第7話 チョコレートの効果その2

翌朝、はっとして目が覚めた陽平は時計を見て飛び上がった。

「いかん、もうこんな時間だ。」

いつもより一時間も寝坊したようだ。慌てて着替え、飛び込むように靴を履いた。玄関を出るときは猿のように俊敏な動きで、一目散に駅へと向かって行った。

今朝は昨日までの雨がまるでウソのように青空が広がっており、眠気まなこには眩しい陽射しが輝いていた。

そろそろ上着が要らぬ季節が到来する。この頃にはすでに陽平の傷心は過去のことになっているようで、夜な夜な愚痴をこぼすようなこともなくなっていたが、新しい恋に目覚めたはよいが、加藤女史からもらったカードのおかげで、いくらか気持ちが揺らいでいることを自覚していた。

いつもどおり満員電車に揺られながら、加藤女史との約束をようやく思い出したのだが、揺らいだ気持ちであるがゆえに、さほど今宵に対する思い入れは重くない。

「週末でいいよね。その方がたくさんの人に会えそうだし、それよりも明日、寧々に会いに行ってからでも遅くないよね。」

そう思うと、朝から加藤女史の顔を見るのは少し引け目を感じる。そして、あまり会いたくないなと思っているときほど、一番に顔を合わせるものなのである。

「おはよう。」

部屋に入るなり、一番に顔を合わせたのが加藤女史だった。

「おはようございます。」

同じ部署で、同じ仕事をしているのだから、嫌でも毎日顔を合わせることにはなるのだが、取材や出張にでも行ってくれていれば会わずに済むものを、などと思っているからこそ、朝一番に出くわすのである。

「尾関クン、今晩行くんやろ?」

「ああ、今晩は別の用事ができまして、週末に行こかと思っています。」

「善は急げっていうねんで。はよせな運も逃げるかもやで。」

「いや、週末は絶対に行きます。せやから今晩はちょっと。」

「なんやいつもどおり悪い歯切れやな。ほんなら今日は例の原稿、ちゃんと仕上げてから帰りや。」

「はい、わかりました。」

そのやり取りを見ていたのが梨香だった。

「うーん、なんやろ。なんか秘密がありそうやな。瑞穂もさそて、ちょっと探りをいれてみるか。」

などと、妙な探究心が疼きだしたようだ。


時計の針が長いのも短いのも真上を向く時、皆一様に午前中の仕事にケリをつけてゴソゴソとランチの準備を始める。

独り者の陽平はいつも外食か金欠時にはカップ麺で済ませたりしている。今日はまだ金欠状態にはなっていないようで、原稿の区切りのよいところまで書き終えたら、資料を畳んで立ち上がった。

