第8話 思いがけない出会いの瞬間

寧々の匂いを身に纏いながら夢を見た夜から二日が経過していた。

その日は朝から陽射しが強く、寒かった冬などどこへ行ったかと思わせるほどの陽気な天気だった。

しかし、天気に関係なく陽平の仕事は溜まっていく。間もなくゴールデンウイークを迎えるにあたり、駅の案内所に設置する最新のリーフルレットや飲食店向けの期間限定メニューのチラシを今週中に納品しなければならなかったのだが、どこの印刷工場もアップアップ状態で、中には責任者が逃亡し雲隠れ状態になっている工場さえあった。そんなとき、企画会社は結局のところ何もできないので、クライアントに平身低頭あやまりに行くしかないのである。

今日だけで納品遅れが三件、仕上がりのクレームが一件、納品後の価格交渉が二件もあり、電話が鳴る度に悲鳴をあげる陽平の姿があった。

そんな状況は何も陽平だけに注がれているわけではない。となりの同僚もとなりの班の先輩たちも皆同様にてんやわんやである。もちろん昼食を取る時間などまともにはなく、皆一様にパンやカップ麺で腹ごしらえをする程度であった。

それでも夜になり、各工場が終業時間を迎えるころには、何とか目途が立ち、陽平のグループにおいても二十時ごろには、ようやくひと段落を迎えていた。

「終わった順に帰れ。週末に余力を残しとけよ。」

部長が皆にねぎらいの声をかけているのだが、すなわち明日も続きがあるぞという宣言をしていることに他ならない。但し、おおよそのピークは今日が最前線だったようだ。そして、あからさまに疲れの見える社員たちに加藤女史が声をかける。

「さあ、今日の疲れは今日のうちに取り戻すで!我こそとはと思う勇者は十分後に出口に集合な。尾関クンと杉本君は強制参加ね。佐々木さんと中浜さんもね。」

えてして加藤女史傘下の班にあるメンバーは全員が集合対象となる。


その日の夜、事務所近くの居酒屋に集合したのは総勢十五名ほど。最年長は加藤女史の直属の上司となる土田課長だ。そして慰労会は加藤女史の発声から始まる。

「さて、明日のための慰労会である。くれぐれも飲み過ぎないように。でわ課長、ひとこと集まったみんなにカツを入れてやってください。」

「諸君、ゴールデンウイークを前にピークは乗り切った。明日は最後の後始末。まさかと思うが、連休中に出勤するようなことのない様に。以上、乾杯!」

後半のフレーズにやや耳が痛い連中ではあったが、誰も好き好んで連休中に出勤したい者はいない。手持ちのビールをグビグビいきながら、皆一様に明日の段取りを頭の中で思い描いていた。

「尾関クン、ちょっとおいで。」

のっけから加藤女史からのお呼びがかかった。となりの席を無理やりこじ開けて、陽平が来るのを待っている。仕事の話か、はたまた例の話か。

「Y園の原稿はよう書けてた。先方も喜んでたやろ。写真も間におうてよかったな。ところで、嵐山のロケハンの後はどこへ行った?」

「河原町四条でちょっとした買い物しに行きました。」

「買い物もええけど、例の店はまだ行かへんのかいな。」

「いえ、明日、早く仕事を切り上げて様子を見に行こうかなと思ってます。せやから、今日も早めに切り上げるつもりです。」

「よし、ええ心がけや。」

そんな話をしている最中、梨香が二人の話に割り込むようになだれ込んできた。

「加藤さん、尾関さんと何の話をしてるんですか。いっつもコソコソと二人して。ホンマは怪しい関係なんちゃいますか。」

「梨香ちゃん、それはないってこないだいうたやん。加藤さんに説教もらってるだけやし。なんなら交代したげよか。もう耳が痛うてちぎれてしまいそうやし。」

「いやいや、なんかお店の話してたでしょ。ちょっと聞こえましたよ。ウチにも教えてください。その店。」

「地獄耳やな。女の子はこれやから恐い。せやけど梨香ちゃんには、まだあんまり関係ない店やで。」

「ええ?どんな店なんですか、加藤さん。ホンマは二人で行くんとちゃいます?」

「なんや佐々木さん、妬いてんのかいな。その店はな、一人でしか行かれへん店やねんけど。尾関クン、もしかしたら、その店に行かんでもええかもしれんで。意外と身近におるみたいやで。」

