第3話 「幻想と醜悪」
準エントロピー移転装置を開発してしまったトーテム博士の論文を、自分なりにまとめたものだった。
これが後のヒエロニムス型生命移転装置となり、喰人祭を行ううえで重要なマッチング制度と併用して用いられることになったのだ。
科学技術の発展と、人間の精神的な活動の発展は恐ろしいもので、ついこの間までは、人類は科学技術の発展のみを重要視するあまり、世のスピリチュアル的側面を、疎かにしてきた。
僕はこの事実が、今まで『喰人祭』という素晴らしい制度を生み出せなかった根本的な原因の一つだと思っている。
そうして僕は将来、喰人祭の実行委員会に所属しようと日々努力している。
喰人祭の実行委員になるというのは、司法試験よりも難しいとされていて、年収も、他の職業の比ではなかった。
でも、僕にはこれしかない、と思うし、他の職業についたとしても一日たりとも喰人祭のことが頭から離れないだろうと思われた。
それくらいこの祭礼を気に入っていた。
桜が咲けば、喰人祭の季節である。僕は非常に楽しみで仕方が無かった。
マリちゃんは、とても可愛い少女だった。華奢で色白で、一見して美人と分かるような人だった。僕は、彼女と喰人祭を見に行くたびに、また年を重ねるたびに美しくなっていると感じていた。高校は、別だったけれども、それでも会う頻度は高かった。
休みの日は、だいたい彼女と会う。どちらも実家で暮らしていたが、ほとんど同棲のようだった。と、いうのも依然として両親が忙しく、あまり家には居なかったから。
また、ケンカをしたことはほとんどなく、別れようという話になったこともなかった。それは、僕らのアイデンティティーが『喰人祭』の追及、という行事によって確立されたものであったから、その結びつきがほどける、なんてことは無かった。
お互いが喰人祭に対して、異常なまでの興味を抱いていたからなのかもしれないし、あるいは喰人祭への嫌悪感が、そのまま反転してお互いの愛に結び付いたのかもしれなかった。
どちらにせよ、心身共に、僕らはこの行事に依存していた。まるで麻薬のように。だから、愛が覚める、というレベルの話ではなかった。
彼女との待ち合わせ場所は、例の、ヤスミンの五つ子が死んだ桜の木の元だった。
未だに、汚物と悪臭が残るその場所には人がほとんど寄りつかない。血に染まった桜の花びらが点々としていて、それでもなお、桜並木は、観光客を向かい入れる準備ができているんだ、という毅然とした表情で並んでいた。
「おまたせ」
ふと首筋に息が掛かった。僕は、眼球がこびり付いた木の枝を集中して見ていたため、マリちゃんが近くまで来たことに気が付かなかった。
「ああ、もう来ていたんだね」
と、僕は言った。彼女の白色のワンピースが春風に揺らされてとても素敵だった。
「いい臭いだね!」
彼女はやさしい微笑みを浮かべて、そう言った。
春風が、とても生ぐさい血と臓器の香りを運んできた。その風はマリちゃんの黒髪を、ふわりと揺らした。彼女の帽子が飛びそうになったので、僕らは「ふふふ」と笑った。
「桜の花が、乗っている」
彼女は、僕の髪の毛から、桜の花びらを手に取った。花びらには、もう渇いて黒くなってしまった血がこびり付いている。
「奇麗だね」
とマリちゃんは言う。
「きみのほうがきれいだよ、なんてね」
と僕は言ってみる。
「それ、もう聞き飽きたから」
彼女はそう言って、地面にあった巨大な黒い塊に目を向ける。それは、なだらかな表面のようで、ところどころ亀裂が生じていて、赤黒い泡のような気泡があった。
「これ、ヤスミンの肝臓かな」
「そうだろね。もう、渇いているのかな」
僕がそう言うと彼女は、その赤黒い塊を細い指先ですうっとなぞった。
「うん。渇いている」
試しに僕も触ってみた。内臓だから、柔らかいかのかな、と思ったけれど、それは水分が蒸発してしまっていて、石のように固くなっていた。
彼女はそこに腰を下ろした。その横に、僕も座る。
目の前に、ツツジの花が咲いていた。彼女は、それに気が付いて「アッ」と小さく声をあげ、近づいて、その花を一つ摘んで、
「蜜が吸えるんだよ」
明るい表情でそう言った。
僕は、彼女の唇が、ツツジの花に触れるのを見ていた。
「あっ……この花」
彼女は驚いた表情になって、僕のことを見た。
「この花。蜜がさび臭くて、赤い色をしている。きっとたくさんの血を吸ったんだね」
マリちゃんはそう言って、舌を出した。鮮やかな鮮血が一筋、彼女の唾液と交じり合って、艶めかしく光沢を放っていた。
たまらず、僕は彼女に唇を重ねた。
柔らかく、甘い唇の感触のその奥に、鮮烈な生命の残骸を感じ取った。
ヤスミンとその子供たちは、ここで死んだのだ。桜の木に突き刺さって、子供たちは全て死んでいったのだ。
その残骸を、僕らはこうして感じているのだ。その事実は神秘的であり、芸術的であり、退廃的でもあり、不思議で、そうして、それらが僕らの愛を形作っている。
「……うれしい、私ね、アタナとこうして一緒にいることができて、幸せ」
上目遣いで語り掛けてくる彼女の姿を見て、僕の胸は熱くなった。
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