんな感じ?」

「うーん、特に決まったタイプは無いかな。しいて言えば細い女の子は好みじゃないかも。あとはちゃんと話ができる子。お馬鹿タレントとかはあんまり好きじゃない。琴音さんはどんなタイプの男が好きなん?」

「私も特に無いかな。しいて言えばウソをつかない人。ヨウちゃん正直そうだから。この間もちゃんと本当のことを言ってくれたし。」

「ん?なんのこと?」

「ステージに出演する女の子のこと。どんな知り合いかは知らないけど、まさか恋人じゃないでしょ?あんな若い子。」

「うん。時々行くお店で働いてる子。」

確かに、この言い方ならウソはついていない。

「最初に『ロンリーナイト』に行ったとき、たまたま見かけて。その後で彼女が働いてる店に行って聞いてみたら、そうやって言うし。コッチもびっくりアッチもビックリ。」

「世間って狭いってことよね。」

この件についてはできるだけ深入りしたくなかった陽平は、区切りのいいところで別の話題を切り出す。

「琴音さんは、そんなに美人やのになんで彼氏おらんの?」

「私ももう三十になっちゃったから、もう子供じゃないのよ。今までも何人かはつきあったりしたわ。でも結局みんな浮気するのよ。そしてわかりやすいウソをつくの。それがねみんなわかっちゃうから嫌なの。」

陽平の背中にはすでにタラタラと冷たい脂汗が流れている。後ろめたいことがある証拠である。

「男ってね、ウソをつく生き物なんやと思う。ボクもきっとそう。ほんでもってウソをつくのが下手やねん。バレへんと思ってんねん。ボクもそれで前の彼女に振られた。まったくウソをつかんと過ごすなんて無理やと思う。」

「うふふ。それが正直な人の答え。わかってるから、上手にウソをついてね。」

陽平は、まだつきあってもいない彼女に上手く牛耳られている感じがしていた。こういう女の子は初めてだ。これが大人の女性なのかなと思っていた。そういう風に感じる時点ですでに懐に入られているのかもしれない。

「そろそろ十時も回ったし、今日はこんくらいで帰りましょう。」

「そうね。じゃあデートのお誘い待ってるわ。土曜日ならいつでもいいわよ。」

「じゃあ、次の次の土曜日はどう?」

「いいわよ。」

詳しい時間や場所は後日連絡するということにした。彼女を京阪の駅まで送り、陽平はそこからバスで京都駅に向かう。

陽平はバスの心地よい振動に揺られながら、今日の出来事を思い出していた。友人を祝福する食事会の後に、はからずも寄った店で思いがけなく会った人。そして思いも寄らぬ展開に、なんだか思いのほか収穫のあった一日だったと感じていた。

果たして次のデートで急接近できるのだろうか。恋多き悩める中年坊ちゃんは、一目散に迷宮への入り口へと進んでいくのであった。



思いがけない日曜日を過ごした陽平だったが、そのことを加藤女史や梨香たちに話す気にはなれなかった。まだ本当に実現するかどうかわからないデートの約束など、抽選前の宝くじと同じだと思っているからだ。

一応、プランは立てるものの、まずは今週のイベントから片付けなければいけない。

そろそろ梅雨も明けるころ、次は夏休みシーズンに向けてのパンフレットなどを早急に仕上げなければならない。これはほぼ完成しているので問題ない。

後は金曜日の『ロンリーナイト』、そして土曜日の『ナイトドール』の準備である。金曜日の準備は特にいらない。ラストステージとなるだけに、花束の一つでも贈りたい気持ちだが、さすがにあのステージで花束を渡したりするのは理不尽だろう。

しかし、土曜日の準備は必要である。いつもの通り。

そして外出する度に、面白そうなチョコレートを探すのである。ようやくお目当てのお土産が見つかったのは、訪問日も差し迫った木曜日のことだった。

ラボに写真のセレクトに行った帰りのこと。少し寄り道をして四条河原町の商店街へと足を運んだ。外国人向けや修学旅行の生徒たちが群がるメインストリートである。その一角に少し変わった土産を売っている店がある。