「あのな、その店はな、恋愛下手の独りぼっちロンリーピープルが行く店やし。梨香ちゃんがボクの彼女になってくれるんやったら、確かに行かんでもええな。」

「それはないってこないだ言いました。あんまり加藤さんと仲が良さそうに見えるから、面白そうなゴシップを見つけたかなって思っただけです。そやけど、ウチも結構ロンリーなんですよ。その店一緒に行ったらあきませんの?」

「この店はな、会員カードがいるねん。私が持ってたカードを尾関クンにあげたから、尾関クンが必要なくなったら、次にもらったらええんちゃう?」

「そんなん、いつになるかわかりませんやん。もしかして、加藤さんの旦那さんとはそこで知り合うたんですか?それやったら、旦那さんもカード持ってはるん違うんですか。」

いやはや女の執念というものは恐ろしい。梨香の強引な食いつき方にさすがの加藤女史も相当押され気味である。

「わかったわかった、旦那に聞いてみたげるわ。」

「やったー。お願いしますね。」

結果的に一番の戦利品を獲得したのは梨香だったかも。しかし、加藤女史の旦那がそのカードをまだ持っているかどうかは定かではない。しかし、そんな想定をしないのが女である。もはや梨香の頭の中では、その店に行くことが決定しており、店内の光景が楽園であるかのように妄想されている。

「でもな、佐々木さん。考えてみいや。恋愛下手とか恋愛不適格者ばっかりが集まる店やで、あんまし大きな期待はせん方がエエと思うで。」

確かに加藤女史の言うことにも一理ある。そんな輩達でなければ、そのような店が成り立つわけもない。しかし、梨香の耳にはそんな忠告など入る余地もなく、浮かれ気分で元の席へと戻って行った。