そのタイミングで後ろから声をかけられたので、振り返ってみると、そこには梨香と瑞穂がニコニコと微笑みながら立っていた。

「尾関さん、一緒にランチ行きません?私らが奢りますから。」

いつか残業が遅くなった夜、確かに加藤女史を含めて四人で夜食を食べに行ったけど、思いも寄らぬコンビからの何だか妙な提案に尻込みする陽平。

「なんの魂胆なん?キミらに奢ってもらう理由ないけど。」

「ちょっと聞きたいことがあるんですが。」

「なんやろ、割り勘でエエねやったら付き合うで。かわい子ちゃんに囲まれての食事も悪ないからな。」

「じゃあ決まりね。『ジャスミン』でいいでしょ?」

「どこそれ?何を食べさしてくれるん?」

「今流行のオムライスの店ですやん。ホンマは尾関さんも女の子連れてそういうとこ行くんちがうんですか?」

早くも先制攻撃を仕掛ける梨香。

「ん?なんか企んでるな。まっ、やましいことなんかなんにもないし。」

「ホンマですか?色々調査させていただきます。」

瑞穂が陽平の腕を確保し、梨香が先陣を切って店へと向かう。ちょっと可笑しな三人組の一行となった。


♪カランカランカラン♪

店のドアを開けると、懐かしの喫茶店らしいベルが鳴り響く。一行は四人がけのテーブルを陣取り、そろってランチセットを注文した。

陽平が店内を見渡すと、客のほとんどが女性客だった。というよりも、男は陽平ただ一人だったのである。

「なんや女の子ばっかしやな。ちょっと恥ずかしいやん。」

「ええの。女の子と一緒やから大丈夫でしょ?」

「梨香、そんな話はどうでもエエから、核心の話を聞こうや。尾関さん、最近加藤さんとなんやおかしくないですか?なんか不倫の匂いがするんですけど。」

あまりにも唐突な質問に愕然とする陽平の目は、数秒ほど止まったままだった。

「あっ、やっぱりなんかあるでしょ。」

「いやいや、キミらの目の付け所が突拍子過ぎて、なんて答えたらええのかわからん。オレが加藤さんと不倫やて?ははは、それはおもろい。その話、加藤さんにしてあげたら?メッチャ喜ぶかメッチャ叱られるかどっちかやな。」

「でも最近のお二人さん、なんか様子が変ですよ。なんか秘密めいた感じがするし。」

「そうそう、こないだもなんか暗号みたいな会話やったし。あれってなんですか?」

「ええ?なんのことやろ。覚えがないな。」

「昨日のランチも加藤さんと一緒やったみたいやし、帰るときもなんか暗号か符号みたいな会話やったし。最近の加藤さんがやたら尾関さん贔屓の様に見えるのは気のせい?」

「よう見てるな。でも大したことないで。ちょっとお説教もろただけやし。暗号も符号もなんもない。みんなキミらの気のせいやで。」

そうしてる間にランチのオムライスが届く。今日のランチは大きな唐揚が三つとスープがセットになっていた。

「これは意外とお得感満載やな。」

陽平は大きな唐揚を頬張ると、満足気に胃袋に収めていく。

「ウチのも一つどうぞ。」

「私のも一つどうぞ。こんな大きなの三つも食べられへんわ。」

陽平の皿は大きな唐揚で一山できたかのよう。

「で、もう調査は終了かな。」

「今朝がた言うではった、今晩行くの行かへんのってなんですか?」

「そんなんまで聞いてたんかいな。それは、うーん、ちょっとな。」

やや歯切れの悪い口調になる。まさか出会いクラブの話をまともにするわけにも行くまい。

「結婚相談所みたいなとこやし。あんまり恥ずかしいこと言わせんといてんか。」

「それってどっかで待ち合わせとかの合図やとおもたんやけどなあ。」

「キミらドラマの見すぎやで。あの人は大先輩でおねいさんみたいな人や。まかり間違ってもボクと不倫な関係ってありえへんで。旦那さんも会うたことあるし。」

「なんや、もっと面白い話になるかと思ってたのに。梨香、さっさと食べて午後からの準備しよや。」

いくらか面白い展開を期待していた瑞穂は少々がっかりだった。しかし、なぜか安心したような顔をしている梨香がそこにいた。

「ねえ尾関さん、私もそこへ連れて行ってもらえません?なかなかいい出逢いが無いのはウチもおんなじやし。」

「ええ?やめとき。キミらみたいな若い子がまだ早い。合コンでも何でも行って、活きのエエ男の子捕まえておいで。お腹の出掛かってるおじさん相手にしたないやろ。」

「そこっておじさんとおばさんしかおらへんのですか?」

「ボクに行けって言うぐらいやから、そうなんちゃう。まだ行ってないからわからへんけど、一回行ったらどんなとこやったか教えてあげよか。」

「はい。」

梨香は素直に返事をした。

大きな唐揚のお陰でお腹がいっぱいになった陽平と梨香は、どうやら会話の内容も満足したようで、午後の仕事にもしっかりと向き合えそうだ。それに反して、ややわだかまりが残ったのは瑞穂であった。どうやら梨香の様子がおかしいことに気付いたのである。