「ほう。これは面白いかも。」

陽平が手に取ったものはいわゆる『缶詰』であった。中にはチョコレートケーキが入っているようだ。

これで寧々への土産も確保した。後は週末を待つだけである。もちろん週末ごとに加藤女史や梨香の視線を素通りすることなどできなかった。


金曜日の出社時。

早速加藤女史に呼び止められる。

「おはよう尾関クン。あれから何の報告もないけど、行ってるんでしょうね。」

「おはようございます。朝一番にそれですか。行きますがな。今夜は行くつもりしてるんで、残業が無いよう配慮してくださいね。」

すると梨香が駆け寄ってきて、

「今日行くんですか?また聞かせてくださいね。」

「なんでイチイチみんなに報告せなあかんねん。堪忍してえな。」

「加藤さん、まだ旦那さんがつこてたカード見つかりませんか?はよ探して下さい。」

梨香のテンションは今日も最高潮だ。

「また来週ね。」

陽平は逃げるようにしてその場を立ち去り、自分のデスクにかじりついた。今日中に書き上げなきゃいけない原稿があったし、ロケハンのスケジュール調整もしなければならなかった。夏休み前は忙しいのである。

夕方にかかって来た電話で陽平はカメラマンと打合せをすることとなった。これ幸いと待ち合わせ場所に河原町四条のとある喫茶店を指定した。そこから『ロンリーナイト』までは目と鼻の先なのである。

「いってきまーす。今日は直帰しまーす。」

陽平は加藤女史にそういい残して事務所を出た。


打ち合わせはごく簡単なものだった。撮影のタイミングと必要なカット数と場面割をすればおしまいである。あらかたの原稿はすでに見せてあるので、カメラマンもそれらを再確認すればよかっただけなのだ。

「じゃあ、来週の水曜日。よろしくお願いします。」

カメラマンを見送って、コーヒー代を清算しているところで、加藤女史から電話がかかってきた。

「もう終わったか?今日行くんやったら一つエエこと教えたげよ。もし、受付に真田さんっていう人がおったら、イベントのスケジュール教えてくれるで。あそこにステージがあるやろ?そこでやる催し物のスケジュールを真田さんっていう人が管理してんねん。いうたら一覧表みたいなんくれるで。どうせ行くんやったら面白そうなイベントやってるときがええやろ?」

これは陽平にとってはありがたい情報だった。ステージのことなんて話していなかったし、まさか陽平が店に行く度にステージに齧りついてるなんて思いもよらなかったろうが。

「ありがとうございます。真田さんじゃなくても聞いてみます。」

また一つ『ロンリーナイト』に行く目的ができた。もし、スケジュールに寧々の出演予定があったなら、琴音とデートの約束が出来る仲になったとしても、結局は足を運ぶことになるのだろう。


陽平が『ロンリーナイト』の前に到着したのは、夕方の六時になる直前だった。それはちょうど店が開店する時間でもあった。

月はようやく文月に入っていたが、陽が落ちたとて京の夜長は、まだ蒸し暑い風がアスファルトの上を波のように押し寄せていた。

そんな中を歩いてきたので、陽平の首筋はうだるような汗が滴っていた。ハンケチで拭ってはいるものの、拭いては噴き出し、噴き出しては拭うの連続だった。

ドアを開けると心地よい冷房の風がスッと陽平を包む。カウンターの上にある扇風機のサービスがうれしかった。

しばらくその風に頼って汗が引くまで待っていよう思ったが、一分と経たぬうちに次の客が後ろから入ってくるのが見えた。仕方なく会員証と最初のセット料金を渡して、指示を待つこととなる。

その間に加藤女史から聞いていた真田さんという店員を探してみた。ここの店員は全員が胸にネームカードを付けているので名前がわかる。しかし、見渡す限り「真田」とあるネームカードが見つからなかったため、受付時に対応してくれた吉本という店員に真田氏の居所を尋ねた。彼はサブマネージャーになっているらしく、フロアではなく奥の部屋で全体を仕切っているらしい。そこで吉本氏に事情を説明すると「ハイ、ハイ」と気軽にイベントのスケジュール表を持って来てくれた。