「大丈夫ですか、そんな約束をして。彼女、もう貰えるつもりでいますよ。」

「そやから、はよアンタがその店に行って、はよエエ女の子見つけて、速攻で佐々木さんに渡すのがエエのかもよ。」

「そんな無茶苦茶な。ボクの出逢いがちゃんとできるまで旦那さんのカード渡さんといてくださいね。」

「旦那もまだ持ってるかどうかわからへんし。あんたもそうそう心配しなさんな。それよりも明日、とりあえず行っといでや。」

「なんやったら休暇もらってもええですか?」

「あほ、昼間はちゃんと仕事しい。最後のツメ、甘かったら即減給やで。」

「ちぇっ。」

加藤女史と陽平とのこの日の会談はこれでおしまい。まだ明日もあるということで、全員が軽く鋭気を養った加減をみて、宵も浅い時間にお開きとなったのである。


店を出て、明日の予定を頭の中で予行演習しながら駅に向かって歩いている陽平だったが、不意に後ろから呼び止められる声に立ち止まる。

「尾関クン、今日は真っ直ぐ帰るんやで。女の子のお店とか行ったらあかんで。」

「明日もあるんで、ちゃんと帰りますよ。加藤さんが軍資金を出してくれるなら行きますけど。」

「あほ、はよ帰り。」

そんなやり取りのあと、続いて別の声に呼び止められる。

「尾関さん、ちょっと待って。」

梨香と瑞穂であった。

「もしかして帰ります?ウチらはちょっと酔いを醒ましに行きますけど。ご一緒にどうですか?」

「コーヒーぐらいなら付き合うで。」

おおよそ付き合いの良い陽平である。今までにも業務外でのお誘いを断ったことはない。後輩の面倒見も良いつもりでもある。

「スタンドでええやろ。」

先頭を切って歩く陽平の後ろを梨香と瑞穂がついていく。ニコニコ顔の梨香とは裏腹に瑞穂の顔はやや渋い表情だった。

「なあ、別に尾関さんと一緒やなくてもええやん。ホンマにあんたあの人と付き合いたいとか思ってんの?」

「ちゃうやん。さっき加藤さんと尾関さんがしてた話を、もうちょっとだけ詳しく聞きだしたいねん。」

「何の話?ウチも聞いたら役にたつ?」

「そうやな、とりあえずはウチだけかな。なんやったら瑞穂は帰ってもええで。」

「なにそれ。まるで尾関さんと二人だけになりたいみたいな言い方。」

「それもええな。うふふ。」

「いや、やっぱり行く。」

そんな二人の会話は、陽平に聞こえないようにひそひそと交わされていた。何も聞こえない陽平は、あっという間に京都駅構内へ足を踏み入れている。

「はよおいでな。店しまってまうで。」

京都駅構内にある流行の専門店が、そろそろ店じまいの準備を始めていた。但し、まだ営業時間内であるゆえに、三人は店員に笑顔で招かれるのである。中日とあってか、客のたたずまいはさほどでもなく、四人がけのテーブルがいくつも客待ちをしていた。

「何する?」

「ウチはカフェオレオレンジホット、瑞穂はキャラメルマキアートね。」

「みんな変わったもん飲むんやな。」

あとは陽平のホットコーヒーをオーダーしてテーブルを確保する。そしてドリンクはあっという間に仕上がるのである。

「ところで尾関さん、さっき話してたお店のこと、もうちょっと聞かせてください。」

梨香は開口一番、ストレートにたずねてくる。

「いろんなことに興味持つんはええことやけど、梨香ちゃんみたいにもてそうな子が行くとこちゃうと思うで。」

「ウチかてシングルですよ。なんやったら売出し中って名札を貼りましょか?」

「やめとき、尾関さん本気にしはるで。」

「せえへんよ。それより、もっと若いかっこエエ男の子が集まるとことかよう行ってるんやろ?そっちの方がええんちゃうん?」

「最近の若い男の子って、なんやちゃらちゃらして落ち着きないし、カッコばっかしで中身のない子が多いし。」

「まあ、そう言われてみればそうかもな。一緒に遊んでて楽しいけど、その場限りの感じの子が多いのは確かやな。でも一体何の話なん?」

「もうあんまり話を広げんといてほしいな。元々これは機密性の高い話やねんで。」

「聞いてしもたもん仕方ないやないですか。」

「ほんで、何の話なん?」

「あんな、出会いの場所があんねんて、会員制のクラブかなんかの。その会員カードを加藤さんが尾関さんに譲ったらしいねん。それをな、ウチにも紹介してってお願いした話。」

「せやから、ボクみたいな売れ残りばっかしが集まってんねんで。ボクみたいにある程度許容範囲を広げなアカン人ばっかしやで。」

「そんなん行ってみなわかりません。」

本当は陽平だってそんなところへ行くのは、大して乗り気ではないのだ。加藤女史の折角のお節介だから、一度だけは行っておかないと、彼女の顔が立たないだろう。そんな程度のつもりだった。

「ええもん。加藤さんの旦那さんのカードをもらえることになったから。ウチが使い終わったら瑞穂にあげるし、それまで待っときいな。」

まだよくは理解できていない瑞穂はなんと返事をしていいのかもわからず、ただ陽平と梨香の顔を眺めているしかなかった。

ここからが梨香の本番なのである。日付変更線も押し迫っており、あまり時間のない中で、可能な限りの情報を引き出そうと陽平に迫っている。なぜなら陽平は明日にはその店に行くというのだから。

