第4話 意外な急接近

次の水曜日。

この日の朝は、陽平の気持ちと同様に心地よい日射しが各家庭の窓を叩いていた。

雀も白鷺も朝から道端や川の畔で忙しそうに何かをついばんでいる。

陽平も朝からいそいそと身支度を備えていた。

もちろん、今宵のためである。

先週末の土曜日に行くことも念頭にはあったが、忙しい時に行って、指名がダブってゆっくりできないと嫌だと思ったので、客足の少ない水曜日を優先したのである。

「買い物は仕事が終わってから、駅のモールで買えばいい。」

今宵のプレゼントはおおよそ決まっているようだ。

ヒントは以前にリエからもらっていた。ようは何でもいいのである。特にこの店の場合、ブログのネタになるようなものなら、何でも喜んでもらってくれる。それでも気をつけなければならないのが、彼女の好みの範囲があるということである。

しかし、店内で会話を進めてまだ数回、彼女の好みなど到底知る由もない。わかっていることは、彼女たちは甘いものに目が無いであろう女の子であるということ。

この日の陽平は、夕方の買い物のことで頭が一杯だった。仕事をこなすスピードも、いつもと比べるとかなり遅い。

「早く夕方が来ないかなあ。」

そんなことばかりを考えながらの仕事である。動く手が遅いのは当然だ。

だらだらと遅い時間が過ぎて、ようやく待ちに待った終業時間が来ると、陽平の手先は俄然早くなる。目の前に広がっている書類や小道具を目にも留まらぬ速さで片付けると、一目散にロッカーへと走り出す。

「どうした?今日はデートでもあるのか?」

からかうように声をかける課長の声も耳に入らぬようだ。

「お先に失礼しまーす。」

課長を無視したつもりは無いが、あっけにとられる課長の顔すら見知らぬままに、そそくさと会社を後にする。

駅に向かう陽平の足取りは、スズメのように軽かった。今から展開されるシーンが、お花畑であることが決まっているかのような歩調だ。

駅に隣接しているモールに入ると、一目散に有名な洋菓子のショーケースの前に立っていた。女の子なら甘いものが好きに違いない。などと安易な発想からの思い付きである。しかし、この思い付きが今後の展開に大きな影響を及ぼすなどとは思いもしなかった。

やがてショーケースの端から端まで舐める様に眺めていた陽平だったが、お目当ての商品を見つけたのか、目の前の店員を呼びつけて、

「これを一つ下さい。プレゼント用に包装してください。」

と注文していた。

笑顔が可愛い若い店員は、「かしこまりました」と答えてテキパキと動く。彼女もまた、陽平の好みに合った女の子だったが、すぐさま目の前の妄想を吹き払うと、財布を出して勘定を済ませ、足早にその場を立ち去った。

「ありがとうございました。」

結果的には陽平好みの女の子の声も耳に入らなかったようである。陽平は彼女のお辞儀も確認せずにクルリと背を向け、手渡された品物を大事に抱えて、一目散に『ナイトドール』へと向かって行った。


モールからはバスで十五分。京都の歓楽街は京都駅から東方にあり、電車では不便な方角に位置している。そんな京都ではバスが便利になるのである。京都駅を中心に市内を縦横無尽に走っているバスが不便な電車事情を解消してくれる。おかげで陽平も京都駅から歓楽街まで三十分程度で到着できるのである。

バスを降りて、歓楽街の入り口まで辿り付くと、一様に辺りを見回す。まさかとは思うが、顔見知りがいないか確認するためである。

まだ独身だとは言え、さすがに歓楽街への出入りには気を使う。あまり見知った人に出会いたくない場所であることは確かだ。

陽平は顔見知りがいないことを確認し、ネオン煌くストリートへ足を踏み入れる。目指す『ナイトドール』はストリートのほぼ中央に立地しており、そこへたどり着くまでに色々なネオンの看板を通り過ぎなければならない。

近年の風営法により、呼び込みが禁止されているので、イカツイお兄ちゃんの強引なお誘いは皆無である。それでも扇子を広げ、団扇をあおぎ、ニコニコと勧誘に勤しんでいる。

彼らとなるべく目線を合わせないようにして歩いていくと、やがて目的の看板の前にたどり着くのである。見慣れた階段を登ると、見覚えのあるドア、そして見知ったボーイが出迎えてくれる。