事務所に戻った三人は午後の仕事にそれぞれ勤しむことになるのだが、瑞穂だけはすぐに席に着かなかった。

「梨香、ちょっと。」

梨香の肩をツンツンと叩いて、給仕室まで呼び出す。

「ねえ、梨香はあれで納得したん?それになんか尾関さんに対しても素直やん。もしかしてちょっと芽生えてる?」

「そんなアホな。教えてくれるって言うんやから教えてもらったらええやん。どっちみちウチらも出逢いがないのは一緒やろ?それとも瑞穂はどっかで出会ってる?」

「いや、そういうことやなくて。梨香が尾関さんのことどう思てるかってこと。」

「正直いうて悪くないやん。前の彼氏と別れたとこやし、ストライクゾーン広げたら入ってくるタイプちゃう。」

「広げるん?」

「今はまだかな。広げるようになったら教えるわ。」

そういい残して梨香は給仕室を後にした。残された瑞穂は、結果的にわだかまりを解消できないまま梨香の後に続いて給仕室を出たのである。


この日の夜も用事があることになっている陽平は、最低限の原稿だけ書き上げて退社する。

さて、加藤女史の手前、何もなかった用事を急きょ作らねばならなくなった。

会社を後にした陽平は駅へ向かって歩いていたのだが、何気に思い出したのが明日のこと。そう、寧々に会いに行くと決めたことである。

そうなると必要になってくるのはお土産である。思い出したが幸いと、百貨店に足を向けたその途端、目の前に雑貨屋があった。何気にウインドウの外から品定めをしていると、何やら面白そうなものが並んでいるではないか。そうなると無性に探検したくなるのが陽平の性格であった。

その店は雑貨屋ではなく本屋だった。雑貨に見えたのは付録であり、ようは商品付きの本を専門に取り扱っている本屋なのである。

カバンやポーチがついている本、サングラスやアクセサリーがついている本。中には食品がついている本まで売られている。珍しさもあって、陽平は店内をぐるぐると見回っていたが、あるところで立ち止まった。

そこにあったのは小さな小瓶のコーナーで、それらに冊子は付いていなかった。何かというと燻製のナッツと塩が詰まった小瓶だった。そこに「チョコレートフレーバー」と書かれた文字を見つけたので、目が止まったのである。

それを手に取り品定めする陽平。

「うーん、こんなちっぽけな小瓶で千円か。結構な値段だな。でも、大きさも丁度いいや。今回の土産はこれにしよう。」

陽平は小瓶をレジに持って行き、軽くラッピングをしてももらって、大事そうにカバンにしまった。

これで明日の準備も万端になったのである。陽平の足取りは軽かった。ややニヤけている顔だったが、その理由をすれ違う通行人たちが知る善しもなかった。



翌日、朝からシャワーで汗を流し、丁寧にヒゲをあたり、パシッとしたパンツをはく。シャツもできるだけ綺麗なものをチョイスする。

そう、今宵は『ナイトドール』へ行って、またぞろ寧々に魅了されに行く日と決めているのである。昨日買った土産も確認したし、これでおでかけの準備は整った。睡眠も十分に取れているし、あとはスムーズに仕事を終えるだけだ。

今日は都合のいいことに、午後から得意先への取材出張が予定されている。ロケハンも兼ねて嵐山あたりまで行けば、帰りは直帰のお許しが出るだろう。通勤の電車の中で、それぐらいの算段を想定していた。

「おはよう。」

例によって加藤女史が様子を伺いに来た。

「今日は午後からH社の取材やったな。カメラマンと打ち合わせもするん?」

「はい、宮田さんと十五時に嵐山駅で待ち合わせです。」

「長沢部長も一緒に?」

「いいえ、部長は行きません。ボク一人です。打合せの後、コッチへ来るって言うてましたけど。正月向けの企画の相談やないですか。今はインバウンドもあって儲かってますからね、あの会社。」