「その店はどこにあるんですか?入るのにいくらかかるんですか?一人でしか行けないんですか?どんな服装で行けばいいんですか?一緒に行ったらあきませんか?」

いつ呼吸をするのだろうと思わせる質問攻めである。

「ボクかてまだ行ったことないんやから。それに一緒に行くのはアカンのとちがう?」

「別にカップルやなかったらエエと思うんですけどねえ。」

「とりあえず独りで行かして。」

二人の会話を黙って聞いていた瑞穂だったが、すかさず横から口を挟んだ。

「梨香、ホンマは尾関さんと一緒に行きたいだけちゃうの。なんやったら、今から二人でどっかへ行ったら?ウチはかまへんで、独りで帰るし。」

「別にそんなこと言うてへんし。変な勘違いすんねやったら、ここいらでおいとましよか。ほな尾関さん、お先に。」

喋りたいことを喋りたいだけ喋って、スッと席を立った。よく見ると手元のドリンクはすでに空っぽになっている。

「はよ帰り。気いつけてな。」

陽平はホッとしていた。やっとこれでマシンガンのような質問攻めから解放されると思うと、安堵の表情は隠せない。あとは疲れ気味の体を自宅へ向けて運ぶだけである。ふと見上げると、京都タワーがちろちろと赤い光を放っていた。いつぞや聞いたことがあるエピソードで、なんでも蝋燭に見立てて設計されたそうな。なんとも儚い炎の灯火をイメージしたものだと、陽平は今の自分の胸中のイメージと比べていた。

今宵も何やらスッキリしない気分のまま終わるのだなあと思っていた。



ゴールデンウイーク前最後の金曜日。基本的に重要な案件は昨日までで終了している。今日の仕事は主に電話待ちである。もちろん、次の仕事へ向けての企画案を練っている社員もいるが、連休中に出勤しなくてもよいかいけないかの時限装置となる電話が目の前にあるのだ。当然のことながらみんな気が気でない。おのおの目の前の電話が音を響かせる度にビクついていたが、さもあらん、日頃の行いがよいせいか、クレームの電話は一件もなく、社員一同胸を撫で下ろす金曜日となったのである。

さあ、終業時間だ。

まさか社内にベルが響き渡るわけでもないが、十八時のチャイムとともに皆一斉に帰り支度を始める。陽平も同じように帰り支度を始めていた。そこへ加藤女史が現れて、陽平の肩をポンと叩く。

「頑張ってくるんやで。」

「いや、とりあえず行くだけですよ。」

その様子を見ていた梨香もすかさず声をかけた。

「ちゃんと見てきてくださいね。」

「キミのために行くんとちゃうで。それに、あとをつけて来たらアカンで。」

呆れ顔で答える陽平だった。それぐらい注意しておかないと、ホントについてきそうだったからである。加藤女史も追随するように梨香を諌めた。

秀哉から飲み会のお誘いのメールも入っていたが、会社の打ち上げ会があるとして断った。ウソをつくのは少し後ろめたい気もしたが、ヤツとて見合いのことは瀬戸際まで隠していたではないか。そう思うことでわだかまりを飲み込んだ。

新たな扉がどのように開かれるのか。好奇心もあるが不安もある。そんな気分の夕方だった。そろそろ日が暮れるのも遅くなってくる五月の夕暮れ。この後に展開される物語は、今のところは誰も知らない。


目的のビルは河原町の雑居ビルにあった。前もって調べておいた地図を見ながらも、割と簡単に見つかった。陽平の性格はどちらかといえば引っ込み思案の性格である。女の子にも積極的になれないところが災いすることもあった。

折角ビルの前まで来て、最後の一歩に躊躇している姿が、そんな陽平の性格を示している。階段を昇り、すでに二階にあるその店の前までは到着している。目の前には財布の中にあるカードと同じ店の名前の看板が飾ってあり、ライトに眩しく照らされていた。