「いらっしゃいませ。今日はどの子をご指名ですか?」

愛想のいいのだけは天下一品だろう。

「寧々さんをお願いします。」

陽平は指名の際に女の子を呼び捨てにしない。これからお世話になるのだからという彼の一種のポリシーなのである。

「それでは七千円いただきます。」

この店のワンセットは二十時まではこの値段。その時間を越えると八千円になるのである。

「ツーセットでお願いします。」

陽平は用意していた料金をボーイに渡す。

「かしこまりました。少々お待ち下さい。」

ボーイは陽平のオーダー書きを受付に回し、入店の準備よろしく客の上着を預かる。

「お待たせしました。」

ボーイの案内でフロアに入ると、一番手前の通路の前から二つ目のシートにエスコートされた。ここはこの店の二番シートになる。前回の訪問時と同じシートだった。

やがて現れる寧々がニッコリと微笑みながら陽平の隣に座る。

「いらっしゃーい。」

「ボクのこと覚えてる?」

「うん、覚えてるで。おっぱいが好きな人やろ?」

「よかった。間を開けんと来て正解やったな。まずは抱っこしてええかな。」

「うふふ。」

寧々はニッコリ微笑んで陽平に体を預ける。

「例の座り方覚えてる?」

「ん?ああ、あれね。ええよ。」

すぐに理解した寧々は、陽平が立てた膝に背中を預け、次の行動を待っている。

陽平は、わずかながらに身についているビキニの中へ手を侵入させ、豊満な丘陵へ挨拶に出かけた。

「おっぱい触ってもええかな。」

嘆願するには順番が逆である。

「もう触ってるやん。でもええよ。」

次に唇を重ねに行く。その後で、

「キスしてもええかな。」

これも嘆願するには順番が逆である。

「もうしてるやん。でもええよ。」

このパターンがしばらくの間、二人のお遊びになるようだ。

そんな遊びを繰り返しているうちに、陽平は大事なことを思い出した。

「そうや、ちゃんと座りなおしてくれる?」

寧々を隣に普通に座らせると、カバンの中から小さな紙袋を取り出した。

「お誕生日おめでとう。って、何月何日かは知らんけど、ホームページにおひつじ座って書いてあったから。どっちみち最近やんな。」

「えっ、ありがとう。そんなとこまで見てくれてるんや。それにこの店でプレゼントなんてもらったん初めてやし。ホンマにもろてもエエの?」

「もちろんやん。ところで誕生日っていつ?いや、教えられへんねやったら無理に言わんでもええけど。」

「別にかまへんで。三月二十八日やで。」

「ちなみにボクの誕生日は四月五日やし。メッチャ近いやん。来年の誕生日は一緒にお祝いしよか。」

「ええで。それよりも、これ開けてもいい?」

「うん。ただのおやつだよ。」

寧々は陽平からもらった小箱のふたを開けた途端、声をあげて喜ぶ。

「キャー、チョコレートやん。ウチがチョコレート大好きなん言うてたっけ?」

「そうやったんや。よかった喜んでもらえて。テレパシーでわかったっていうことにしとこかな。」

「こういうチョコレート大好き。毎日食べたいぐらい。全部もらってもいい?」

「もちろんやん。寧々ちゃんに買うて来たんやで。全部食べてくれるん?」

「こんなんあっという間に無くなってまうわ。大事に食べよ。」

「またなんかの機会見つけて買うて来てあげるやん。」

思った以上に喜んでもらえて、意気揚々である。いいアイテムを見つけた。そう思った陽平は、寧々以上に喜んでいた。

「これってブログネタになるかな?」

「ブログに載せてもいい?」

「こんなん載せたら、きっと寧々ちゃんのファンがどんどんプレゼント持って来てくれるで。」

「うふふ。ありがとー。ウチがこのお店に来て最初にもらったプレゼントやし。ホンマにうれしいで。」

「ほんならご褒美に、お願い聞いてくれるかな。」

「ん?何?」

「ボクの名前を覚えて欲しいねん。」

そう言って陽平はバッグの中から名刺入れを取り出し、その中の一枚を渡した。

寧々はその名刺をじっと見つめて、

「オゼキヨーヘイさん?」

「そう。でもヨウちゃんでええよ。みんなそう呼んでるし、子供のころからもずっとそうやって呼ばれてきたし。」

「じゃあ、ヨウちゃんっ。プレゼントありがとね。」

寧々は陽平の首に両腕を回し、背中を預けてくる。自然と例の体勢になってゆき、陽平の思うような座り方となる。

「おっぱい見せてもらってもエエかな。」

「ええよ。」

陽平はビキニの紐をそっと持ち上げ、ふくよかな膨らみの曲線を立体化させていく。すると見覚えのある丘陵と石碑が目の前に現れ、そっと手の中に納めていくのだ。

「やっぱり見るだけやないねんな。」

「あかんかった?」

「ヨウちゃんやったらエエに決まってるやん。」

そう言って自ら陽平に唇の挨拶を捧げに向かう。

寧々の唇はやわらかかった。やがて薄っすらと開いた唇と唇の間から、妖艶な女神が現れて、陽平の唇を弄び始める。もちろん、それに応えない陽平ではなかった。応戦する側が上方に位置するのである。

結果的に主導権を優位に操作できるのは陽平の方だった。

寧々の自由な手を奪い、肩ごと抱き寄せて、やがて腰を持ち上げて我が物とする。唇を堪能し終わると、陽平のターゲットは首筋へと移行していった。細くしなやかな皮膚からは、妖艶な香りが漂っている。

