第4話 「感覚」



 その時、僕らが座っている石のように固くなった肝臓が、グチュリと嫌な音をたてた。


「あっ、これ、もうもたないかも」

 と言って、彼女が立ち上がった時、肝臓に亀裂が生じた。


 中から腐ったドロドロの血液と、眼球と、歯と、髪の毛と、大腸の一部が、勢いよく飛び出した。それは強い異臭と共に噴き出してきた命の破片で、醜悪な姿に変貌してしまった柔らかな生命の破片だった。



「きれいだね」

 と、マリちゃんはその塊に向かってやさしく囁いた。

「そうだね。この道、とっても素敵な場所だよね」

 と、僕は言う。


 遠くからスズメがやってきて、潰れた大腸から飛び出したヒダのような部分を、チュンチュンとついばんだ。


 スズメの顔や羽が赤く染まる。その可愛らしさに、僕らは微笑んだ。

「ねえ、今日は親がいないの。よかったら、ウチにおいで」

 と、マリちゃんが言う。


 その艶やかな表情の奥に、繊細さと深刻さを含めた彼女のあどけなさ。僕の胸は、かあっと熱くなって、今すぐに彼女を抱きたいという気持ちになった。


「うん。お邪魔させてもらおうかな」

「うれしい。おいで」

 そういうことで、僕はマリちゃんの家に行く。


 血に染まった桜並木の道を、手を繋いで僕らは歩く。


 スズメや、ハトや、ヒヨドリといった種類の鳥たちが飛んでいて、道に落ちている臓器をつつく。


 僕は、この幸せを永遠にかみしめたいと願った。

ずうっとこうして一緒に居たいと心の底から思った。


 マリちゃんの家は、かなり広い、二階建てのオシャレな戸建てで、砂刷りの壁に、たくさんの絵画が飾られている。その多くが抽象画だった。



 リビングにある本棚には、たくさんの書物が整然と並べられてあって、特に農業分野と、シャーマニズムと、喰人祭に関する本が多かった。


 小説もそれなりにあった。マリちゃんは、読みたい本があると、リビングから数冊、手に取って、部屋に戻るのだそうだ。そうしてしばらく部屋から出てこないんだろうな。



 二階に上がって、突き当りに大きな扉がある。焦げ茶色の扉に、金色のドアノブが付けられていて、それを開けば彼女の部屋だ。入るととたんに匂いが変わる。


「ここ、久しぶりだな。最近、来てなかったから」

「うん。私も、ここにアナタを呼ぶの、久しぶり」


 しかしいつ見ても、しっかりした内装だ、と僕は思った。

 薄い、白色のカーテンに、淡い夕日が映し出されている。


 本棚は、天井につくほどに高く、人体学や法医学、解剖学についての本が多から、僕は、喰人祭について調べるとき、図書館ではなく、彼女の部屋を訪ねることにしている。



「今日はいいの? 本」

 と、彼女は僕に聞いてくれた。

「うん。今日は、本を借りる気分じゃないから」

「……じゃあ、他のことをしようね」

 彼女は部屋を暗くして、ベッドの横にあるライトをつけた。

 暖かいオレンジ色の光が、辺りを包み込んだ。



 それから「白壇」というインド原産のお香を焚いてくれた。なにかこう、神仏的な雰囲気のある香りが、薄く白い煙となって、僕らの周りにうっすらと線を引き残した。


 それを合図にするかのように、僕らは服を脱ぎ始める。

「ねえ、あれ、見える? あれね、私が書いた絵なのよ」


 下着姿になった彼女は、ふとライトの横を指さし、そう言った。


 絵があった。淡い光の元でも、鮮明に美しさを放っているその絵画は、彼女自身が写し出す、「喰人祭」についての描写であるとすぐに分かった。


「これは、あの時の?」

「うん。私が小さい頃を思い出しながら描いたの」

 それは、巨大な女性の顔の絵だった。


 えぐられた二つの眼球から、清らかな鮮血を流している美しい女性の顔だった。白く淫乱な太ももの曲線に沿って、ドロリとした血の塊がほとばしっている、凄惨で、やさしくて、とてもなつかしい風景だった。


「ほんとうに上手だね。まるで本物の画家さんのよう」

「ほめてもらって嬉しい…………アナタとの大事な思い出だから」

うっとりとするその瞳をジッと見つめているうちに、今すぐにでも果ててしまいそうな感覚になって、


 そうして僕は、彼女を抱き寄せて、唇を、やさしく吸った。


 服を脱がしているときも、体を重ね合うときも、彼女の吐息や、手足や、その奥にある生命の暖かさを感じている瞬間すらも、あの絵画の、えぐられた巨大な眼球に、見つめられていた。


 僕らの交わりを妬むかのように、その絵の女は、ただジッとこちらを見つめていた。

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