『ロンリーナイト』

確かにその店はあった。営業もしているようだ。ドアの中からは、わずかながらBGMの振動が漏れていた。

「加藤さんの実績もあるしな。騙されたと思って飛び込んでみるか。」

それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で店の扉を開く。するとドアの中では黒のスーツを着たボーイが二人、陽平を待ち構えていた。

「いらっしゃいませ。会員カードはお持ちでしょうか。」

陽平は財布からカードを取り出し、ボーイに渡す。

「ご紹介者のお名前とお客様のお名前をこちらにご記入下さい。但し、お名前は本名でお願いします。あとで偽名がわかると即、退場していただきますので。」

そう言って渡された記録用紙に、言われるがまま必要事項を記入していく。記載事項は指名と生年月日と職業のみである。住所や電話番号を記入する欄はない。さらには偽名を使うなと言いながら身分証明の提示は不要だった。なんとも不思議なシステムだ。ボーイは記入用紙を確認し、必須事項が全て記載されていることを確認すると、おもむろにさらなる内側のあるドアを開き、中へと導いた。

ドアの中には別のボーイが来客を待っており、陽平はそのボーイに導かれてあるボックスシートへと案内された。

そこにはすでに何人かの男女が座っており、胸にネームプレートをつけていた。ボーイはテーブルの前に置かれていたネームプレートに名前を書いて胸につけるよう陽平に指示をし、ファーストドリンクの注文だけ聞いて、一旦その場を立ち去った。

頼みのボーイから見放された様に取り残された陽平は、言われたとおりにネームプレートを胸につけ、所在無くじっとドリンクを待っていた。

すると、隣に座っていた女性が声をかけてきた。

「こんばんは、尾関さん。わたしアオイ、藤沢葵っていうの、よろしくね。」

「尾関陽平です。こんばんは。」

するとその隣にいた男とその隣にいた女も同時に挨拶を始める。このボックス席は陽平を含めて四人のグループで構成される仕組みのようだ。

「ボクは土山健治、彼女は小川愛香さん。ボクは五回目ぐらいやけど、キミは初めて?」

「はい。恥ずかしながら今日が初めてです。」

おどおどした感じで答えると、愛香がすぐにツッコミをいれてくる。

「ここはな、敬語厳禁やで。みんな同じ目的で集まってる同士やから。早く打ち解けるためのルールやねんて。」

「そう、ほんなら遠慮なく。」

「そや、尾関クンのドリンクも来たところで乾杯しよか。」

なんだかわけのわからぬまま、どうやら初顔同士の酒宴が始まるようだ。

「ボクは五回目やけど、葵さんや愛香さんは何回目?」

「ウチは三回目かな。」と答える愛香、

「わたしは二回目。」とは葵の回答。

「二人とも可愛いのに、今まで出会いはなかったん?」

確かに葵も愛香も普通に可愛い女の子だった。何気に周りを見渡しても、陽平の見るところ、十人中九人はそこそこの可愛い女の子が揃っている感じだった。特に面接があったわけでもないのに、いわゆる恋の売れ残りたちの集まりにしては、レベルが高いと感じていた。自分のことを棚にあげて言うのもなんだが。

「そういう土山さんこそどうなん。」

「質問に質問で返されたか。まあいいや。ボクは整骨医院に勤めてんねんけど、仲間が男ばっかしでな、まさかお客さんに言い寄る訳にもいかんやろ。そんなんがズルズルと続いて、今まで来てん。そんなときに去年結婚した先輩がココのカードを持ってて、お前にやるからココへ行って来いって。で、小川さんは?」

「ウチは保育園の保母やねんけど、意外と忙しいばっかしで、しかも会える男性はみんな既婚者ばっかし。会員カードは一昨年結婚した従兄弟からもらった。」

「わたしは看護師やねんけど、やっぱり職場は女だらけ。ドクターもおるけど、みんな医者であることを鼻にかけて、いやらしい人ばっかし。愛人にならへんかって真顔で言う人もおったし。なんや医者って思ってたイメージと違うなって感じ。ウチの病院だけかもしれへんけど。で、尾関クンは?」