「余計なことは言わんといてな。大事なお客さんなんやから。」

「はいはい。あとはG社のロゴと版下まとめたら、ランチ前に出かけますんで。」

「せいぜい美味しいもん食べといで。」

これで今日の予定は完璧だ。陽平は内心大いにほくそ笑んだに違いない。

午前中の仕事はレイアウトを大まかに決めるだけだから、実質一時間もあれば完了する。時折り休憩がてらネットで『ナイトドール』の最新情報をチェックするのも忘れない。女の子の予定によっては、急きょ休みになったりすることもあるので、小まめなチェックが必要だ。

そんな心配をしないためにも、陽平には是非とも今宵しなければならないことがあった。寧々のとの連絡先の交換である。電話番号にせよメールアドレスにせよ、どちらかを聞いていれば、そういった緊急の連絡や日常の挨拶などが手軽に行えるからである。

とある女の子においては、親しい客への営業メールが頻繁に行われることもあり、陽平も以前の女の子とは気軽にやり取りをしていた。

手法は簡単である。名刺はすでに渡している。あとは、そこのメールアドレスに連絡してもらうだけなのである。

その為にも今日のお土産は重要だった。


無難に仕事をこなし、本日の業務を終了したことを会社に連絡した時、陽平は嵐山の渡月橋近くにいた。カメラマンとのロケハンも問題なく、モデルの手配が完了すれば、あとは撮影隊を結成し、本番に臨むだけである。

ここから京都市内の繁華街までは三十分ちょっと。『ナイトドール』のオープンは夕方の六時からだから、そんなに慌てる必要はない。とはいえ、今から出向いて行っても街中をブラブラするだけしか能がない。食事は逢瀬の後と決めている。折角嵐山まで来ているのだから何か面白そうなものを探してみよう。

嵐山の渡月橋付近では観光客目当ての土産屋が目白押し。平日でも外国人や修学旅行の客がところ狭しと歩いている。大きな土産屋ではたくさんのアイテムが用意されており、見る人の目を楽しませてくれる。とはいえ、すでに寧々への土産はカバンの中に入っており、慌てて用意しなければならない土産は必要ない。それでも目ざとい陽平は、それなりに散策を開始していた。

しかし、いくつかの土産屋を散策してみたが、特に陽平の目に留まる物はなく、そろそろあきらめようと思った矢先、面白そうなものが目に飛び込んできた。

「なんやこれ。」

手に取ってみると、それはチョコレートだった。もちろん普通のチョコレートではない。京都らしく抹茶風味のチョコレートなのだが、それだけならどこにでもある。陽平が見つけたのは猪口の形をしたチョコなのだ。猪口にしてはやや大きめだが、ある程度の大きさとある程度の派手なあしらいがないと外国人や観光客には支持されないだろう。

「これは面白い。お土産に最適かも。今夜の土産はコッチにしよ。」

その大きさのチョコレートとしては少しお高めの値段だったが、迷いなく購入した。

「さて、寧々はお酒とか飲むんやろか。今夜行ったら聞いてみよ。」

ますますネタが増えたことに喜ぶ足取りは、今までで一番軽かった。そろそろ熱気がムンムンとする季節である。カバンの中で溶けなきゃいいけどね。


嵐山から乗った電車ではすでに冷房が完備されていた。まだラッシュアワーには少し早いせいか、電車内の冷房は終点まで冷ややかな室温を保持してくれていた。おかげで陽平のカバンの中のチョコレートは溶けずに済んだのだろう。