そのスケジュール表には二ヵ月分の時間割が書かれてあり、今日のタイムスケジュールを見ると、ポールダンスは七時四十分ごろとなっていた。しかしその後のスケジュールの中にポールダンスの予定は記載されていなかった。

つまりは今宵がここでの最後の舞台であるということだ。しかも今日のショウの時間は、開店からだと3セット分滞在しないと届かない時間である。

陽平の財布の中身はというと、もともと何時になるかわからないと思っていたので、いつもよりは多目に持参しているのだが、逆に思ったよりも早いタイミングでショウがあることにほくそ笑んだ。

「ちょっと儲かった気分だな。」

などとはこのあたりの勘違いもはなはだしい。それでも前回と同様のルーチンをこなして席に着く。今日もスタートから割りと盛況のようだ。

最初のグループは三十代男二人と二十代女二人の組み合わせだった。次のグループは三十代男女と二十代男女のグループになった。自然、ツーショットタイムでは三十代同士と二十代同士に別れたのだが、たいして詰まる話もなかった。

メインの時間帯となる3セット目では、全員が三十代のグループとなった。さすがに同世代が四人集まると話も弾む。

ツーショットタイムとなったのは高瀬麻里という陽平とおない年の女性だった。陽平は彼女をステージの一番前のテーブルに誘い、知り合いの女の子が出演することをあらかじめ告げた。

麻里も陽平の知り合いの女の子に興味津々。舞台照明が変わり音楽が鳴り始めると、陽平と同じように前のめりで舞台に齧りついていた。

今宵の寧々は前回と同じようなビキニの衣装で踊りながら奥のカーテンから出てきた。すでに準備されていたポールに辿り着くと、しなやかな脚を大きく上げ、白くて細い腕をゆっくりと回しながらポールに絡めていく。細い腰と大きな胸が見ている男性陣の視線を一気に集める。ゆっくりとしたリズムから徐々にテンポが速くなるに連れて、寧々の動きも変わっていく。アクロバチックな動きやポールを掴みながら回転する動きなどが上手くいった時には客席から大きな歓声が起こる。

それでも緊張を緩めることなく、きりっとした表情を崩さない。ときおりポールから下りて、舞台袖まで色気を運んでくる。これが若干二十歳そこそこの女の子かと思うと末恐ろしいものを感じる。

やがて陽平の目の前まで来ると、ちょっとにやけた表情で目線を送った。そのとき、すかさず右手に持っていた千円札をビキニの端に挟んで拍手を送る。するとそのあとの客もやはり前回同様陽平を倣うように千円札をビキニに挟んでいく。

もちろん、場内アナウンスにより「ダンサーにはお手を触れないで下さい」と流されたことはいうまでもない。

約三分の曲が五曲流れ、寧々の演技は終了する。最後に客席に向かって深々とお辞儀をした後、陽平と目線を併せて、右手をかざした。笑顔と同時にウインクを送られた陽平は、しばらくの間その余韻に浸っていた。

ポールダンスが終わると、舞台では続けざまに新体操のような小道具を使ったダンスが始まった。寧々と同じような感じの可愛い子だった。しかし、陽平にとっては特に興味も湧かず、舞台を背にして麻里と向かい合っていた。

「ねえ、さっきの子、どういう関係の子?親戚?それとも会社の子?まさか恋人ってことはないやんな。そんな人がこんな店に来るはずないし。」

「時々行く店の女の子。顔見知りっていうだけ。」

「可愛い子やな。もう少し若かったら、あれぐらいの子でも良かったんちゃう?」

麻里にそう言われて気づいたこと。

「やっぱり年齢的に釣り合わんてことかな。」

今までにも店の女の子に恋をしてきた陽平には、一般的な年齢の差なんて全く気にしてもいなかっただけに、麻里のセリフは少なからず心に残った。

寧々のショウも見終わったことだし、このセットを最後に店を出る陽平。結局この日は一枚も名刺をもらえなかった。今日に限っては陽平もそれで満足だった。今夜の目的はショウを見ることだし、琴音とのデートの約束も基本的には取り付けてあるわけだし。

しかし、この夜が陽平にとって大きな分岐点となるのであった。

そんなこととは知らず、浮かれた気分で帰宅するのである。



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