順繰りに話していたので、準備はできていたものの、何をどうやって話していいかわからない。

しかし、顔ぶれを見ると、四人の中ではどうやら陽平が一番年上のようだ。

「ボクはもう三十五になるねんけど、今まであんまり恋人とか結婚とか考えてこんかった。いっつも振られてばっかりやし。それを見かねた職場の先輩がカードを譲ってくれて、ちょっと冒険しにきた。そんな感じかな。」

「こういうところでは年齢を聞かん方がええのかな。」

どうやらこのグループは土山氏が仕切るようだ。

陽平にしてみれば、そのことに異存はなかった。自分はココに来るのさえ初めてだし、ましてやリーダーシップをとってグループの主導権を握るなど、今までも経験したことがなかったからである。

「ウチはかまへんで。今年二十七。」

「わたしも二十七。同級生やな。」

「ちなみにボクは三十二歳。こないだなったばっかし。」

「みんな若いな。ボクだけおっさんやな。」

陽平はみんなの年齢を聞いて、やや引け目を感じた。その様子を見て葵が慰める。

「まだ十歳も離れてないやん。もっと年齢差のあるカップルもいるみたいやし。あんまり気にせんほうがええよ。」

「ありがとう。」

彼女のおかげで、なんとか場の雰囲気を崩さずに済んだようだ。

半時間もするとお互いが打ち解けて、やがてツーショットの時間を作り出す。最初に動き始めたのは土山だった。

「ちょっと小川さんと。ええかな。」

そういって彼女を連れ出してカウンターへ移動して行った。自然とボックスには陽平と葵が取り残される。

「ここはね、いつまでも四人で喋ってたらダメなとこやねん。出会い系やからね。あんまり長い時間四人で喋ってると、ボーイさんが勝手に二人ずつに分けはるねん。」

「ボクでよかったかな。彼やなくても。」

「うふふ。わたしもあんまり男の人に慣れてないから、誰でもええのよ。それに尾関さんは優しそうやし。わたしらもアッチに行きましょ。」

そういうと葵は陽平の腕をとってさっきの二人とは反対方向にあるスタンドテーブルへ連れ出した。スタンドバーにありがちな小さなテーブルがそこにあり、グラスを持って移動するのである。

「尾関クンはどんな仕事してるん?」

「京都市内の観光案内の雑誌やチラシを作ってる会社。そこで毎日コキ使われてるって感じかな。」

「なんで彼女できひんかったん?」

「反省してんねんけど、最後の恋愛の破局は浮気が原因やった。たった一回の過ちやったけど、一回も百回も一緒やって言われて。自分が悪いのわかってるから受け入れるしかないし、それ以降はなんかめんどくさくなって。」

「アカン人やなあ。一番あかんパターンやな。わたしは逆に浮気されっぱなし。わりとイケメンばっかしやったからかな。もうイケメンはコリゴリ。あっ、別に尾関クンがイケメンやないっていうてるのとちがうで。」

「いや別にそんなんフォローせんでもええよ。それに自分でもそんな男前やと思ってないし。それより、毎回こんなにお客さんおるん?」

陽平が店内をざっと見渡すだけでも三十人ぐらいの客が入っている感じだった。店は二階と三階とが階段で続きになっているフロアで、常時五~六人のボーイが忙しそうに店内を右往左往していた。

「前のときもこれぐらいやった。それだけ恋愛に不器用な人が多いってことかな。」

「ふーん。」

初対面の若い女の子との会話もさほど苦手ではないはずの陽平だったが、今宵はやや緊張気味なのか、場所柄もあるのか、適切な話題に困っていた。「ご趣味は?」なんて聞くのもお見合いみたいで変な気がするし、「どんな男性がタイプ?」って聞くもの野暮な感じだし、キャバの女の子を相手にするのとは勝手が違うことを思い知らされている。

