第3話 むず痒くふける夜

次の日、会社に到着するなり、すぐに陽平は秀哉に呼び止められた。

秀哉は陽平の勤める会社と取引のある企画運営会社の営業なのだが、今日は朝からこちらに用事があったようだ。

「昨日『かば屋』に行ったんやろ?その後はどこへ行ったん?なんかぼやあっとした顔で、ふらあっと出て行ったってマスターが言うてたから心配してたんやで。」

「ああ、すまんな。別にどっこも行ってないで。普通に帰ったで。あっこのテレビにな、昔のドラマが流れててん。ほんでな、昔の懐かしい時代を思い出してな、立ちなおらなアカンて気付いてん。」

「おお、やっと気付いたか。ほんで気付いたらどうすんねん。」

「それはこれから考えるわ。」

「おし、ほんなら今晩はいつもとは違う店に連れてったろか?フリフリがええか?ナースがエエか?」

「それはまた今度な。今日は先約があんねん。」

「誰とどこへ行くん。」

「それは内緒や。ヒデちゃんもボチボチにしときや。ちゃんとした恋愛しなアカンのはお互い様やで。」

「もうオレはええねん一生独身で。一生遊んで暮らしたんねん。」

「まあ、そういうヤツに限って、こそっと結婚しよんねん。」

「うっ。」

「なんや、どうした。」

「実はな、来週見合いすんねん。」

「なんやそれ。どっからの話なん。」

「お袋がまだかまだかってやかましかったしな、勝手に話を進めとったみたいやねんけど、相手の写真見たらめっちゃ美人やし、おっぱいもそこそこあるし、ちょっと興味湧いてな、逢うことになってん。向こうも会うてもええって言うてるらしいし。もしかしたら、トントン拍子に進んだらお先に決まってまうかもな。」

「なんや、さっきまで一生独身でエエとか言うてた奴が。」

「アカンかったときバツ悪いし、黙ってよと思たんやけど、話の展開上な。おまいさんも早いことちゃんとした相手探ししいや。」

秀哉は自分の言いたいことだけ喋りまくった後、満足したのか、陽平の返事も聞かずに背中を向けて、とっとと用事のある部署へ走り去った。

「なんか取り残された感が満載やな。」

ボソッと一人呟いてみたが、それを聞く相手はどこにもいない。


なんだかやや肩を落とし気味に自分のデスクに座ってボーっとしていると、いきなり背中を叩かれた。

「どうしたんですか尾関さん。なんだか疲れてます?」

彼女は佐々木梨香といって、三年前に入社した若手のホープである。この会社は社長が女性ということもあり、一般職でも女性社員が少なくない。さすがに三十路を超えての数は減ってくるが、二十代なら三割以上が女性社員である。

「ああ、今朝一番に友達と顔を合わせてから、いきなり今日一番の疲れが出た。」

「何があったんですか?」

不思議そうに陽平の顔を見つめる梨香であったが、彼女も中々の美人である。ちょっとした悪戯心が動かない訳が無い。

「なあ、元気の無いボクのために今夜デートしてくれへん?」

「冗談はその辺にしときましょね。それに今日はみっちり残業デーですよ。昨日のY企画の見積書、ちゃんと整理しておいて下さいね。」

そう言ってニッコリと微笑を残したまま立ち去った。陽平は、その後姿をあんぐりと口を開けたまま見送っていた。

「ああ、あの子も可愛いよな。もう彼氏おるって言うてたよな。」

あれは昨年の忘年会だったろうか、二つ年上の彼氏がいるという話をしていたのを思い出した。

「今どき、いい子はみんな予約済みやんな。」

またぞろ陽平のデスクには大きなため息が響き渡る。

今日も仕事がひと段落するまでは、憂鬱な一日になりそうだ。そんな予感がする曇り空の日だった。


その日の夜も時計の針が九時を指そうかという頃。

陽平はようやく仕事にひと段落をつけられそうなところまで漕ぎ着けていた。最後の検算をして間違いが無ければ、今日のところはおしまいにできる。あとは明日の朝一番に、課長のハンコがもらえれば一件落着なのである。