観光地での土産探索のおかげで、京都市内に到着した時刻は、そろそろ『ナイトドール』の開店時間に迫っていた。陽平が店の前に到着したのは、ちょうどその十分前であった。

見慣れたドアを開けると、いつものボーイが出てきて、いつものようにオーダーを聞く。

「寧々さんお願いします。」

なれた口調でオーダーすると、待合室で待たされることになるのである。

平日ならば弓香嬢が一番人気だ。今日も弓香嬢待ちの客がすでに何人か待合室で蔓延っていた。それに倣って最後尾に座ることになるのだが、陽平のもっぱらの心配は、待合室の熱気でカバンの中のチョコレートが溶けやしないかどうかだった。

やがて開店時間が訪れ、オープンの合図とともに、先着順で待合室から夢のシートへと案内されていく。待ち時間が短かったおかげで、陽平が大事に抱えていたチョコレートの体裁は守られたようだ。

陽平はボーイの案内で一番手前の通路の二番目のシートに案内された。この時点で寧々指名のファーストビジターであることが確定する。あとは何人が彼女を指名しているか。

しかし、そんな心配をする必要は無かった。なぜならば、待合室で待っていた客の最後尾が陽平だったからである。つまり、現時点で陽平以降に入店客はいないということである。

テンポ良いリズムの音楽が店内を包んでいる。流れているのは洋楽らしいが、そっち系に関心のない陽平には、誰のなんと言う曲が流れているのかは全くわからない。それよりも大事そうにカバンを足元において寧々が来るのを今や遅しと心待ちにしていた。

「いらっしゃい。今日は早いんやね。」

「うん。出張やってん。ほんでな、そっから直行で来てん。」

「ふーん、どこへ行ってたん?」

「嵐山。打合せでな。早めに終わったさかい、寧々ちゃんにお土産買ってあげよ思て、ちょっとだけウロウロしてたんやけど、ええのが見つかったさかい、急いで来たんや。」

「ええ、楽しみやな。」

寧々の言葉を聞き終わるまでもなく、カバンから小箱を取り出し始める。赤い包装紙がややどぎつい色だが、今の陽平の情熱さを表していると思えば、妥当な色合いでもある。

「開けてもいい?」

「もちろん。開けてみて。」

今度は寧々が陽平の言葉を聞き終わるまでもなく、包装を開き始める。

「何これ?」

クリアボックスに入っている艶やかなシルエットのグリーンの猪口。見た目だけではなんだかわからなかっただろう。

「これなチョコレートやねん、抹茶の。嵐山やさかい、観光客向けのお土産やと思うけど、チョコレートやから寧々ちゃんのお土産にピッタリかなと思って。」

「ホンマやな、こんなん初めて見た。でも、もったいなくて食べられへんかも。」

「あかんで、ちゃんと食べてくれな。ほんで感想も聞かせてくれな。できたらブログにも載せてくれたらうれしいな。」

「うん、頑張ってみる。でも綺麗やな。ホンマに食べるんもったいない気がする。でもありがとう。」

寧々はクリアボックスを棚に置き、丁寧に包装紙をたたむと、それをバッグにしまいこんだ。そしてニッコリと微笑んでから陽平に抱きついていくのである。

陽平はこの至福の時を待っていた。甘美なる香りと吸い付くようなぬくもりとを。彼女の放つ独特の匂いが陽平をさらなる花園の世界へ導いていく。

こんな時の陽平は、店内に流れてる大音量のBGMさえ耳に入らない。もちろん、周りで行われている淫靡な光景も目に入らない。自分たちだけの世界がそこにあると思い込んでいるかのようだった。