そんなタイミングで店内のBGMが変わる。するとボーイたちが箱を持って参加者たちにナンバープレートを引かせていた。

「お時間ですので、そちらのおふたかたもどうぞ。」

どうしてよいかわからぬ陽平は葵を見た。

「そうやな。初めてやったら知らんよな。ココ、四十分おきにグループ変えすんねん。次のグループ割りのくじ引きやから、みんなが引くんよ。尾関クンもな、ええとこ引きや。」

そういわれてボックスの中に手を突っ込んだ。陽平が引いたプレートには「8」、葵の引いたプレートには「3」と刻まれていた。

「今日のところはこれでお別れやね。縁があったらまた会いましょうね。」

葵はそういうと、さっさと陽平の元を離れ、「3」番テーブルとおぼしき彼方へ去って行った。


どうやら彼女にとって陽平は最善のパートナー候補とはなりえなかったようである。彼女の背中を見送り、自らは「8」番テーブルを探しに歩を進める。各テーブルの上にナンバープレートが立てられており、「3」番テーブルは店の奥のステージの脇にあった。

すでにシステムを理解していただろう三人が陽平の着席を待ちわびていた。

「こんばんは。」

リーダーシップを発揮して陽平を迎え入れたのは三十前後の恰幅のよい青年だった。

「さあ、これで新しい四人が揃ったな。じゃあ自己紹介していこ。まずはボクから。名前は内田勉、年齢は三十二歳、一応実業家でーす。ハイ次。」

そう言って矛先を向けられた陽平も先人に倣って自己紹介を行った。さらに女の子も順繰りに自己紹介を済ませた。女の子は髪の長い方が津田美穂、短い方が奥村紗理奈と言った。どうやら彼女たちも三十路を迎えたばかりで、偶然にも陽平を含めても年齢層が近い集まりとなった。子供のころのテレビ番組や流行り歌の話に大いに盛り上がっていたが、まだなかなか場慣れしていない陽平の会話は、どうかすると途切れがちだった。自然とグラスのドリンクに頼る機会が多くなり、陽平のグラスが空になったとき、先ほどと同じようにツーショットタイムの合図が店内に流れた。

そのときである。今まで静まり返っていたすぐ脇のステージに煌びやかなライトが投じられた。音楽もアップテンポのリズムが流れる。奥のカーテンが開かれ。三人のダンサーが並んで登場した。ショウタイムの始まりである。

三人の踊り子はいずれも派手な衣装で、足を上げたり腰を振ったり。セクシーではあるが下品にならない程度のダンスを披露していた。

いつの間にか内田は、自分の向いに座っていた美穂を連れ出し、ステージとは反対方向のカウンターへ移動していた。自然、陽平と紗理奈がペアとして取り残されたのである。先ほどと同様に、申し訳なさげに謝る陽平。

「ゴメンネ。ボクしか残らんくて。」

「ええよ別に。もう少しあなたの話を聞いてみたかったし。それにしてもこんなショウがあるなんて初めて知った。あんな風に踊れるなんてうらやましいな。」

「女の子はみんなダンスが好きやな。男どもは踊ってる女の子を見るのはみんな好きやと思うで。男が踊ってるのはむさ苦しいやろ。」

「男性のセクシーダンスも好きやで。そんな店行ったことないけど。」

二人は席を立たずに向かい合わせのシートのまま、すぐそばのステージに魅入っていたのだが、やがてミュージックが変わり、天井から銀色のポールがスルスルと降りてきた。

「何が始まるんやろ。」

ワクワクしてカーテンが開くのを待っていると、スレンダーで胸の大きな女の子がクネクネと踊りながらせり出してきた。やがてポールに絡みつきながら、妖艶な動きを始める。

「ポールダンスや。初めて見る。」

「わたしも初めてや。カッコええな。ほんでもって綺麗な人や。あんなに細い体、どうやって維持するんやろ。」

女の子の関心はもっぱらダイエット関連にあるようだ。しばらくは何気なく妖艶に踊るポールダンスを見つめていた陽平であったが、ダンサーが顔を上げて観客の方にキッと視線を向けた時、驚きのあまり「あっ」と声を立てた。