そんなタイミングで梨香が声をかけてきた。

「尾関さんまだかかるんですか?私はもう終わりなんですが、よかったらご飯を食べに行きません?」

「えっ?」

あまりにも突然のお誘いに一瞬躊躇してしまったのだが、梨香のセリフには続きがあって。

「もちろん二人きりじゃないですよ。加藤さんも中浜さんも一緒ですよ。」

加藤良子は陽平の直属の上司、中浜瑞穂は梨香の一つ下の後輩で、みな一様に美人であるがゆえに、陽平にとっては断りようの無いメンバーでもあった。

「なんや美人ぞろいやん。断る理由ないやん。もう終わるとこやし絶対に行く。すぐ片付けるから待ってて。」

「じゃあ、みんなで行きましょ。」

慌てて終業モードにギアチェンジすると、陽平の帰り支度は一分で完了する。

パソコンの電源を消して、ペンを引き出しに片付けて、ジャケットを羽織れば、帰り支度は完了である。すでに課長や先輩方の姿は消えていたので、帰るには誰にも遠慮がいらなくなっていた。

廊下では既に美人社員三名がいまや遅しと陽平が来るのを待っており、中でも一番に陽平の姿を見つけた先輩の加藤女史が気軽に声をかけた。

「遅いやないの。ほんで、尾関クンは何が食べたいん?」

「最近疲れ気味なんですよね。できたらスタミナがつくヤツがいいですね。」

「みんなでワイワイ言いながら食べる方がエエやろ?中華なんかどう?」

「ああ、それ賛成!ちょうどウチの口の中が麻婆豆腐やってん。」

速攻で賛成してきたのが梨香だった。

会社は京都駅から徒歩十分。十階建ての二階と三階のフロアが会社のオフィスになっている。言い忘れているが、陽平が勤める会社は京都市を訪れる観光客向けのお店情報や神社仏閣情報を提供しているタウン誌を発刊している会社である。生まれは綾部市だが、京都市内の私立大学を卒業した後からずっと古都の佇まいに馴染んでいる。この古い街並みを多くの人にアピールしたくてこの仕事を選んだのである。

情報誌の仕事に繁忙期も閑散期も無い。あるとすれば正月の直前が地獄絵図のようになるぐらいか。そんな毎日の中、残業に一区切りついた連中で飲みに行くのがこの会社の慣わしでもあった。もちろん、社長を始めとする上司たちが率先して参加してくるのだから、頻繁にその会は開催される。

「さて尾関クン。キミは最近、どうして浮かない顔をしているのかな?」

やや先輩風を吹かしながら乾杯と同時に陽平の肩を叩くのは加藤女史である。

「それって言わなダメですか?」

「なんで?そんな言いにくい理由なん?」

「若い女の子の前ではチョッとね。」

「あんな、ヒデちゃんから聞いたで。あんたもうそこそこの年やねんから、ええ加減にお店の女の子ばっかし追いかけんのやめときや。」

「ええ?今日は加藤さんの説教を聞くために設定された席なんですか?」

「そうやで。あんたに女の子のこと教えてあげよう思って、わざわざ設定してあげたんやんか。」

「何でも聞いてくださいね。」

四人がけのテーブルで、陽平の前で対面するように鎮座している若い二人がニコニコして微笑んでいる。

「そんな紛らわしいことせんでも、梨香ちゃんでも瑞穂ちゃんでもボクと付き合ってくれたらええだけやんか。」

「尾関さんもう三十中盤でしょ?ウチらとはちょっと年が離れてるしな。エエ人やとは思うねんけど、ウチの理想とは何か違うな。」

「私も尾関さんはエエ人やと思うけど、なんか遊んでる感じに見えるしな。女の子は誠実な人がよろしおす。」

二人の女の子たちは、運ばれてきたばかりの餃子を頬張りながら、それぞれ陽平の批評を始めている。

「せやん、結構見かけはエエのになんで彼女がおらへんのかわからん。よっぽど遊んでるんちゃうん。」

「そう言うたらY企画の米谷さんと仲エエんでしょ。あの人、風俗ばっかし行ってるって、女の子の間でも有名やし、一緒に遊んでる尾関さんも同類やと思われがちやと思う。」

「仕事もちゃんとできはるし、普段は優しいてエエ人やねんけど、それがなあ。」

「待て待て、ボクそんなに行ってないで。ヒデちゃんと一緒にせんといて欲しいな。そら、ボクかて男やし、そんな店に興味がないことはない。せやけどアッチにもコッチにも行ってる訳やないで。」