一息ついたら、陽平は寧々の体を離し、膝の上に寝そべらせる。ベンチの上でお姫様抱っこをしている体勢に似ている。

その体勢から少しずつ寧々の情報を聞きだすための会話を投げてみるのである。

「寧々ちゃんって、お酒飲んだりするん?」

「ウチ、まだ二十歳過ぎたばっかしやで。でもイイ子ぶったってしゃあないから言うけど、まあまあ好きかな。」

「やっぱしカクテルとかカワイイ感じのやつ飲むんやろな。」

「そんなでもないで。ワインも日本酒も好きやで。まだ味の違いとかはわからんけど。」

「ボクはまだ独りもんやし、週に一回ぐらいは友だちと飲みに行くんやけど、寧々ちゃんはお友達とよう飲みに行ったりするん?」

「ウチも週に一回ぐらいかな。夜はそこそこお店あるし、女の子が少なかったら、休みの時でも入ってって言われるし。」

「でも次の日学校とかやったらしんどいやろ?」

「そやねん。お店も頑張ってんねんけど、入ったらそれがシフトになってしまうみたいで、それがちょっと不服かな。いつも入ってへん曜日に入ったら、次の週はなんで入ってへんの、みたいに言われるし。ホンマは休みやのに。」

「そやな、それはイカンな。ボクがお店の人に注意したろか?」

「アカンで。それはウチの問題。ヨウちゃんが気にしてくれるだけでうれしい。」

「ほんなら今度一緒に飲み会しよか。ってアカンよな。お客さんとプライベートでデートしたら。」

「うん。お店の人にアカンて言われてる。何があっても責任もたんでって。」

「ボク、そんな危ない人に見えるかな。」

「ヨウちゃんは大丈夫やと思うけど、もうちょっと待ってな。ウチがもう少しこの店で慣れるまで。ヨウちゃんを信用してない訳やないねん。なんかあってお店の人に知られるのが嫌やから。なっ、お願い。」