「どうしたん。」

紗理奈はステージの中央を凝視している陽平に驚いている。

「う、うん。知ってる人によう似てたから。でも他人のそら似やと思う。」

「ふーん。その人ポールダンスとかする人なん?それに彼女、結構若い感じの子やけど。」

「いや、他人のそら似やと思う。ゴメン。カウンター行かへん?のど渇いたし。」

実際、驚きのあまりに陽平ののどはカラカラだった。陽平は紗理奈をエスコートし、カウンターでオレンジスカッシュを注文した。それを一気に飲み干すと、ステージの方を振り返ってみたが、すでにポールダンスのショウは終了しており、ダンサーは幕の後ろへと消えていた。

しばらくボーっとしていたが、紗理奈に呼びかけられて我に返る。

「はいどうぞ。」

そう言って彼女が渡したのは名刺であった。

「じゃ、ボクも。」

こんな所で名刺の交換をするとは思わなかったが、営業が仕事なだけに名刺は常に売るほど懐の中に入っている。

「尾関さん、ここ初めてっていうてたよね。名刺を渡すときには、気になった人に限るっていうここのお店のルールがあって、ほんでも次にこの店で会えるまでお互いに連絡しないことになってんねん。それも女の子から渡すのが決まりやねんて。運命ってそういうことっていう理由かららしい。気になっても一旦持ち帰ってもう一回冷静に考えて、それでも会いたかったらもう一回お店に来て、またお話をして意気投合できたら、このお店は卒業。会員カードもらった人から聞いてなかった?」

「そんなん初めて聞いた。知らんかった。でもボクも奥村さんのこと気になったから名刺渡してもええかな。」

「うん。もろとくわ。また会えたらええな。」

それから二十分ほど彼女との会話を楽しんでいたが、それでいて陽平の神経はステージに向けられていた。もう一度ポールダンスのショウが始まらないか。しかしながら、あとはマジックショウがあっただけで、ステージでの演目は全て終了となってしまった。


それからの陽平は当たり障りのない会話だけをこなしていた。彼女との会話よりもステージの奥のことが気にかかっており、そのことを彼女に悟られないように、なるべく彼女と目線を合わせながらお互いのことを話していた。

紗理奈との会話も楽しかった。また会えたらいいなと思ったのだが、やがてこのセットの終わりを告げるBGMが流れ出す。同時にボーイたちがナンバープレートの入った箱を持って回っている。陽平も紗理奈もそれを引いて、それぞれ次のテーブルへ移って行く。もう一度ステージが開かないか。それだけを期待して。

しかしながら今宵、あのステージが二度と開幕されることはなかった。されなければされないで、益々気になるのが陽平の性分である。3セット目については、彼女から名刺を渡されなかったこともあり、女の子の名前もどんな話をしたかも覚えていなかった。これ以上ここにいても仕方がないと思い、陽平は次のセットに入る前に退店を申し出た。


店を出ると月明かりが心地よく路地を照らしていた。

陽平は先ほどの衝撃的なシーンを回想しながら歩いている。

「それにしてもよう似てた。いや、きっと本人やろう。ポールダンサーになりたいって言うてたし。早速確かめに行こう。」

今夜は『ナイトドール』の出勤日ではない。次の出勤日は明日だ。なんだか寧々の秘密を垣間見たような気がしてワクワクしていたに違いない。そんな陽平の足取りは思いの外軽かった。今宵の『ロンリーナイト』での出来事など忘れたかのように、すでに気持ちは明日のことで一杯だった。



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