二人とも悪気は無いのだが、格好のターゲットになってしまうことには違いなかった。陽平も気まずそうに中華をつまんでいたが、それを見かねた加藤女史が陽平の肩を叩く。

「今の話ってな、キミは素行さえエエように映れば、女の子らにはモテるでって言う意味やで。」

「そうですよ。年齢さえそんなに離れてへんかったら、ウチが立候補しても良かったのに。但し、風俗遊びは辞めてもらうけどな。」

「風俗なんか行ってないし。それに、キミみたいに可愛い彼女がおったら、女の子の店なんか行かんでもええわけやん。」

加藤女史は嗜めるように陽平の目を見据えて、

「ウチもな、あんたやったらちゃんとした恋人見つけられると思うから言うてあげてんねん。あんたももう少し真剣に考えてみたら?」

「うう、結局説教タイムか。今日の麻婆豆腐が美味くないわけや。食欲がだんだん無くなって来たんで、ここいらへんで帰らせてもらいますわ。」

「応援してんねんで。」

陽平が席を立つと同時に、その手を握って目を見つめた。

「おおきに。ほな失礼します。ご馳走様でした。」


店を出ると陽平の足取りは自然にネオン街へと向かっていた。

恋人がいらないなんて言ってない。いつだって募集中だった。

如何せん同じ職場の女の子に本気で興味を示したことは無かったと言っていい。職場結婚している同級生たちが、そぞろ不平不満を漏らしているのを、若い頃に散々聞かされていたからである。

職場以外の出会いを求めていた陽平は、徐々に取り残されていくこととなり、秀哉とつるむようになったのである。

「そんな簡単に恋愛できるんなら、今どき一人でなんかおらん。寂しいのは毎日のことや。せやから癒されに行くんやん。」

独り言をブツブツと呟きながら電車を乗り継いで辿り着いたのは『ナイトドール』の前だった。しかし今宵は木曜日、寧々の出勤日ではない。それを思い出した陽平は、店の真ん前まで来たにもかかわらず、踵を返して帰路へと歩を進めるのである。

「やっぱり寧々ちゃんがおらんとアカンよな。」

折角お近づきになれた可愛いお嬢に気に入られるためにも、他の嬢を指名して浮気扱いになることを恐れた。まるで嬢に客を選ぶ権利でもあるかのような勘違いではあるが、より深い仲になるためには、それぐらいの配慮は必要なのである。


やるせない想いだけを感じながら、溜息を吐いたまま、暗く静かな自宅マンションへと辿り着く。

鬱蒼としている真っ暗な部屋の明かりをつけ、次いでパソコンの電源を入れることから夜な夜なの行動が始まる。さっと着替えを終えると、冷蔵庫から缶チューハイを取り出してプルタブを引く。プシュッという音が聞こえると、一人ぼっちの二次会の始まりである。

まずは『ナイトドール』のホームページを閲覧する。嬢たちのブログをチェックして新しい情報が無いかを確認し、寧々のページが更新されていないことがわかると、なんだか物足りなさを感じてしまう。

「今度の出勤はいつやったかな。」

などと呟きながらプロフィールのページをめくると、月・水・土の出勤予定であることが記載されている。

陽平の今までの出動パターンは二週間に一度ほどのペース。客の少ない水曜日にいてくれると通いやすい。

さらにページをめくって彼女のプロフィールを再確認していた。

「そやそや、牡羊座やん。オイラと誕生日近いってことやん。プレゼント買いにいかな。」

陽平は四月生まれで、先日誕生日を迎えたばかりだった。牡羊座を星座としている誕生日は三月二十一日から四月二十日生まれまで。つまりは寧々の誕生日も過ぎたばかりかもうすぐ迎えるということである。

「ここはひとつ、急いで誕生日のプレゼントを用意しな。」

また一つ、彼女に近づくきっかけを見つけた陽平は、少しばかりいい気分になっていた。

「何をプレゼントしよかなあ。」

この夜からしばらくの間、このことが陽平の中の最重要案件となったのである。

近くで猫の鳴き声が蒼く聞こえる夜のことだった。



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