「そんなん別にかまへんで。ホンマは今すぐにでも連れて行きたいけど、寧々ちゃんの色んな都合がようなるまで待つで。」

「ありがとう。」

そして再び寧々は陽平の首に腕を巻きつけ、熱い抱擁と吐息の交換を提供していた。

そんな二人の蜜月を嘲笑うかのように場内アナウンスが流れる。

――寧々さん、十五番シートごあいさつ――

まだまだ顧客の少ない寧々は、指名をせずに入店する客への顔見せにも積極的に行かねばならない。

「ちょっと待ってな。すぐに戻ってくるから。」


すると、寧々と入れ替わりに別のおねいさんがやってくる。カレンさんだった。

「最近またよう来てるな。」

「カレンさん、お願いやから、ボクがちょくちょく来てるのは内緒にしてくださいよ。」

「別に誰にも言わへんけどな。誰に知られたらアカンの?」

「カレンさんやから言うけど、ヒデちゃんいうてジュンさんのお客さん。ボクをココへ連れてきたお友達やねん。」

「ふーん。なんでか知らんけど、他のお客さんにしゃべったりせえへんで。なんせ個人情報やさかいな。」

「助かります。なんやったら今度来るときはカレンさんにもお土産持ってきましょか。」

「なにそれ、口止め料か?いらんし。それよりも、通ってあげてな。お店も賑やかな方がエエに決まってるし。」

交渉が成立したタイミングでアナウンスが入る。

――カレンさん、五番シートへラッキータイム――

「ほなまたな。」

軽い挨拶を残して彼女は陽平のシートから別のシートへと去って行った。


やがて寧々が戻ってくるアナウンスが流れて、笑顔の彼女が陽平の元へ戻ってきた。

「ただいま。フリーのお客さんやからすぐやったやろ?」

「おかえり。ボクにとっては一日千秋の思いやったで。」

「おおげさやな。」

「寧々ちゃんのこと気に入って、指名されたら嫌やな。」

「ウチみたいなブスより、他に可愛い子いっぱいおるから大丈夫やで。」

「あのな、寧々ちゃんブスやないで。そら、抜群の別嬪さんやないかもしれんけど、ボクにとってはこれ以上可愛いことこの上ない天使みたいな子や。」

「ヨウちゃんがおかしいねんで。」

「ボクかて別にイケメンやないし、寧々ちゃんにゴメンなって思ってる。」

「女の子ってイケメン好きばっかしやないで。男は見た目より中身やん。ヨウちゃんは優しいし、話してても楽しいし、それにヨウちゃんは割りと男前やと思うで。」

「そんなん言うてくれんの寧々ちゃんだけやん。」

そしてまたぞろイチャイチャタイムが始まるのである。

「ところで、大学卒業したらどうすんの?なんか夢とか目標とかあるん?」

「ウチな、ポールダンサーになりたいねん。」

「またなんか難しそうな職業やな。」

「劇場とかでな、たくさんのお客さんの前でポールにしがみつきながら踊るやつ。知らんかな。外国とかでは結構あるけど、日本ではまだあんまりないさかいな。」

「何となく想像は付くけど、あの劇団四季とかでやってそうなやつ?」

「そうそう。それはてっぺんやな。そんな大きな舞台でのうてもええから、お客さんの前で踊ってみたい。もちろんエッチなやつちゃうで。」

「わかってるって。でもそんなんできるとこどこにあるんやろ。」

「まあ、大学卒業したらやけどな。」

「叶うとええなあ。」

「それまでは、この店でナンバーワンになれるようがんばるし。」

「そんなんになったら、もうボクなんか相手にしてもらえんようになるんかな。」

「ヨウちゃんだけは特別扱いにしてあげる。」

今宵も滑らかに会話が弾んでいたが、そんな折、1セット目終了のコールがかかった。

「うふふ。そろそろ時間やけどどうする?」

「もうちょっとおってもええかな。」

「おってくれるん。」

「寧々ちゃんがエエって言うねやったら。」

「エエで。エエに決まってるやん。ヨウちゃんやったらずーっとおってもエエで。そやけど無理せんといてや。」

「大丈夫。2セットぐらいはおるつもりで来てるから。」

陽平はそう言って財布から次のセット料金を支払った。

「次は、その綺麗なおっぱい見せてもらってもエエかな?」

「エエよ。見るだけでエエの?」

「うーん、やっぱり触ってもエエかな?」

「エエよ。ウチのおっぱい綺麗って言うてくれんのヨウちゃんだけやし。みんな黙ってワシワシしはるだけやし。やっぱ女の子って褒めてもらうと嬉しいもんやで。」

「褒めてるんちゃうで。ホンマのこと言うてるだけやで。」

確かに寧々のバストラインは誰の目から見ても美しかった。くびれのある腰のラインが更にその美しさを際立たせていた。

「どっちでもエエねん。ヨウちゃんの手、あったかいな。もっとあっためてえな。」

陽平はビキニの中へ滑り込ませていた手をそっと引き抜いて背中に回し、寧々の体をぐっと抱き寄せた。自然、目の前に寧々の唇が現れ、スッと開いた祠の奥から女神が顔を覗かせる。その女神に引き寄せられるように吸い付いていく陽平の唇。それはまるで誘蛾灯に引き寄せられる虫のようだった。

寧々の吐息は今宵も陽平を虜にし、陽平はその香りに酔いしれる。時折り寧々の美しき丘陵のラインを愛でる以外は、ただ唇の感触と女神との逢引だけを楽しんだ。やがて、わずか八十分ばかりの逢瀬は陽平の欲望とは裏腹に、あっという間に過ぎてしまうのである。

場内コールとともに今宵のエンディングが訪れた。

「今日はホンマにありがとう。チョコレートもヨウちゃんの気持ちも嬉しかったで。」

「ボクって寧々ちゃんの恋愛対象に入るかな?」

「うふふ。さあね。」

ちょっと思い切って投げかけてみたものの、暖簾に腕押し柳に風といった感じだった。

今宵ものめり込むだけのめり込んでフロアを出るのである。

「また来てな。」

そういうと別れ際に軽いキッスを頬に残して寧々は再びフロアへ、陽平はドアの外へ。

まったりとした時間を堪能した夜になった。同時により一層寧々への恋心が深まる夜にもなったのである。



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