BAN! DEAD! - 罪盗人 -

OKA素 in

第1話 重たい荷物はいらないの

『我妻 愛乃(わがつま あいの)』はバス停のベンチへ腰を下ろし、貼られた時刻表を退屈そうに眺める高齢の婦人へ視線を一度向けながら憂いを纏った表情でアスファルトで塗装された道を勢い良く駆けるオートバイの行方を横目で追った。


人、それらが齎す音、自身の傍へ寄るもの、今日も今日とて大地を暑く照らす太陽からの熱、滴る雫となった汗の行方……すべてが愛乃の不安を煽り立ててくる。


今朝方塗ったファンデーションも汗で流れ落ちているのだろう。鼻腔を突く独特の香りが神経を逆なでしようとしてくれている。懲りずに時刻表と睨めっこしていた婦人が取り出したハンカチで眉間を拭いながら愛乃の傍へ腰掛けて「じーーーー、じーーーーっ」と鳴き続けるセミの声に煩わしさを受けながら、苦言を漏らす。


「ここにバスが来るの?」


「はい?」


眉間に皺を寄せたまま隣の空席を埋めた婦人の一言に思わずこちらも声を上げ、思いも寄らぬ反応を取らされた愛乃の汗腺が嫌に刺激された。

「バスが来るのか?」。では、あなたは何故ここにいるのか。あなたは何を待っているのだろうか、この暑苦しい日差しを辛うじて防ぐ木陰の下で。


「あー 茹だるわねぇ。今日ね、週に一度だけれどお琴の教室なのよ」


「ご存知? 通うのにもバスで行き来しなくちゃいけないのがもう不便で不便で……嫌になっちゃうのよね」


「え、ええ。それは、まぁ、よほどその趣味に熱が入っているみたいで、何て言いますか……すみません」


「気にしないで、あなたのせいじゃないの! ぜんぶ悪いのは分かっているから! あーもうっ!」


……どうにも参ったな。返答に困らせてばかりいる婦人の迷惑に自家発電されていく態度の膨らみ加減へ鬱陶しい以外の言葉が見つからない。日時を改めて出直すのも悪くはないのではと考えが過ぎったその時、苦し紛れに愛乃は会話を切り返した。


「“よこしま横丁”という場所をご存知ですか」


「急でしたけれど私 そこへ行ってみようかなと思いまして。この名刺に書いてある住所なんですけれど、調べてもまず見つからないんですよね……」


それも当たり前だと自身がその場の名を生まれてこの方一度も耳にしたことがないのだと真っ先に否定の姿勢から向かっていた。口コミはまるで役に立たず、インターネットの検索に引っ掛かるのは愛乃が期待していた結果とは程遠く、手にした名刺には電話番号すら記載されてはいない。まともな詐欺すら始める気も思えない荒唐無稽な紹介を頼りにするほどだった、彼女、愛乃の精神の揺らぎ具合のほどは。


「あは、意味不明ですよね。ごめんなさい。バスならあと五分もすれば次の――――――次、の…………?」


「…………夜?」


遂に、いや、常々支障を来し気味だと感じていた内側の自分が決壊を起こしたとも言うべきか。先ほどまで確かに目の前で捉えていた婦人の顔が失せ、代わりに見覚えのない闇に包まれた無機質な路地裏がそこにはあった。


手で腰掛けていたベンチを確認すれば、それは錆びに塗れた用途も知れぬ鉄材の硬い感触。広がったままの唖然とした視界の端に光が薄っすらと飛び込んでくる。ゆくりと立ち上がり訳も分からないまま唯一の道標を辿るために足を進めていた。



かな文字表記ならば幾分か可愛らしい表現の内だと思う。その実 意味は『道理に外れたこと』である。“邪”と書けば顕著に浮き出てくるだろうか?

皮肉にしても重過ぎると受け取り手であるこの愛乃に嫌悪の念を抱かせるには十分なセンスだが、この際上等だと、あるいは藁にもすがりたくて、猫の手も借りる勢いで追い続けていると…………何だろうここは。


人の気配は確かにある。光の先へ立ってみれど灯りの正体はどれも薄気味悪くぼやけた店の看板の羅列だ。

行き交う人々の様子は? 皆、葬式へ参列するように重苦しい空気を纏っていて会話の一つも聞こえてこない異様な世界だった。どうしたものか道を尋ねるのも躊躇ってしまいながら、一人、ようやく声をかけて掴まえたのはどの角度からも表情というべきか、感情が読めない全身影の辛うじて人の形をした異形の者である。


今にも飛び出しそうな悲鳴を両手で抑え、後退りながらもう一度高鳴る鼓動を他所に周囲を素早く観察して気付く。思考よりも迷わず足が逃走を選択していた。

絡まって転んでしまいそうにもなりそうなこの全力は危険を感じてだろうか、どうだって良い。ここは化け物の巣食う 人の立ち入ってならない禁じられた場所だったということで終わらせよう。終わるとは何が? 誰が? 私? 私が!?


「ひっ!?」


取り返しのつかない狂乱へ走り去ろうとした私の腕が、引かれた。


「お客さんがお探しなのはこっちにありますよ?」


少年、あるいは少女か見当もつかない中性的な……青少年としよう。その人は愛乃の動悸の激しさを和らげるつもりでか慣れたように表情を優しく変化させていく。


「…………」


「ですよね。初めてここに来た人とかいっつも驚くのが定番だし、ビックリしてもおかしくないかも」


「ビックリしました? わぁ~! ぎゃあ~! 怖いよーぅ! って、こほん……まぁまぁ、でもご安心を」


「あ、あなた、あ、あの、わたしっ、あ、あ! どうすれば良いんでしょう……」


意味不明に襲いかかった恐怖を僅かに緩ませながら肩に置かれたままだった青少年の手へ縋って掴み取りながら、ようやく視線を交じ合わせる。

嫌が付きそうなぐらい混じり気の篭もっていない眼差しを前に愛乃は目を一瞬でも構わないと泳がせ、不安の色を訴えた。

青少年の備える誰かを惑わせそうなブロンド色をした髪はとても美しく、短めに切り揃えられた様子こそが愛乃が青少年の性別の判別を狂わせ、辺りを包む闇すら照らし掻き消す淡い希望を抱かせてくれていた。


救いを求める愛乃の言葉を汲み取ってのことか、青少年は指を絡めるようにして彼女と手を繋ぎながら歩みを軽やかに進める。途中、振り返ってこちらの不安を拭い去ろうとしてくれような眩しい笑顔が素直に嬉しかった。ここが“よこしま横丁”か何処か知らぬ存じぬが…………掌があたたかくて気持ちが良い。


「さぁ、到着ですよ。お客さんって きっと気立ての良い理想の奥さんでしたよね」


「恥ずかしいです。ですけど、いいえ、私は最低の女房な筈です」


「裏切るたびに心が震えたんです。私 身震いして、帰って来た旦那の顔を見るたび怯えていたんだと思――――」


「どうでもいいから中に入ってくれます?」


強引に押されながら古ぼけていながら洋風で上品な扉の前に立たされた愛乃。ここまで来て躊躇いに押し潰されたままいられるものか。強がりながら芯のない曖昧な力加減で扉をノックし、開放するとドアベルが不穏に来訪者を歓迎してくれる。


「んあぁ?」


生ゴミを頬張る男があなたを歓迎した。



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