「寧々ちゃん、すごっくエエ匂いやな。」

「ウチ、香水もなんもつけてないで。」

「だからエエねやん。香水の匂いは嫌いや。そう言うたら寧々ちゃん、爪も短いな。ボク、長く伸ばしてデコとかいっぱいつけてる爪ってあんまし好きやないねん。お願いやから伸ばさんといてな。」

「大丈夫やで、ウチもツメ伸ばすん嫌いやし。」

陽平にとっては思いも寄らない細かなポイントまでが彼好みの様相だった。

なんだかホッとした気分で、再び寧々の体を抱き寄せる。

そんなタイミングだった。場内アナウンスが寧々と陽平を引き離す。

――寧々さん八番テーブルフリータイム――

「呼ばれたから行って来る。フリーやからすぐ帰って来るし。」


当時の寧々は入店してまだひと月に満たない程度。固定客も少ない。彼女によると、複数回指名があったのは陽平を含めてまだ二、三人程度らしい。

彼女が入店するよりも少し早いタイミングで他に二人ほど入店しているようだが、多くの客は寧々よりも他の彼女たちを選択している。この店の客は、おっぱいの大きな普通の女の子よりも、爪が長くてキラキラしているギャルっぽい女の子が好みのようだ。まあ、好みは人それぞれだからね・・・。

それでも陽平にとっては、そんな状況ですら、寧々を独占できる可能性が高くなるという、好都合な事実であった。


――寧々さん二番テーブルへバック――

やがてフリー客への顔見せが終わり、寧々が陽平のシートへ戻ってくる。

「ただいま。」

「おかえり。どんなお客さんやった?エッチなことされへんかった?」

「ちょっとエッチなオッサンやった。フリーやのに手え入れようとするし、アカンでって怒ったってん。」

「そやけど、お客さんつかな給金出えへんのちゃうの?ちょっとぐらい我慢して指名もろた方がエエンちゃうん?」

「そうかもしれんな。ウチ、この店のナンバーワンになれるやろか。」

「そりゃ、寧々ちゃんの努力次第ちゃうかな。でも、そんなんになったら、もうボクなんか相手にしてもらえんようになるんやろな。」

「そんなことないで、ヨウちゃんだけは特別やし。」

「まだボクかて二回目やで。」

「ウチに初めてプレゼントくれたお客さんやん。特別に決まってるし。」

そう言って陽平の首に腕を回し、唇のサービスを丹念に施す。同時に甘い香りが陽平を包んでいく。それこそが陽平が求めていた夢の世界だった。

「可愛いな。」

陽平は寧々の目を見つめて囁く。

「じっと見つめられると恥ずかしいやん。」

「頑張ってナンバーワンになるんやろ。これぐらいできなアカンのとちゃう?」

こんなやり取りが、この店にのめり込む要因となるのかもしれない。お気に入りが見つかった客ほど、偽装の世界に入りやすくなるのは当然のことだろう。

そんな楽しい時間ほど早く過ぎるものである。2セットで一時間二十分。まさにあっという間である。

――二番テーブル寧々さんアタックタイム――

「アタックタイムって言うてるわ。でも今日はこれで帰る。寧々ちゃんがブログを書いてくれたら、またすぐ来るかも。」

「うん、わかった。今日はプレゼントありがとう。ホンマにうれしかった。」

「帰る前にもう一回、綺麗なおっぱい見せてもらってもいい?」

「ええよ。見るだけなん?」

「やっぱりちょっと・・・・・。」

「うふふ。やっぱし可愛いな。」

陽平は照れながらも、寧々に甘えるようにして自由な手をビキニの中へ侵入させた。

「ありがとう。これでゆっくり眠れるわ。」

「ありがとうはウチが言うことやんか。また来てな。ヨウちゃんやったらいつでも大歓迎やで。」

陽平は寧々と腕を組んでドアへと向かう。

最後に妖艶な口づけをプレゼントされて。



誕生日プレゼントは思いのほか効果的だった。これでもう寧々は陽平のことを完全に覚えただろう。名刺も渡せた。次回からは互いに名前で呼び合える。

但し彼女は源氏名だけど。

それでもよかった。陽平にとって、新しい出逢いと急激な親近感とが得られた夜になったからである。

チョコレートが思いのほか効果てき面だったことにも驚いていた。

「チョコでいいなら簡単だ。アッチコッチで色んなチョコレートを買っておこう。」

陽平は仕事柄、月に一度ぐらいの間隔で地方出張に行くのである。最も回数が多いのが東京だ。東京にはお洒落なチョコレートがワンサカとある。

「今から東京出張が楽しみだな。」

何気に夜道を歩きながらほくそ笑んでいた陽平だった。

まだ肌寒い春の夜の風も、この日ばかりは、その冷たさも感じなかったことだろう。それ程までに陽平の気分が浮かれている夜だった。



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